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世界史(なぜこのイラスト?)

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世界史の解説をちょくちょくやっていきます。
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ローマ帝国♯2

ローマ共和政説明 共和政ローマ(きょうわせいローマ)は、紀元前509年の王政打倒から、紀元前27年の帝政の開始までの期間の古代ローマを指す。 この時期のローマは、イタリア中部の都市国家から、地中海世界の全域を支配する巨大国家にまで飛躍的に成長した。帝政成立以後ではなく地中海にまたがる領域国家へと発展して以降を「ローマ帝国」と呼ぶ場合もある。また、1798年に樹立されたローマ共和国 (18世紀)、1849年に樹立されたローマ共和国 (19世紀)と区別するために「古代ローマ共

ローマ帝国♯3

さあ、今回が本番、帝政ローマです。帝政ローマは、古代帝国の中でも最大領域を誇った大帝国です。それでは、どんな国だったのかを、今回は解説していきましょうか。 基本情報ローマ帝国(ローマていこく、羅: Imperium Romanum)は、古代ローマの共和制後の時代以降を指す言葉である。この時代、古代ローマはイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した。1世紀から2世紀頃の最盛期には地中海沿岸全域に加え、ヨーロッパはヒスパニア、ゲルマニア、ガリア、ブ

特攻とは…?♯7

元寇(続き)

それでは元寇で何があったのか説明しましょう。今回は、弘安の役(1281年)のことです。元軍は、南宋を攻めていたため、一旦日本から引いていましたが、中国の統一に成功したため、再び日本に矛先が向きます。1281年5月3日、朝鮮半島から東路軍が出発しました。このとき、対島と壱岐が陥落して、日本軍大慌て。一方の元軍は、江南軍と壱岐で合流する予定でした。6月15日に合流するつもりでしたが、江南軍が出発したのは、まさかの6月18日。東路軍は待てずに、一気に博多湾に侵攻をはじめます。

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