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犬の夢について

夢でよく出てきていた犬について、改めて考えてみました。
私の夢に出てくる犬はどちらかというと懐っこく、自分の足にひっついて尻尾を振って警備をしないというのが多いです。
庭で排泄した時も、人の顔色をみて様子を伺っていました。笑
ぬいぐるみのような犬も警戒心がなく、ふわふわとして地上的ではありませんでした。

11力のカードの人物の下半身には動物がいますが、犬をこの位置の象徴と考えると、彼は哺乳動物としての私ではないかと思います。
同じように18月のカードにも境界線を守る犬がいますが、犬とどう関わるかという事と月には関係があるのだと思いました。
そして、意味を一つにしないなら、犬や猫などは、シリウスやアルゴルの意識にも繋がっているように思います。

12/1の夢で、ビンデミアトリックスと考えている部屋で、父が本に書かれた一節を気に入って読んでいました。
父は同じ本を二冊持っているらしく、私も借りて途中まで読み、栞を挟んで一度返し、部屋を出ました。
部屋を移動して、古い橋のような、階段のようなものを渡りました。
その階段は埃が被っていて、物が散乱してどんどん上から落ちてきたので、ぶつかって足を踏み外す可能性もありました。
上は電気のつかない屋根裏部屋のようになっていて、その頃には、私は一人ではなく、複数人と行動していました。
部屋には、複数の猫がいましたが、その中には硬直して固まった猫がいて、私は窓を開けようと思っていました。
何かの音がして、その方向を振り向くと、シャッターが開いてコウモリの集団が現れました。
気が付くとコウモリに捕まって、部屋には穴が空き、下の川に落とされそうになっていました。
川に飛び込まなければならず、死ぬのだと思いましたが、見ていると川から何か光のような形のようなものが上がってきていて、タイミングよく飛び移ることが出来れば、死なないだろうというような心情でした。

この夢を解釈してみると、はじめに父が読んだ一節、アカシックの中に入っていったかのような夢だったと思います。
それがどんなものだったかというのは深く残っているのに、目覚めると忘れてしまい、目に残る形で残っているサビアンではありませんでした。
夢の具体的な内容に、射手座の28度と似ている、と思いましたが完全にこのサビアンだとは言えないものでした。

古い階段とは、シリウス意識のひとつと考えてもいいのではないかと思います。
屋根裏部屋のようなところに入る頃には、自我がばらけていて私は複数になっていました。
部屋の床には猫が沢山いて、仲間も複数いたという事は、仲間と猫が=の関係ではないかと考えます。(重なっていたのだと思います)
私は固まった猫(水)を見つけ、窓を開けようと思いましたが、音の方を振り向くとコウモリの集団が現れました。
彼らは、それまでと対極にある意識の象徴ではないかと思いました。
窓を開けようとしたので、そこに動きが出て反勢力のような存在として出てきたのだろうと考えます。
つまり、私は固まった猫、凍った水だったのですが、窓を開けようと思ったのは外に出ることなので、影が迎えに来なくてはなりません。川に落とされそうになったのは、その開放ということになると思います。
川はより大きな意識のことと考えると、固定された記憶を大きなものに変容させるというような事かと思います。
その時に、上手く繋げることが出来れば死なないと思いましたが、この時の死なない、とは記憶が途切れない、という意味かと思います。
シリウスは単に動物というよりも、液体になってみたり筒になってみたり、と、その多様性について考え出すと何にも固定できないと感じます。
エジプト時代にシリウスを信仰していたというのを考えてみると、シリウスから繋がれる世界というのはかなりバラエティがあるように思いますし、創造と解放ということにも関係が深いように思います。

12/2の夢では、水瓶座30度のサビアン「アーダスの咲いている野原」には5が隠れているというものでした。そして、また犬というのも出てきました。
この日は、ふと、水瓶座30度のサビアンが気になり、意識してみた夢だったのですが、銀色の扉のようなものが出てきました。
扉の入り口からは、海のような溶けた場所から数人が顔を出している様子がみえました。

松村先生のサビアカには、確か、フォーカス27のような、死後に行くお花畑のような場所、月のステーション、というような内容が書かれてあったと思います。

私が見たのは、海のように溶けた、暖かそうなイメージで出てきました。
このサビアンに5が隠れているというのを解釈してみると、タロットで5は「教皇」のカードですが、教皇は天と地の架け橋であり、占星術では5ハウスの獅子座の遊びや創造、内的に、ということにも関係が深いと思います。
水瓶座は獅子座の180度側なので5が隠れているというのは不思議ではないのですが、30度という意味や水瓶座を11と考え、タロットの「力」のカードなどに関連付けて考え出すと複雑になってきます。

タロットカードの11「力」の人物は、動物の口を開いていますが、動物を意識的に扱うという事と考えると、最近犬の夢が多かったのも、月を意識的に扱っていくという事でもあるのかなと思います。
犬を脳の旧皮質に似ていると考えると、夢の犬に対して感じた柔らかさ、愛情をどう扱うのかというのも、このサビアンに繋がっているのかもしれません。
日常の意識に合わせた解釈だと曲解するようなもので、同化せず、感情に配されない思考のことなのだと思います。
私の見た犬の場合、それはおとぎ話の国の犬なのかというと、本質ではなく一つの壁で、掘り下げていけばそれと近いものの中に似た柔らかさがあるのだと思います。
これは「音楽は何にも役に立たない」というのと似ていて、何かの意味にせずに理解するという事でもあると思います。
例えば、童話は憧れを作りますが、同時に壁を作り固まり過ぎるとエゴになります。ここから離れてみてみると、色のついていない水に気付くものなのかもしれません。
低自我は通路になると考えると、月の記憶という場合、エーテル体の記憶でもあり、今の身体からは、はみ出たものなので、この犬を育てることで通路が出来るという事かと思います。
そう考えると、前回は歯医者の夢でしたが、蠍座9度と関連付けると、蠍座の生命感覚と9という上昇しようとする数字が組み合わされたものと考えられます。
犬をすべての部屋に行けるように扉を開けて飼ったというのは、月のエリアにシリウスとアンタレスが組み合わされた通路を作った、というか再生したということかと思います。

水瓶座30度というのを考えてみると、下が0の枠で、まだ1になっておらず、上には3、創造の三角系が動いています。
水瓶座なので風の固定宮で動かないものなのに、30度なので次の1に入る為にそれまでを無意味化した共時性、集合意識、というような場所と考えます。

以前、夢でスピカを探索した時に、五角形の海というのを夢で知ったのですが、この「5が隠れている」というような表現は、その時の内容にも少し似ています。
五角形は火の形で、地球と火星の間の正十二面体と考えられますが、これが海という表現なので左の柱の上昇の通路、金星が混ざっているような表現です。
人なのに海、火星なのに金星みたいな、異なる性質の合体のような表現で以前はよくわかりませんでした。
ですが、今考えるとマカバのことかなと思います。これがこのサビアンに隠れているので育てている、というような事なのではないかと思いました。

12/3の夢では、カフェで二つのドリンクを飲んでいました。
温かいものと冷たいもので、その後家に帰ると、いつもと違う町に出てしまい、巨人が歩いていました。
巨人の母とその子供がいて、柵を超えて階段を登り家に入ったので、後をついていきました。
家では何かのディスクを回し、取り出しました。
道の角で、スネ夫君のような雰囲気の黒髪眼鏡の少年の話になり、その子が笑いを取るつもりが、暗い穴を作っているというような内容でした。

この日の夢では、反対の性質のものが掛け合わされたような夢だったと思います。
温かい飲み物と冷たい飲み物、笑いと暗い穴というような。
この笑いを取って暗い穴を作るというのをどう解釈するか、否定的にも肯定的にも考えることが出来るので、今のところ解釈が難しいです。
もしかすると、2の性質が隠れているのかもしれません。

今日の夢では、複数の容器に髪を切り、その後、掃除をしました。
似た黒い下着があり、そのうちの一つを買い替えようと思っていたのですが、捨て方があるらしく兄に聞きました。
新しい下着を買いに行ったのですが、その頃には幼い子が棚の海苔を取ってほしいと言ってきたので選んで渡していました。

下着を買うつもりが、海苔を持っていたので、下着を海苔で作るという事なのではないかと思いました。笑
と、言っても自我を乗せる通路で、これを子ども、月に渡しました。
海苔は海からできているので、海に繋がる通路かと思います。

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