演歌嫌いの私に、演歌の心があったという話
noteを始めた頃から相互フォローさせていただいている、斎藤雅記さん。
作詞家をされていた斎藤さん。洋邦・新旧問わずの音楽記事は、音楽好きにはたまりません。他お人柄の感じられる様々な記事も、いつも楽しみ。
私にとっては仰ぎ見るようなキャリアの方ですが、コメント等交流をさせていただき、noteのお兄さん的存在として、勝手に親しみを感じています。
その斎藤さんのこちらの記事が、タイトル通りツボにはまってしまったので、ご紹介。
昨今、ポップスや他いろいろなジャンルで売りだされている曲も、その真髄は実は「演歌」なんじゃないか?というお話。
(斎藤さん、こんな要約ですみません🙇♀️読んでいる方はぜひ、上記リンクもご参照ください)
記事で紹介されている、森進一「冬のリヴィエラ」⇔ 大滝詠一「夏のリヴィエラ」の例は、実に鮮やかですが。
斎藤さんはコメント欄で「過去に売れた作品ならば大概コブシ回して演歌風に唄えますよ」ともおっしゃる。
本当か?私の好きな、あの曲やこの曲もそうなのか?
* * * * *
頭の中でやってみると、
おぉ、たしかに演歌に変換できる!
米津さんの「lemon」も、小田和正さんの「ラブストーリー」や「たしかなこと」も・・
考え始めると、あれもこれも演歌に変換され始め、脳内で五木ひろしが熱唱。
なんでこういう時って、五木さんなんだろう。
森進一でも、細川たかしでもないんだよな。
コロッケさんのせいかな・・
(勝手に、いろいろやる人みたいなイメージが)
気がつけば、脳内の歌い手さんはコロッケに変わっている。あぁっ😱
ちなみに過去記事でふれた通り、明菜ちゃんも大好きな私ですが、明菜ちゃんの歌も、ほとんどが演歌に変換可能でした。
脳内歌い手さんはもちろん、この方。
* * * * *
しかし、演歌って正直好きじゃなかった。
昭和のヒット曲は好きなものもあるけど、平成以降ではいいと思うものもなく・・
古臭くて全部同じにきこえるし、ファッション的にも憧れないし、歌詞の世界観も旧態依然すぎてヤバいし(道ならぬ恋推奨しすぎ、酒飲みすぎ、女は耐えて忍んで待ちすぎ、等々)・・
でもそういう表面でなく、何かもっと芯の所で、演歌の心って自分の中にあるんですね。
親が演歌好きとかでもないので、何かDNAレベルで刻まれているものと思われる。うーむ。
* * * * *
ちなみに、演歌に変換できない歌、というのも当然あります。洋邦問わずロック系に多い。
洋楽でも、R&Bなどソウル系だと、演歌化できるものがあります。
だから私、ロックがいまいち刺さらないのか・・!
かなり、目からうろこでした。斎藤さん、プロならではの鋭いお話、ありがとうございました✨
読んでくださっている皆さんも、
「自分にどれだけ演歌の心があるか」=「自分の好きな曲がどれくらい演歌化できるか」
ぜひやってみてください!
脳内コロッケ&友近に、侵略されない程度に・・・(私はされています)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?