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推しがNHK杯に出た

推しがNHK杯に出た。振った。勝った。
完全にエモから産まれたエモ太郎になってしまったので、アツいうちにこの気持ちを書き留めておこうと思う。

2020年7月5日、NHK杯将棋トーナメントにて近藤誠也七段対山本博志四段の対局が放映された。二人は同い年で仲も良く、以前湾岸将棋教室のイベントレポートにも書いたとおり、何千局と練習将棋を指してきた間柄だ。3年早くプロ入りし、先日にはB級1組への昇級を果たした期待の星である近藤七段と、その背中を追いかける格好の山本四段。山本四段がNHK杯の予選を勝ち抜き本戦進出を決めただけでも飛び上がるくらいには嬉しかったけれど、まさか一回戦がこんな爆エモカードだなんて。組み合わせが発表されたときには卒倒するかと思った。山本四段の棋士人生のシナリオライター、エモを心得すぎていませんか? 藤井九段との対局といい、山本四段は確実に何か「持っている」。

トーナメント表が発表されたのは、3月30日のこと。そこからあれよあれよという間に新型コロナウィルス関連の状況が悪化し、ついには緊急事態宣言の発動にいたってしまった。二人の対局が撮られる前にNHK杯の収録もストップし、過去の映像の再放送に切り替わった。いつ観られるのかもわからないままの状況はつらかったが、逆に考えれば、始まらないということは終わらないということでもある。
つまり、収録・放映されない限り、2020年NHK杯の近藤山本戦は無限の可能性をはらんだまま、永遠に在り続けるのだ。
ほとんどマッドサイエンティストの発想である。本題とはまったく関係ないが、シャーマンキングでいちばん好きなキャラクターはファウストだった。BLEACHは夜一と砕蜂の次がマユリだ。すっぴんよりあの白黒の顔のほうが好きだな。心底どうでもいい話だが。

緊急事態宣言が解除されて日が経ち、放映日が発表されたのは6月も半ばを過ぎたころだった。グワーーーッ、放送されちゃう! ワクワクと不安がいっぺんに押し寄せてくる。NHK杯は本戦出場までに予選で3連勝する必要がある。持ち時間20分の将棋を1日に3局指して、すべて勝たなければいけない。ノーシードであれば本戦に出場するだけでも大変だ。昨年の山本四段は初戦で青嶋(当時)五段に敗れている。それを突破して本戦入りしたのに、トーナメントである以上当たり前だが負けたら即終了なのだ。なのに最初の相手が近藤誠也ってハードモードすぎません? と思ってもう一度とっくりとトーナメント表を見たが、普通にどの山に入ってもハードモードだった。自明!

そして、運命の日は一瞬でやってきた。
7月5日。わたしは10時からテレビ前に待機していた。実は朝から同居人が録画でモニタリングを観ていたのだが、わたしの命が懸かっていることを強固に主張してテレビの使用権を奪い取った。

以前別の記事にも書いたことだが、わたしが将棋好きになったのは、2016年の春先に、NHK杯の過去映像を観たことがきっかけだった。羽生–加藤戦、かの有名な一局である。羽生五段のビジュアル(作画・古屋兎丸かと思った)、軽妙な解説。ルールもわからないのにすっかり魅かれたわたしは、その一局から観る将への道を歩み出したのだ。NHK杯はわたしにとって原点ともいえる棋戦だった。
そのNHK杯に、観る将になって2年半後、初めてできた「推し」が出場する。
山本四段のファンになる前にも「好きな棋士」はたくさんいた(もちろん今も好きだし応援している)。だが、そのほとんどがベテランやタイトル経験のある、いわゆるトップ棋士で、NHK杯はほとんど本戦シード権を持っていた。プロデビューしたばかりの山本四段を応援しはじめて、愚かにもわたしは初めてあらゆる棋戦での「本戦入りの大変さ」を知った。いや、知識として知ってはいたが、ようやく実感が伴ったと言ったほうが正確かもしれない。
わたしがいままで見ていたものは、山のてっぺん近くだけだった。その山の麓にたどり着くだけでもみんな血反吐を吐くような思いをしているというのに、そこからさらに険しく切り立った山道と崖が続いているのだ。なんて恐ろしい世界なんだろう、とゾッとした。山本四段は親しみやすい人柄の棋士だけれど、わたしは彼を応援し始めて、より一層プロ棋士全般への畏怖の念が強まったように思う。

定刻がやってきた。あの笛の音とともにオープニング映像がはじまる。
既に心臓が口から飛び出しそうだった。死ぬ。こんなに緊張してオープニングを見るのは初めてだ。駒を並べる両対局者が映った。感染症対策として、マスク装着のうえ仕切り板がセットされている。いつもの畳に脚付盤ではなく、椅子とテーブルに卓上盤だ。うう、いつものセットで見たかった……おのれコロナめ。これはこれで貴重な映像だけど……!
解説は山本四段の師匠である小倉久史七段だ。あっ、「攻めて勝つ!三間飛車の心得」には大変お世話になりました。読みやすい本をありがとうございます。おかげさまで最近いい感じに捌けるようになってきました。
対局者インタビューの山本四段はとても緊張しているように見えた。いつもは滑らかなお喋りが若干辿々しい。だ、大丈夫かな!? 小倉七段もそこは気にかかるようで、「さっき会ったけど多分緊張してる」「顔より行動に出る、結構おっちょこちょいだからお茶とかこぼさないか心配」と漏らしている。この親心がすごい2020。おかげで少しだけ和んだ。対する近藤七段はさすがの落ち着きだ。これが大先生の風格か……。

振り駒の結果は山本四段の先手番だった。やっぱり持っている。対局開始。少し時間を使って、山本四段が7八飛と指した。近藤七段は居飛車、おそらくは持久戦調になるだろう。まずは穴熊かどうかが分かれになる。近藤七段は香車を上がった。穴熊だ! これは山本四段の秘術が見られるに違いない。得意の形でがっぷり四つに組み合う二人に、興奮が止まらない。穴熊を目指す手に、山本四段は左銀をどんどん進出させる。角換わりの特定の形を「親の顔」と呼んだりするが、ひたすら山本四段の将棋を見て、自分でもノマ三ばかり指しているわたしにとっては親の顔といえば美濃囲いとこのニョキニョキ出てくる左銀である。うちの親、めっちゃアグレッシブ。近藤七段は穴熊を断念し、こちらも美濃に組んだ。
山本四段の三間飛車は、楽しい。あれよあれよという間に手を作って気持ちよく捌く。あまりにも見ていて気持ちがいいので、自分もやってみたいと思って真似して爆死までがワンセットだ。この近藤戦もそりゃもう鮮やかだった。サーカスの空中ブランコみたいだ。ヒヤリとする場面があっても、次の瞬間には見事に技を決めている。相手がお互いに手の内を知る近藤七段だから、身を委ねて飛べているのかもしれない。最後はきっちりと寄せきり、手付かずの美濃囲いを残しての終局になった。やはり美濃囲いは美しい。燦然と光り輝いている。
放映再開後のNHK杯はすべて感想戦の放送がない。おのれコロナめ……(二回目)。うわーん、師匠が割り込む感想戦、見たかった。でもマスクの奥、明らかにめちゃくちゃニコニコしている山本四段の目が見られたのでギリギリ許そう。来年以降は許さないから、コロナくんは年内にきっちり終息するように。
余談だが、勝ったあとの山本四段、全身から嬉しさが滲み出ているようなはじける笑顔がとてもおもしろ可愛いので、是非終局後は名人戦棋譜速報や中継ブログの写真をチェックしてみてほしい。パアァ……ッて効果音を横に書き加えたい、いいお顔をしています。

そんなこんなで、わたしの日曜日は終わった。
山本四段がいい内容で勝ってはちゃめちゃに嬉しいけど、近藤七段がNHK杯初戦で消えるのはもったいないし、3月からずっと楽しみにしていた対局が終わってしまったのも残念だ。推しの勝利を喜ぶ気持ちと、相手の負けを喜ぶ気持ちはまったくイコールではない。近藤七段もまた応援している棋士のひとりだからだ。将棋を観ていると、どんどん好きな棋士が増えていって局後の情緒がぐっちゃぐちゃになる。助けてくれ。今も嬉しさ78%寂しさ22%くらいの気持ちがまとまらず、この文章を急ぎ認めている。

……とりあえず、次戦も猛烈に応援だ。次は八代七段を破った屋敷九段が相手である。え、ハードモードすぎん? ニンジャスレイヤーを読んで備えよう。

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