問いの「魔の山」を登ろう/鳥潟幸志著『問いの設定力』ご恵投いただきました
ここにきて最近思うことがある。
小学校の時に一番大事な課題は、「夏休みの自由研究」だったんじゃないかと。
自分が本を書く時もそうだし、新規事業を考える時も、何か社内での企画を起案する時も、はたまた学生の起業アイデアについての壁打ちをする際ですら、全てにおいてこの「夏休みの自由研究」の延長なのだ。
自由研究においては、まず大雑把なテーマがあり、その中で問いの設定をしてから、その問いに対してどんなアプローチで答えを出すのかという枠組みを決める。
そして実際に手足を動かして調べてみて、問いへの答えを出す。
そして、その答えをわかりやすくまとめて、最後に何らかの形で表現する…というのが大きな流れだ。
しかし、この自由研究に挑もうとする小学生たちに立ちはだかる魔の山がある。
それは、問いの設定だ。
問いが立たない。
というより、大抵の場合は、「問いって何ですか?」状態になる。
朝顔の観察とか、リトマス試験紙の実験は、問いじゃないんですか?
…はい、違います。
ここでこの山を登れないと、その後もなかなか苦労することになる。
(僕もそうでしたw)
しかし、一旦その勘所を掴んでしまえば、そのスキルは人生を支える力にもなる。
なぜならば、人生の中で良い問いを設定するということは、人生そのものが自由研究となっていくからだ。
他者から与えられた問いに対して必死に答えを出すのではない。
自分が問いを立てて、その問いに対して周りを巻き込んでいく。
このモードチェンジができた人は、仕事や人生そのものがエンタメ化していくことになる。
そのように、問いの重要性は今までも重要ではあったのだが、最近はもう一つの変数が加わることになった。
それはAIだ。
AIは正解の提供者として、人間よりも圧倒的に優秀でタフだ。
何時に質問しようが、何度質問しようが、どんな失礼な質問をしようが、変わらぬスピードとテンションで正確に答えてくれる。
短期間でChatGPTが広まったことにより、このモードチェンジは急に深刻な問題となった。
そろそろChatGPT-5が出ると言われている。
どうバージョンアップされるのかはわからないが、いずれにせよこの流れが意味することは、「答えの出し手側」にはもう人間が座るイスがなくなるということだ。そちら側にいたら空気イスの刑になってしまう。
そう、私たちは一刻も早く「問いの出し手側」に移る必要がある。
小学生の時に断念したあの魔の山を登らなくてはならないのだ。くぅ〜。
さて、このような時制を反映して、タイムリーな本をいただいた。
グロービス時代の同僚である鳥潟さんが『問いの設定力』という本をご恵投してくれたのだ。
彼は、グロービスにおいて「GLOBIS学び放題」というプロダクトを立ち上げ、今日までその責任者としてビジネスを牽引してきた人間だ。
「GLOBIS学び放題」にはAIも取り入れてサービスレベルをアップデートしてきているからこそ、彼は人間にしかできない問いの力について考えてきたのだろうと思う。
まだ中身は拝読できていないが、これから目を通して、対談ができればと思っている。
なにしろ鳥潟さんは本当にナイスガイで、後輩ながらリスペクトしていた人物なので、僕も力になりたいのだ(笑)
ということで、「問いの出し手」に至る魔の山を登るお供の一冊にぜひどうぞ!
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