濃縮還元200%ジュース


「濃縮還元100%」という表記がある。

所謂「濃縮還元100%ジュース」というのは果物を搾った生の果汁から水分を飛ばして濃縮し、飛ばした分の水分を後から加えることで「計算上容積の100%が果汁である」として売られているものである。

ということは、例えば400mLの生果汁から300mL分の水分を飛ばした100mLの「4倍希釈の濃縮シロップ」を100mLの水で割ると、夢の「濃縮還元200%ジュース」が完成することになる(計算合ってますか?正直あんまり自信がないです。数字にはあまり強くありません)。








わたしはいくつかのバンドが好きで、平たく言えば「ロックファン」「邦ロック好き」に分類されるような趣味人生を送っている。

そんなわたしの主義は「好きなバンドは少なくて良い」である。


ツイッターで所謂「邦ロック界隈」を見ていると、「邦ロック好きと繋がりたい」みたいなハッシュタグに「好きなバンド」を10個とか20個とか並べて同好の士を探す様子が目に付く。

そして、それが目に付く度に、わたしはそうはなれないな、と思う。



「自立とは依存先を増やすことである」という有名な言葉がある。

1枚の板を柱を使って浮かせることを想像してほしいのだけど、
柱が1本しかない場合は板の重心を的確に支えることで浮かせることができる。
柱が2本あれば両端を支えられる。
3本もあれば三角形のように支点を置くことで容易に板を浮かせられるし、
10本あればそのうちの1本が倒れても他の9本の柱によって板は浮き続けるだろう。

これが「自立とは依存先を増やすことである」という言葉の具体的なイメージだと思っていて、わたしはこれを全面的に正しいと感じている。


突然何の話をしたかというと、「好きなバンドが10個も20個もある人」のことを否定したいわけではない、という話である。

あまり演技の良い話ではないけれど、ひとつのバンドを100の力で好きでいる人と10個のバンドにそれぞれ10ずつの力を注いでいる人がいたとして、好きなバンドが解散したときに縋れる他の何かがあるかないかというのは精神的にすごく大きな違いだと思う。



それでもわたしは好きなバンドは少なくて良いと思っている。
わたしの中での“好き”という言葉に対する誠意である。

一応断っておくのだけど、別に他人が「その人の中での“好き”という感情の基準」をどこに置いているかとかはどうでもいいし、それを自分のものと比べようとも思わないし、どちらが優れているとかどちらが間違っているとかを言うつもりもない。

が、わたしは「自分の全てをかけても良いと思えるもの」=「自分の100の力を惜しみなく注げるもの」のことを“好き”と形容する人間でいたいのだ。


ライブの予定があって、ライブの1週間前ぐらいからもうずっとそのことばっかり考えて、そのバンドの曲ばっかり何度も何度も聴いて、ライブが終わったらこれまた1週間とか2週間とかずっとその思い出を永遠に味のするガムみたいに噛み続けていたい。

新曲のリリースが決まって、リリースの1週間前ぐらいからもうずっとそのことばっかり考えて、リリースされた瞬間1週間とか2週間とかずっと単曲リピートしていたい。


……していたいのだけど、この世界には素敵なものとか目が離せないような魅力を持ったものが溢れている。


少し前のこと、たまたま出会った別のバンドから目が離せなくなった。

先述の通りわたしは「目が離せない」「気を惹かれる」というだけを“好き”という言葉で表せない質の人間で、出会って以来じっくりと自分の感情を精査してきた。

実に半年以上の時間を掛けて、わたしにとってこのバンドは「自分の全てをかけても良いと思えるもの」として差し支えないだろう、という結論を拾い上げたのがつい先日のことである。



ライブの予定の1週間前からそのことばっかり考えて、そのバンドの曲ばっかり聴いて、ライブが終わったあともずっとその思い出を反芻し続けるとか、

新曲リリースの1週間前からそのことばっかり考えて、リリースされた瞬間ずっと単曲リピートするとか、

そういう今までしてきた当たり前の全力を“100”だとする。というか、これが紛れもなく“100”だったわけである。


そうしたときに、例えば“好き”なバンドのライブがそれぞれ連続した2日で開催されるとき、「1週間前からそのことばっかり考えて、そのバンドの曲ばっかり聴いて、終わったあともずっと思い出を反芻し続ける」ことはできなくなる。

新曲にしたって同じことである。


「自分の全てをかけても良いと思えるもの」を“好き”と形容するはずだったのに、2つのバンドを好きになった瞬間わたしには「かけられる全て」がなくなってしまう。

では自分の全て=100の力を50:50に振り分けて、それぞれに50ずつ割り当てて平等としましょう、と思えるかというと、わたしは傲慢で意固地なのでそれで満足する気には到底なれない。

常に“好き”という言葉は「100の力をかけられる対象に向ける感情」として定義していたくて、だからわたしは2つのバンドを“100:100”で好きでいられるように自分の“100”の定義を拡張するしかないと思っている。



話が少し変わり、「好きなもののことばっかり考えて仕事が手につかない」みたいな話がある。

まあ正直なところわたしにもそういう日はあるのだけど、わたしは個人的にこういう主張があまり好きではない。
自分の「仕事が手につかない」ことの理由を「好きなもの」に押し付けている……「好きなもの」を「仕事が手につかない」ことの言い訳として利用しているように見えるから。


「試験期間だからライブに行けない」みたいな話もあり、あくまで個人的な話として、こういう主張もあまり好きではない。

ライブを見てる2時間と移動に往復2時間掛かるとして4時間、その4時間分他の日に勉強できるだろ、他の日に同じだけ勉強したら一緒だろ、と思うから。
所謂裁量労働制という概念と似たような話だと思っている。


つまるところ、自分が100だと思っている箱には実は「無駄な30」が元から入っていて、それを取り除けば「自分が100だと思っていた70の箱」は元の1.4倍の容量になる。

70:100 = 100:x の比例式を解くと x ≒ 140 になり、「やらなきゃいけない100」とは別に「やりたい40」を入れるスペースができたことになる。

この辺の説明が上手くできている自信がないです、分かりづらかったらすみません。


そういうことを繰り返して、わたしは好きなものと好きなものをちゃんと“100:100”で好きでいられるようになりたい。

なりたいし、それは無理なことじゃないと思っている。



わたしは正直、人並み以上に「頑張る」をしてきた自信がある。

諦めることが好きじゃなかったし、自分にできないことがあるのが嫌だった。

上手くいかないことがあると悔しくて涙が出てくることがあって、初めてバイトしたときは上手に仕事をこなせない自分に嫌気が差して仕事場で泣いて過呼吸になって家に帰されたこともある。

今も仕事が上手くいかないと遣る瀬無くて悔しくて、「自分にできることがもっと多ければ誰にもつらい思いをさせずに済んだかもしれないのに」って思って夜な夜な泣きながら寝たりする。

一頻り泣いた後に悔しくてたくさん勉強して、何が上手くいかないのか?どうすれば上手くいくのか?どこで間違えたのか?とかノートに書き出して、そういうことの繰り返しで生きてきた。


今思えば父親譲りだったと思う。

わたしが小さい頃から実家には社内のプレゼン大会なんかがあるたびに父親が持って帰った全国大会の優勝トロフィーが並んでいた。

その出来の良さとは対照的に新しいゲーム機が発表されると必ず自慢気に予約票を持って帰って、だけど仕事が大好きで休みたがらなくて、転属になるたびに部下に惜しまれ新しい部下に慕われる父親を見て育った。

そんな人の血を引いているからか、そういう人に育てられたからか、とにかく「全力でない自分」を許せないまま今日まで生きてきた。もう丸々23年になろうとしている。


わたしは人見知りで友達も少なかったけど、でも「コミュ障」を理由に人と話そうとしない人ではありたくなくて、話し合いのときははっきりものを喋るように小学校の頃から心がけていた。

「運動できないしチームの役にも立てないから」と体育の授業中端っこでお喋りしてる人ではありたくなくて、ボールが蹴れなくてもパスが回ってこなくてもグラウンドに書かれた線の中を一生懸命走った。

そんな様子を人に揶揄われて悲しくて不登校になったこともあったけど、そしたら成績が落ちて(当たり前!)、「なんで揶揄ってくる同級生のためにわたしの成績が落ちなきゃいけねえんだよ」と思ったら悔しくて不登校をやめた。


高校生の歳になって入った部活は弱小部だったけど、見学に行った全国大会でできた別の学校の友達と同じ舞台で戦いたくて、必死で勉強して後輩を育てて全国大会に参加できるまで押し上げようとした。

たった40人とか50人の部活だったけど、0を1にしようとするのは大変だった。精神を病んでパニック障害になって、ひどいときは授業を抜け出して図書館の隅で発作を起こしたりしたし、未だにその頃から慢性的に起こるようになった手の震えには悩まされている。

結局予選を突破できないまま引退したけど、当時は結構……ジャンヌ・ダルクに喩えられたり、「ラノベの主人公みたいな生き様」って言われたりして、多分客観的に見てもかなり頑張っていたと思う。


「自分も諦めたからお前も諦めろ」って言うのは簡単で、簡単だしきっと誰のことも苦しめない。

それでもわたしは「いやわたし諦めなかったし、それでちゃんと前向きに生きてるし!諦めるって美徳じゃないし」って言っていたくて、それが誰かの100を110にするきっかけになったら嬉しいなと思ったりして。


でも100を110にするって簡単じゃないこと、わたしの根性論めいた矜持が誰かを苦しめるんじゃないかとも思う。

実際学生の頃わたしを慕ってくれていた後輩は頑張りすぎて折れてしまったし、わたしみたいに「不登校になったけど自力で持ち直した」とか「パニック障害になったけど今すごくポジティブに生きてる」とかってものすごいレアケースだと思っている。

こういうわたしの主張を生存バイアスって言うんだろうな。
でも諦められないって悪くないよって言っていたいな。



という自分語りが何だったかというと、「わたしはとにかくあらゆることに本気で食らいついてきた人間なんです、言葉だけじゃないんです」という主張がしたかったのだ。


こうやって成績も部活も仕事もプライドも捨てられずバカみたいに本気で食らいついてほとんどボロボロになりながら100を120にも150にもしてきたわたしはきっとこれからも“好き”を譲れずに100を200にしようと足掻き続けるだろうし、ずっとそういう自分でありたいと思っている。

2000mLのジュースを入れたいのに容器に1000mLしか入らないなら200%に濃縮したジュースを入れればいいと言い張れる自分でありたいと思っている。


近い将来ちゃんと“好き”を“好き”のまま譲らず抱えている自分に出会えますように。



ではまた、長々と自分語り読んでくれた方がいたらどうもありがとうございました。

読んでくれた方が諦めの悪い陰キャ根性論者の自分語りから何か得られるものを見つけられていたらうれしいです。

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