盆踊りと夏フェスと差別化について考えてみた。

こんばんは、ぎゅうたです。

コロナが5類に引き下げられて初めての夏。
近所でも数年ぶりのお祭りが大体的に開催され、かつて見たことないくらいの人出でした。

お祭りの帰りに妻と話をしていたら、
妻の地元のお寺が開く盆踊りがちょっと変わった盆踊りだという話になりました。

何が変わっているのかというと、
なんか「チャラい」んです。

僕のイメージする盆踊りは、

・日本の伝統的なお祭りの一種
・日本的な音楽や楽器に合わせて踊る
・踊りも音楽もゆるやかで老若男女参加できる

こんな感じです。

しかし妻の地元のお寺の盆踊りは、

・マイクパフォーマンスがある
・ポップスがかかる
・会場一体となる「一休さん音頭」
・お坊さんがナンパOK!

と本当に盆踊りか?と思えるような特徴。
どちらかというと夏フェスやライブ会場に近い盛り上がりをするそう。

お坊さん達が主体となって盛り上げるため、
「坊主フェス」とも言われるようです。

って「フェス」って言ってるじゃん笑

それが今年久々に開催されるということで、
非常に興味を持ったので行ってみたかったのですが、残念ながら今年はもう終わってしまったようです。

僕はフェスもライブも好きなので、
是非来年は行かねば。
と思ってます。

と、ここでふと思う。

"そもそも盆踊りも夏フェスも、なんならクラブとかも根本的には一緒じゃん"

なぜなら、
・音楽
・一体感
・盛り上がり

そういった要素は一緒です。

仮に「盆踊り」と「夏フェス」が対極にあると仮定して、
この二つを結んだ線上に「坊主フェス」がある。

つまり、
「盆踊り」も「夏フェス」も「坊主フェス」も姿形は違えど、
"音楽に合わせて歌って踊って盛り上がるイベント"という意味では同じもの
なんじゃないか。

そしてその姿形の違いによって、
刺さるターゲットが変わってくる。

「盆踊り」の場合は、年配の伝統を重んじたり地域の繋がりや活性化を大事にする方

「夏フェス」の場合は、音楽が好きで、一体感や盛り上がりが好きな方

「坊主フェス」の場合は、それらの間。ファミリーや若者も日本の伝統に触れやすく地域の活性化に繋がります。

大きくみたら同じものごとでも、
ターゲットに合わせて姿形を変えることで、
より深く刺さるものにすることができる。

つまり「差別化」です。

よく差別化が大事と言われますが、
差別化の仕方として参考になるなーと思ったので、

今回は
「大きく見たら同じだけど、姿形を変えて別のものに見せる」
という差別化の方法について考察していこうと思います。

①大きく見たら同じ

何となくこんな表現になりましたが、
「大きく見たら同じ」ってどういうことか?

これは単に
ものごとを抽象化して捉えると同じ
ということ。
他の例を考えてみます。

たとえば、
マクドナルドと吉野家は
「大きく見たら同じ」です。
どちらも、
安く、早く、旨くお腹を満たせるお店
だからです。

たとえば、
動画配信サービスと遊園地は
「大きく見たら同じ」です。
どちらも、
コンテンツ(アトラクション)を通して、
エンターテイメントを提供するとともに、利用する人の時間を消費するからです。

なぞかけみたいになってきた笑

こうやって考えてみると
「大きく見たら同じ」というのは、
その目的やニーズが同じで、
別の切り口からそれに応えているということ。

言い換えれば、
お客様が求めていることの「本質」
またはそれに近いものに対して、
「さまざまな角度」からアプローチしているということなんじゃないかと。

この「さまざまな角度」が
差別化につながっていくはず。

さらにこの考え方、
TTPにも活かせますよね。

TTP=徹底的にパクる

TTPが大事だとよく言われます。

でもこれ、上辺だけでは意味がないし、
それは「悪いパクリ方」です。
倫理的にも法律的にも。

たとえば、ハイブランドの新作を見た目そのままにファストファッションのブランドが模倣した物を発売して訴えられたり。

これは見た目という上辺だけを「パクって」いるだけだから。

でもTTPが重要だと言われるところの「パクる」ということはそうではないはずです。

先程の「大きく見たら同じ」の考え方と同じようにすればいい。

目的やニーズなど、本質の部分を「パクる」こと。
それに対して、自身の考えや色を肉付けして
姿形の違うものを作り上げること。

それはもう自分だけの別ものです。

これがTTPが重要と言われる本質なのではないかと感じます。

②TTPするために

じゃあTTPするためにはどうしたらいいか?

結論としては、物事の本質を捉えること。

物事の本質を捉えるためには、
物事を抽象化して見ることが必要です。

その抽象化した本質の部分を徹底的にパクる。
そして自分なりの解釈で再度具体化する。

これってつまり、
「大きく見たら同じ」なんです。

これがTTPの流れかなと。

それで思いだしたのが、
「カノンコード」

実は僕は音楽が好きで、
自分でも作曲したりすることもあるんですが、

この「カノンコード」は、
おそらく誰もが聞いたことあるであろう、
パッヘルベルという作曲家の「カノン」という曲のコード進行のことです。

ちなみに「カノン」は僕の好きなエヴァンゲリオンでも使われている曲です。

ご存知の方もいるかもしれませんが、
このコード進行、現在も様々な曲に使われています。耳馴染みがいいため、「ヒット曲の法則」と言われる程です。

たとえば、
スピッツの「チェリー」や
あいみょんの「マリーゴールド」
なんかはこの「カノンコード」が使われています。

でも「カノン」も「チェリー」も「マリーゴールド」もメロディは全然違いますよね?
むしろ全く別の作品です。
でもコード進行は同じものが使われているんです。

音楽も含めて芸術はパクリに敏感です。
でも「マリーゴールド」が「チェリー」のパクりだとは思わないですよね?

これはコード進行が一緒という、
「大きく見たら同じ」というだけで、
メロディという「自分なりの表現」をしているからなんです。

実際にはキー(高さ)も違ってたりするので、
あの曲とこの曲が同じコード進行というのは、
聞いているだけだと全然気づかないと思います。

でもこのコード進行でこのメロディをつける
みたいなことが差別化になるわけです。

これ、僕は昔から知っていたのですが、
文章もコンテンツも発信もこれと同じじゃん!
と思ったんです。

コンテンツ作成や
Twitter運用や
マネタイズの仕組み化など

ある程度方向性は同じなわけです。

ただそれぞれのやり方があったり、
表現方法が違ったり、
そこでみなさん差別化してるわけです。

「大きく見たら同じ」なんです。
その抽象度を少し下げて、
"キーまであわせる"
"考え方までパクる"
こういった微調整はあるとは思います。

でも本質は、
"ちゃんと本質レベルを理解して、自分の色で表現する"

これがTTPの真髄かなと。

何が言いたいかというと、

これができるようになれば、
彼女や奥さんとの会話で、
"何食べたい?"
"なんでもいいよ(なんでもいいとは言ってない)"
に対して満足させることができるようになります。

いや、色々ごめんなさい。。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回は以上にします。






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