【逸話から考える】家康ってどんな人?
歴史で徳川家康は習ったけど、性格面はどんな人だったんだろう?そんな疑問に答えられそうな逸話をまとめました😌
前提知識なしで分かるように解説していきますね!
健康志向
家康は当時では長寿で75歳まで生きましたが、健康志向だったからとされています。💡
天下を目指すためには、自身が健康でないといけないという考えに基づいていたのだと思います。🤔
食べるものを吟味し、そして食べ過ぎないようにしていました。
より健康でいるために、自ら薬草の研究もしていたようです。
また、衛生面でも気を遣い、関ヶ原の戦いでは石鹸を用いて感染症を防いでいたと言います。
お金の使い方
自身の家は実に質素で、家臣にも節約を教えていたようです。
ただ、同盟相手だった信長を接待する際には豪華にもてなすなど、現代に通じるお金の使いかたをしていたと言えます☺️
多趣味
薬草の研究もそうですが、数学や幾何学を学んでいました。
また、日本で初めてえんぴつを使ったり、砂時計や洋風の時計を集めていたり、色んなものに興味を持っていました。
歴史も好んで学んでいたようで、家康ほど日本史をしっかり学んだ武将は珍しいと言われるほど。
子孫の「水戸黄門」こと「徳川光圀(とくがわみつくに)」にもその姿勢は受け継がれ、「日本史」をまとめるに至りました。
義理を重んじない
少し薄情と思われることもしばしば。😂
元々今川側にいましたが、織田信長が今川を破るとすぐに織田と同盟を結びます。
そんな信長が本能寺の変で倒れると秀吉につきますが、秀吉が病で倒れると、「大坂の陣」で豊臣家を滅ぼします。
勝つためとはいえ、鞍替えをしまくるのは、日本人が家康を嫌う一因かもしれません💦
日本人から嫌われがちな家康
昔から源頼朝より義経が、足利尊氏より楠木正成が、大久保利通より西郷隆盛が好きという傾向があります。
判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉があるように、弱く非業な死を遂げたほうがアツい!という風潮が原因です。
義理人情もなく豊臣家を滅ぼした、長生きしただけ、ずる賢いなど野理由で嫌う人が多いです
おわりに
このエピソードをみてどう感じるかは人それぞれですが、私は色んな意味で嫌いになる人の気持ちは分かるな〜と感じました。
狸じじいというあだ名もなあったくらいですのでw
ただ、印象は常に権力者に操作されるもの。常に俯瞰していつでも真実か?という疑問を持って生きたいものです🤲
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