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映画「Shari」を見てきた

 すこし前になるけど、公開前から楽しみにしていた、映画「Shari」を見てきた。
どんな映画も一言で感想なんて言い表せるわけないのだけど、
敢えて言うとするならば、めためたにメタファーの表現合戦。これがとにかく最高!
 もっともっと言うとアーカイブブック(映画パンフではないところがまた良し。)もこの映画がぎゅっと詰まっていてこれまた最高。

以下、あらすじ
羊飼いのパン屋、鹿を狩る夫婦、海のゴミを拾う漁師、秘宝館の主人、家の庭に住むモモンガを観察する人。彼らが住むのは、日本最北の世界自然遺産、知床。希少な野生動物が人間と共存している稀有な土地として知られ、冬にはオホーツク海沿岸に流氷がやってくる。だが、2020年、この冬は雪が全然降らない。流氷も、なかなか来ない。地元の人に言わせれば、「異常な事態」が起きている。 そんな異変続きの斜里町に、今冬、突如現れた「赤いやつ」。そいつは、どくどくと脈打つ血の塊のような空気と気配を身にまとい、いのちみなぎる子どもの相撲大会に飛び込む!「あらゆる相撲をこころみよう!」これは、自然・獣・人間がせめぎあって暮らす斜里での、摩訶不思議なほんとのはなし。(映画「Shari」公式ホームページより)

 赤いやつは人間と獣の隙間の存在でもあり、血肉と自然の隙間の存在でもあって、自然も動物も人間もすべてを巡る斜里の土地の象徴、具現化したすがたのようで。
 そんな概念みたいなやつが子どもと相撲をとるシーンはいきいきとしていて、大きな海に向かって叫ぶシーンは共存するすべての命の音のように感じられて、ああ、これこそが斜里の町そのものなんだと思わざるを得なかった。

 斜里はすべての要素(自然とそこに住む生き物、人間)が押しあったり、たまに負けたりあるいは勝ったりしながら循環している、大きな自然と命の町で、いわばどこかで誰かと誰かがずっと相撲をしている状態にあるのかな。
斜里の子どもは、ごうごうと巡る自然のバランスの上に育つ。だからこそ子どもが赤いやつと相撲をとる様は斜里町のすべてなのかしら、と解釈してみる。

 最後のシーンにまだまだ幼い女の子が、雪がないと生きていけない、と言ったのは偶然でも間違いでも、それでも斜里での自然との共存を無意識のうちに理解している様にも見えた。

 元々石川直樹さんの写真が好きで、写真展に足を運んだり、本を読んだりしていたので知床に斜里という町があることはなんとなく知っていた。
それでも単に雪国なのかな、くらいの感覚で。
それは全く見当違いで、わたしは映画を見て吹っ飛ばされる感覚を覚えた。それはまさに大自然を目の前に、あまりのいのちの強さに怯むような感覚。
 自然はきっと、本来はすべてのピースが噛み合うように成り立っていて、その中に生き物を組み込まれているのだと思う。頭では理解できてもそれを体感できることなんてそうそうない。
こんなのもう、実際に斜里の町に行くしかない。
できればうんと寒い雪の季節で斜里の自然と、命たちと出会いたいと思う。

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