ホットケーキ

心身が疲れた時に食べたいものは、酒や餃子や塩辛だ。要するに居酒屋に行きたい。
心だけが何となく疲れた時に食べたいものはホットケーキである。
何の捻りもない。市販のホットケーキミックスを買ってきて袋の裏に書いてある通りに作って蜂蜜をかけて食べる。大量に作って冷凍しておけば数日食べることが出来る。

初めてホットケーキを作った日を覚えている。
小学校3年生の秋頃、友達が「昨日お母さんとホットケーキを作った」という話をした。 スーパーで粉を買って、牛乳と卵を混ぜて、みたいな単に作り方を説明しただけの会話だった。しかしそれがとても魅力的な料理に思えたのだ。
いいなあ。と思いながら聞いていたら、周りの子達は「私も作ったことある」とか「美味しいよね」とか返事をしていた。
ホットケーキに出会った事がないのは私だけだったらしい。それがとても疎外感を感じたし「またか」と思った。

母は料理上手だが、作るメニューは偏っている。父が「いつもの味」を求める人だからだ。料理番組で見かけたからちょっと作ってみた、程度でも文句を言いこき下ろす。当然母は同じものしか作らなくなる。
昔兄が泣きながら学校から帰ってきたことがあった。先生が「図工で使うからカップ麺の容器を持ってきてください」と言い、クラスでカップ麺の話題になった。兄が「食べたことない」と言い、皆にからかわれたらしい。
「お父さんしか食べちゃいけないのなんてうちだけだったよ」と怒る兄に、母は渋々カップ麺をあげていた。
(※やぎ家におけるカップ麺=母の料理が気に入らない際父が食べる物)
カップ麺もコロッケもお好み焼きも親子丼もオムライスもチーズケーキも、自分で買えるようになるまで未知の食べ物だった。

母は周りの目をとても気にする。私達が「我が家は変わっている」という発言を外ですることをとても恐れている。小学校3年生の時にはそれを理解していた。「私だけ食べたことなかった、と言えば食べさせてもらえるな」と考えながら帰宅した。

帰宅して母に説明したところ、予想通り母は慌ててホットケーキミックスを買ってきた。予想外だったのは「作り方は書いてあるから自分でやりなさい」と言われた事だ。
父はスポンジケーキ系が好きでは無い。母が作ったとなると機嫌が悪くなるので「やぎが勝手に作った」ということにしたかったのだと思う。
3枚焼いて、兄2人と食べた。初めてのホットケーキに兄達は喜び、とても褒めてくれた。

それ以降も、父や母がいない時を狙ってホットケーキを作った。ホットケーキミックスはお小遣いで買っていたが、卵と牛乳は減るので母は気づいていたと思う。しかし何故か怒られなかった。ジュースを勝手に飲むだけでキレる人なのに。

私も兄達も特別ホットケーキが好きだったわけではない。それでも何度も作ったし、兄達から「食べたい」と言われることもあった。
父と母の支配下から外れた料理。兄弟でひっそり食べるおやつ。大袈裟に言うと、ホットケーキは反抗と自立の象徴だったのだ。




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