「いい奴」は存在するのか

「あいついい奴だよね」などということを聞く場面は多い。「いい奴」とはどのような定義の「いい奴」なのだろうか。

「いい奴」と呼ばれる人間の中で本当にいい奴は実は少ないのではないか、と私は思う。「いい奴」というのは、その人にとっての「都合のいい奴」である場合も多いのではないか。自分を否定しない、自分のいうことを聞くなどの理由で「いい奴」と呼ぶだけではないのだろうか。または、周りの「あいつはいい奴だよね」という流れによって、「いい奴」と呼ばざるを得なくなっているのではないか。「いい奴」と呼ばれている人ほど心の中で何かを思っているかもしれないし、「いい奴」というポジションにストレスを感じているのかもしれない。「いい奴」と人を評価することについて考える。

私は人はそれぞれ多かれ少なかれ、良い部分があると思う。「いい奴」と呼ばれる人は、他人よりも「良い部分」が少し多い、ということなのではないか。つまり、「いい奴」と簡単にまとめてはいけないのだと思う。人それぞれ長所だと思う部分は異なるし、「いい奴」と呼ばれる人間にも欠点は必ずある。繰り返しになるが、単純に「いい奴」と片付けるのではなく、「〇〇なところがいいよね」「△△な部分が好き」というように、いちいち褒めるべきなのである。

私はこのように考えているので、まず「いい奴」と呼ばれる人をよく観察するようにしている。また、「いい奴」と呼ぶ流れを作らせないようにしている。「いい奴」は本当に存在するかもしれないが、「いい奴」とざっくり人を評価するのはやめたほうがいい。


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