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淡々譚

広さも温度もない、明度と鮮度の一切を切り取られたふわふわした空気の中を進んでいるみたいだった。宇宙は今も拡大し続けているらしい。巨大な空間がさらに巨大な空間の中で大きくなり続けていることにはなんの意味もない。宇宙と、それ以外の境界線、それがあるとするならば私の想像が及ぶ中で最も巨大で、進むことしかしらない本物の最前線。フロンティア・オブ・ユニバース。君には前進とか開拓とかよりも似合う言葉があるよ。「蹂躙」

昨日と似たようなことをしながら、つまり一昨日と一作昨日とも同じようなことをしながら、自分で自分以外を踏み潰し塗りつぶしていく。数十人の人が順番に前の人が書いた線をなぞっていったら、最初には直線だった線が最後にはぐちゃぐちゃの曲線と点になった。僕らの生活の精度なんてのはそんなものだ。昔聞いた歌を口ずさんで、体験したことのない思い出と行ったことのない故郷へのノスタルジアと、夏が終わったら秋になるからと当たり前の反射神経を効率的にオートマチックにこき使って、スポンジに一滴一滴水を垂らしている。そんなこと知りませんよという顔で煙草のフィルターを何度も何度も噛み潰している。

僕たちは愛おしさを探していた。象徴的なイベントと、それに見合う自分と他人の関係や感触を好み、時には状況に全くそぐわない自分たちを、その感情を、愛おしいと思ってしまう。これは間違いなんかじゃない。生活は守られているから愛おしい。安定だけが安定じゃない。行き過ぎた梱包は時に中身をないがしろにする。そんなことは知っていた。飄々と過ごそうという捻くれた心根が高い壁を築き、光が壁に遮られた。一番大切な部分を守ろうとしたはずなのに、どんどん枯れていく、モノクロになっていく。

まだまだ救いようがあることばかりだ。壁を築いて失敗したなら取り壊せばいい。風が冷たくなったら暖かい上着を、薄手のものからだんだん厚く。熱いコーヒーを淹れる。首筋に光る汗なんて一度も見ていないのに懐かしいと思うから、頭の奥で小さな花火が上がって、夏を終わらせる。これから犯す罪について考える時、また宇宙の輪郭は膨張してぼやける。指先が冷たさを思い出して、汗の塩っぱさを忘れた頃、溶けていくアイスと冷めていくカフェオレの温度曲線が交わる。そこが宇宙、生ぬるい愛しさ。

さようなら夏。夏の最後の日は隕石が落ちる夢を見た。あなたはずっと上着を探していましたね。「終わりだ」と誰かが呟いた声があんまりにもガキくさくて笑ってしまった。

失敗と失敗以外を繰り返して、循環する円が少しずつ円の形を失いながら、拡大していく。心配しなくてもずっと最前線にいるんだ、通った所を正しいと思い込む侘しさに慣れる。正しいと思い込んで、忘れる。壁を作って、壊す。花を植え続ける。疑い続けるということは信じ続けることだと言い聞かせる。僕が大丈夫なのかずっと疑い続ける、その間は、大丈夫

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