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勤労1年、人生23年

年度末に生まれた僕は、歳を数えるタイミングで何かしらの歴も一緒に加算される。学校はいつも休みの期間で、友人に教室で祝われたり、などといったことは殆どない。

冬の冷たい空気にも慣れ、日差しが暖かくなり始めるこの時期は歳が増えると同時になにかが節目になることが多い。

今年は大した節目とかではないが、社会人として働き初めて1年目が終わる。ヒトとしては23歳、社会人としては1歳になるらしい。

サラリーマンは、すごい。

週の5/7を仕事に費やしている。毎日朝早く起きて満員電車に乗り込み、夜遅くまで働き、週末のひとときでリフレッシュをしてまた一週間が始まる。

「そんなに嫌ならやめなよ」とか、そういった正論・極論で論破した気になって自己陶酔に浸る人間は苦手だ。

資本主義の真っ只中で生きていくにはそれなりの競争や努力はしなければならないし、そうした人間ほど基本的に仕事でしか自分の存在意義を得られなかったり、実は自分も我慢して働いていたりする。

ただ、仕事にやりがいや生きがいを感じているのは素晴らしいことだと思う。生きるために我慢して働きお金を稼ぐよりも、楽しく働いて稼いだほうが幸せではあるだろう。

実際に日本で働くのであれば、業界・職種をしっかりと選べば一生安泰な企業なんて山程ある。AIが、5Gが、デジタルトランスフォーメーションが、なんて世間は騒ぎ立てるが、実際それで効率化される仕事もあればその逆も然りなのである。

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普通に生きていて自分のやりがいや生きがい、存在意義を感じることは難しいことであるが、「仕事」においてそれらを感じるのは手軽であると思う。

基本的な仕事は多分、与えられた「仕事」のなかで自分なりに目標ややり方をあれこれ工夫して達成する。

大抵の場合、達成すれば評価されるし、結果は金銭や昇格、数字などにわかりやすく現れる。会社員として働くのであればそれはなおさらわかりやすいだろう。それなりの会社で働けば、それなりの生活を担保することもできる。

ただ、仕事以外でやりがいや生きがい、存在意義を感じるとなると、自身で「結果」としてなにかを感じるのは難しいことかもしれない。

評価も結果も自分次第ともいえるし、外からの強制力が働くわけでもなく、金銭的なインセンティブに結びつくともいい難い。(結びつくことはもちろんあるけど)

僕は仕事よりも自分のなにかでやりがいや生きがいを感じていたいタイプだが、そうでない人も世の中にはたくさんいるし、そういう人は会社で働けばそれなりに出世できるはずである。きっとやればやるほど仕事が生きがいを与えてくれるのだろう。

僕が魅力を感じる人間は、自分自身にやりがいや生きがいを求めるタイプの人々だ。こだわりが強い人は魅力的だ。こだわりは時に人間関係をややこしくするけれど、持論であったり意見であったり、人間として大事な部分だと思う。

結局なにが言いたいのかはわからないけれど、俗にいう「仕事人間」の共通点を見つけたような気がしていて、なんとなく納得している。

人生100年時代というものの、もう1/5を通過していて焦る。

ナルトで言えばサスケが里を出るくらいではないか。1/5が経過しても大した結果を残すわけでもなく、コソコソと気持ちの悪い文章を書いて情けない傍ら役に立つわけでもない持論を育てている自分が情けない。

ただ、まだまだ何が起きるかわからないこの先に少し楽しみでもある。
勤労1年、人生21年。今年もまた数字が増えた。

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