アメリカのにんじんが苦手だ

突然だが、この春からアメリカ、南カリフォルニアのあたりに住んでいる。
夫がうっかり働きすぎて海外転勤を言い渡されてしまったためである。


元々私たちは京都の大学演劇をきっかけに出会った夫婦で、
卒業して二人とも会社勤めになってからも、
さまざまなご縁に恵まれて細々と演劇を続けていた。

私は個人ユニットを標榜しながら劇作家として活動していて、
夫は同じような兼業の友だちで寄り集まった劇団に所属しながら
照明家としてそれなりに色んな人々の信頼を得ていた。
「これからも我々は首都圏郊外に住み続け、細々と演劇をやり続けることになるのだろう」――と思っていた。

夫からアメリカ駐在の打診を受けたという第一報を聞いて
「海外転勤なんてあるの!?」
とひっくり返ったのはいまだに鮮明に覚えている。

打診の段階では拒否権はあった。
演劇を続けないといけない、と思っていたし、
夫が演劇をやるために駐在を断るなら、それがいいと思っていた。

ただ、(いまだに何というタイミングだろうかと思うのだけど、)
彼が東京で長らく所属した劇団が、その少し前に解散したばかりで。
良くも悪くも、演劇に、劇団に、照明に捧げてきた時間が若干浮いて
人生を大きく方向転換できてしまう身軽さがあった。

夫は仕事のこともとても大切にしていて、
決して自分のために投げ出そうとはしない生真面目さがある。
何日も何日も悩みに悩んだ末、彼は現地法人に行ったこともないまま、
転勤を受け入れることに決めたのだった。


私はといえばのんきなもので―—
なんて言って夫の株を上げてあげたいのは山々なのだが、
正社員だったのでそれなりに退職の引継ぎにも苦労したし、
退職後は引っ越しのかなりの割合が私の仕事になるしで
これがとんでもなく大変だった。

転勤は家族にも大きな負担がある、
……なんて言葉で言ってもなかなか響かないだろうけど。
もう少し早くから引継ぎに入ってくれれば、
3月をもう少しゆとりを持って過ごせれば……と思わずにはいられない。

準備だけじゃなく、このあとだってたくさんの懸念があって、
最悪、もしも将来この人と別れることがあれば、
”キャリア”というか「会社歴」とでも言うべきものを失う私ばかりが
転職市場で買い叩かれて貧しく暮らすことになるのだろうし。

そういう何とも言えない腹立たしさも抱えながらだけれど、
とはいえひとまず今はこの人を信じていて、
それなりに欠点込みで愛していて、ついでに面白そうだから、
リスクは承知でついてきた。
ついてきたのだから、楽しまないとな、と思う。


最近は、
まだ運転免許も国際免許しかないし(現地免許を取る必要がある)、
ESL(英語教室)も決めてないし、
そうすると普段から会えるような友だちもいない。
まだまだうまく適応できているとは言いがたいままだが、
ひとまず徒歩圏内のスーパーに一人で買い物に行くことができるようになった。

当地の野菜は日本とは色々と違っているが、
にんじんが全然違うことが一番の驚きだった。
細くてにょろりと長く、日本のにんじんと比べるときわめて青くさい。
じっくり加熱して甘みを出しても、まだ青くさい。

アメリカで一般に食べられている品種は日本のものより原種に近いらしい、
と書いている人がいた。
真偽はわからないが、昭和のにんじんってこういう味だったからにんじん嫌いの子どもが多かったんじゃないだろうか。
基本的ににんじんが好きだと思って生きてきたんだけど、
これが一般的なにんじんだったら私はにんじんが嫌いな子どもだっただろうな。

また、折れたものがベビーキャロットとして加工されて売られているらしく、
昔のハンバーグの隣によく描かれているにんじんグラッセそのものの形をしている。
そういうことだったのか、と、初めて見たときは目から鱗が落ちた。

それなりに知っているようでいて、やっぱり私にとっては知らない国で、
どんなに調べたって、知らないことをたくさん経験する。
それが面白くもあるし、大きな不安でもあるし。

これからもっと外に出ていくにあたって、
怖い思いをしたり傷ついたりすることもあるだろうけど
なるべく面白がっていきたい、とは思っている。

にんじんの味、なんていう些細な話も含めて
驚きはポジティブなものばかりじゃないけど、
そういう悲喜こもごもの”貴重な経験”を持って帰らなくてはね。


役に立つ話は一つもしないつもりで、
つらつらとこういう日記も書いていこうかと思っています。

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