図工ができない子供

箸が持てなかったりハサミが使えなかったりしたので当然図工も苦手だった。彫刻刀の使い方が下手すぎて、隣の席の子をひやひやさせた思い出がある。私がノコギリを使う姿を見て、先生が飛んできたこともある。

しかし技術以前の問題の方が大きかった。何を作ればいいのかわからなかったのである。
絵はまだマシだった。下手なりに見えている風景を描いたり、漫画で見かけたようなキャラクターを描いたりすれば形にはなった。
問題は工作である。色々な物を組み合わせてひとつの物を作る、という工程が頭の中に浮かばず途方に暮れた。


木材を釘で組み合わせて生き物を作ろう!という授業があった。(くぎうちトントン、でググって頂けると分かりやすい)教科書には木で作ったカタツムリが大きく載っていた。例えばこれを真似して作るとする。木をかまぼこ型に切ってカタツムリの殻、直方体の木を身体(?)に見立てて組み合わせればいい。そして釘を打って触覚を表現する。
見ればわかることなのに、わからなかった。親が持たせてくれた木材を並べてみても、四角い木を
どうしたらこうなるのか想像ができなかった。
見かねた先生が「やぎちゃんの好きな物は何かなー?」と聞いてきた。当時の私が好きな物は餃子とおジャ魔女どれみだ。木では作れないので益々困った。

もう1つ印象に残っている思い出がある。小学校低学年の頃だ。これも色々なものを組み合わせて生き物を作るやつだった。親が持たせてくれた牛乳パックやビーズを前に、私は考え込んだ。
作りたいものは何もない。パッと思いついたのは、当時祖母が買った食器棚だ。陶芸を始めた祖母の作品をしまう為のそれは、扉がステンドグラスのようになっていて綺麗だった。

牛乳パックが扉のように開くように切って、中に厚紙の仕切りを作り棚にした。祖母は緑色が好きなので、緑の折り紙を丸く切ってビーズを載せ、棚に乗せた。(祖母の皿に料理が乗っている、ということを表現したかったのだと思う)最後に牛乳パックの表面に、ビーズやリボンでキラキラした顔を作り「食器棚ちゃん」は完成した。

完成したのでぼーっと待っていたら先生が来た。先生は私に「やぎちゃん、何でもいいから作ってみましょう」と言った。
できました、と食器棚ちゃんを指さした。先生は言いにくそうにこう言った。
「あのね、これ牛乳パックに顔を貼っただけじゃない。これは生き物じゃないよ」
そろそろ20年経とうとしているのにはっきりと覚えている。それくらい腹が立った。先生は牛乳パックを開くようにしただけで、形は牛乳パックのままであることを、指摘したかったのだと思う。しかし食器棚ちゃんと牛乳パックは同じ長方形だ。加工する必要はない。それと折り紙とビーズで作った食べ物は、可愛くできたなと満足だったのだ。
何より、周囲の男子達が作っているお菓子の箱に割り箸の手足をつけてマジックで顔を書いたロボット(金色のガッシュのあれだ)を、さっき先生は褒めたではないか。あれも四角いお菓子の箱の形そのままではないか。

腹が立ったので食器棚ちゃんに割り箸の手足を刺した。これで文句は言えまいとわざわざ教卓まで持って行き先生に見せた。嫌なガキである。

この作品は授業参観で発表することになっていた。一生懸命作ったのに先生に怒られた、と思った私は不貞腐れ「これは食器棚ちゃんです」とだけ言って発表を終えた。当然母に叱られ、食器棚ちゃんはすぐに燃えるゴミになった。

私に工作のセンスがないことは確かだ。でもこれは食器棚ちゃんを作品として見てくれなかった先生が悪い、と大人になった今なら思う。
当時は褒めてくれない先生と、上手く作れない自分に怒り、悲しむことしかできなかった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?