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モンゴル帝国に学ぶ

史上最強の男は誰か?
そう聞かれれば僕は間違いなくチンギス・ハンと答えます。

今から900年ほど前にモンゴルで生まれたチンギス・ハンはわずか1代で人類史上最大規模のモンゴル帝国の基盤を築きました。
当時のモンゴルは東は朝鮮半島から西はトルコまでを侵略していて、世界の大陸の4分の1がモンゴルという時代があったんです。
チンギス・ハンはこの巨大帝国の礎を1代で築き上げた男なんですね。
まさに最強です。(笑)

チンギス・ハンがここまで侵略を広げることができたのには理由があり、1つには遊牧民族ならではの馬の使い方の妙があったといいます。
ジャムチと呼ばれる交通網の整理方法を駆使して、宿場を30キロおきに配置し食料の補充や馬の乗り換えが出来る様になることで高速かつ遠距離の移動を可能にしました。
現代の「駅」という漢字に「馬」という文字が入っているのはこのジャムチが由来と言われています。

モンゴル民族は馬と弓矢の名手が多かった為、広大なユーラシア大陸での戦いにおいて圧倒的な実力を発揮しました。

あるイギリスの軍事史専門家は「チンギス・ハンに太刀打ちできる人間は歴史上、ナポレオンくらいではないか?」と言っているのですが、そのナポレオンもロシアを侵攻しようとした際には「冬将軍」こと、寒さにやられて退却しています。
しかし、モンゴル民族は寒さにも強かった為、侵略はロシアの南部にまで及んでいたんですね。

民族的な強さに加えて制度、インフラの整備によって圧倒的な支配を行っていたわけです。

こんな最強のモンゴル民族に戦争で打ち勝った数少ない国が日本です。
歴史の事業で学んだ「元寇」ですね。
時代はチンギス・ハンの孫のフビライ・ハンの時代に移っていましたが、馬や弓矢を活かして広大な土地での戦を得意とするモンゴル民族に対して、元寇は現在の福岡県が戦場で主には海の上が戦場になりました。
モンゴル軍は2~3万の兵力で2度に渡って侵攻を試みましたがどちらも日本軍は地の利を活かして返り討ちにしたんですね。

ただ、日本も元寇によるダメージは少なくなく大名や武士の不満が一気に爆発し鎌倉幕府を滅亡へと追い込みました。
その後はご存知の通り、日本も戦国時代へ突入し織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった歴史上のスター達が誕生していくわけなのですが、この流れを作るきっかけとなったのは意外にもモンゴル民族の影響も大きかったわけです。

思いもしない敵からの突然の攻撃の対策を求められたことをきっかけに、皆の不満が爆発して大きな変革に繋がる。

僕は今回の新型コロナに関しても似通ったところがあると思ってます。

歴史的に見ても変わることは必然。変化に対応出来たものだけが生き残る。
より時代の流れを注視していないと取り残されてしまうかもしれませんよ。

ではまた!



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