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本当にするべきことなのか②

昨日の続き。

片道2時間かかるクリニックで、予約時間は午前中。
それでも、先の見えない治療が不安でずっと緊張していたのだろうか。
前日寝るのが遅くなってにも関わらず、自宅を出る時間の2時間前には目が覚めた。
予定より早く家を出たものの、クリニックのある場所が今まで行ったこともない土地で土地勘も何も分からず、結局到着したのは予約時間ギリギリ。

これから定期的に通うことになるかもしれないクリニックの遠さに、到着早々少し不安になった。

クリニックは綺麗なところで、地域の利用者が多いのか私のように遠方から来ている人も多いのか、予約制で個人病院にも関わらず私が行った時点ですでに多くの人が待合場所に座っていた。

夫婦で来院している人たちや、結婚指輪をしている人たちの姿を見て、改めて夫がいない状態でその場所にいる自分がなんだかとても惨めに思えてしまって、自分が選択してその場所にいるのだけれど、夫婦でこんなに真剣に取り組んでようやく授かれるかどうかの妊活に対して、受精卵ではなく40歳手前の卵のみの状態で凍結保存する卵子にどれだけ意味があるのだろう・・・と現実を突きつけられたように感じた。

また診察前に問診票をWebで入力されられたのだが、未婚で結婚予定もない自分は、家族構成を記入する際に「夫」の欄は適当に自分の名前と生年月日を入れて欲しいと言われた。
本来夫の情報は飛ばすことができない質問で、何かを入力しないと次の画面に進めない。妊活をする上で、当たり前の情報入力なのだ。
「私のように誰も相手がいない状態でこの問診票を入力する人は、今この待合室には誰もいないだろうな・・・。」。
自分の状態は分かりきっていることではあるけれど、いざ現場にいきその状態と周りとのギャップを見せつけられると、勝手に切なくなってしまう。

診察に呼ばれるまで、ずっと自分の心の置き場を探していた。

その日は、医師の診察ではなく看護師からの卵子凍結にかかる費用や実施にあたっての注意事項、家族からの同意についての事前説明のみだった。

そうか、やっぱり家族の同意書は必要か・・・。

今回のことに関して、家族には一切話していない。
私の場合、同居している兄弟は保証人になれるような立場ではないし、話して理解できることでもない。理解しようとも思わないだろう。
逆に、何も言わず「ここに名前を書いて。」と言って姉の私が書類を出せば何も考えず書いてくれるので、家族の名前をかいた同意書を用意するということのみであればやろうと思えばできるが、本来の同意書が持つ役割は全く果たさないだろう。
そうなると、離れた場所に住む父になるのだが・・・。
あまりいい顔はしないだろうが、自分のできる資金でやる分には反対はしないだろう。
基本的に私が自分で決めたことに対しては、多少の心配はあれど否定も応援もしない人だ。

母がいれば、返ってくる答えは違うだろうか。

母が生きていれば、私にどんな言葉をくれただろうか。

卵子凍結にかかる費用や、実際に凍結した卵子を使用して妊娠することができる可能性の低さ。
そもそも今の私の状態で、卵子が採取できるかどうか。
事前に調べて、ある程度の覚悟はあったものの、実際に看護師からの説明を受けてみて改めて感じた現状での「自分の子どもを持つ」ということの厳しさ。

説明終了後、看護師からは、もし卵子凍結をするようであれば家族の同意書を用意し、現在かかっている心療内科の医師にも相談した上で、次回の電話予約をとってほしいと言われ費用や治療に関する資料と同意書類一式を渡された。


今は動けるとはいえ、月に何回も往復4時間近くの車の移動。
保険の効かない治療。
かかる費用。
採取できるかどうか分からない卵子。
採取できたとして、受精卵にできるかどうか。
そもそも受精卵ができるのか。

先の見えない治療。

「子どもを持ちたい」という自分のエゴ。

それに自分の身体と費用がどれだけ持つのだろうか。


帰りの車内で、自分がどうしたいのか分からなくなって斉藤和義の「歩いて帰ろう」を流して運転しながら号泣していた。

このことに関して「答え」なんてなくて、結局は自分がどうしたいか。
自分の気持ちの落とし処を探す作業なのだけれど、まだ結論は出せていない。


今週末は父の日。
もう少し落ち着いたら父に会いにいこう。







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