まだこの世界を受け入れられない話

私の知っている世界が変わってもう3ヶ月が経つ。日常が変化したことをまだ受け入れることができていない。きっとそんな人たくさんいるし、私より辛い思いをしている人なんてたくさんいるのもわかっている。

都会にいると危ないから、と親が車で迎えにきて実家に帰ってきた。帰省を自粛しろと言われる中帰るのを気が引けたし罪悪感がすごい。引っ越したばっかりの新築のアパートもこの間にルームフレグランスの匂いがなくなってしまいそうだ。外に1歩も出れないストレスがたまる中で家族と過ごすのは日が経つに連れてそれぞれのイライラをぶつける日々になってしまっている。

こんな世の中でも何か楽しみがあればな、と思う毎日が続いている。趣味であったお笑いライブは全て中止になり週2で通っていた身としては全ての楽しみを奪われた気持ちだ。2月25日に3ステした日が最後のお笑いライブだった。綺麗に最後を締めくくったかのように3ステもしていた。私にとってお笑いライブは1番の楽しみで生活の一部で生きる糧だった。劇場に行くまでの如何に地下を通ってたどり着けるかを1人で考えたり、早く着きすぎて用もないドラッグストアに入ったり、ライブとライブの合間にねぎしで牛タンを食べたり、全部がお笑いライブの一部だった。3月も4月も当たり前のようにチケットをとっていたし、無感情でそれを払い戻しした。こんな生活にも慣れてきたかと思ったけれど、ライブの思い出を振り返りながら電車に乗った日を思い出すと泣きそうになってしまう。今まで通り無限大に、神保町に、バティオスに、ブイワンに行ける日はいつになるのかな、満席のバティオスで笑えるのはいつになるのかな、って考えると寂しくて、悲しくて、どうしようもなくなる。まだまだ普段の生活に戻るのが難しいのは自分でもわかっている。家族で様々な施設が再開するニュースを見ながら話していても両親は否定的な意見ばかりだ。そう思うのもわかるし、私だってわかっている。だけど、それがまだ受け入れられない。こんなに世間が受け入れているのにまだオリンピックが延期になったことが悲しくて堪らないし、楽しみにしてた単独ライブがなくなってしまったことも、満席のバティオスに行けないことも、間にシールドを挟んだマイク2本の漫才を見ることも受け入れられないでいる。

世間の多くの人はこの新しい生活様式を受け入れて、適応して、慣れていこうとしている。私はそれができずに毎日逃げてばかりいる。どう考えてもお笑いライブには行きたいし、早く新宿サブナードを歩きたい。シールドを挟んだ漫才よりもいつも変わらないラジオばかり聞いている。いつまでも現実から逃げて受け入れられない自分が嫌になってくる。こんなこと誰にも話すことができないし家族や友達にはわかってもらえない。ここで言葉にすることで少しは寂しさから紛らわしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?