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『いまを生きる』に学ぶ「ざらついた言葉」を引き出す3つのポイント

谷川さんとの対談で残った「ざらついた言葉」というワード

先日、Brain PadのCHROの西田さんが主催する次世代リーダー育成塾の初日に登壇する機会があった。友人である哲学者の谷川嘉浩さんとの対談セッションだ。

ずっと立ち話の即興対話

その時に谷川さんから出てきた「ざらついた言葉」という単語が講演後にもなぜか深く印象に残っていた。

プレゼンが上手いのに、上手すぎてなぜか残らない話というものがある。
言い淀みのない流暢な言葉の数々。
それらの言葉は「つるん」としているから飲み込みやすいが、同じように「つるん」とすぐに外に出てしまう。

むしろ、ちょっとたどたどしく、ざらつきがあるくらいの言葉の方が、摩擦を生じて相手の心に残りやすいのだ…
そんな話を谷川さんと交わしていた。

その「ざらついた言葉」ということを聞いた時に、僕の脳内の記憶が、とある映画の一場面を指し示していた。

その映画とは、ロビン・ウィリアムス主演で有名な『いまを生きる』だ。

いわゆる学園モノで、熱血教師のキーティング先生が古臭いしきたりを持つ伝統的な学校を相手に型破りな授業をする、というストーリーだ。
そして、その一場面とは、キーティング先生が、ドット・アンダースンという内気な生徒を詩の授業で開眼させる場面だ。あそこに「ざらついた言葉」を示す象徴的なシーンがあったような気がしたのだ。

ちょうど手元に小説版があったので読んでみた。長いが、予想以上に示唆深かったので、引用してみたい。

「いまを生きる」のあの場面

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