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日日是仏教

皆さまこんにちは。
今週は那須野が担当です。

先日泡盛に浸かった沖縄の島唐辛子の種を、ダメもとで撒いてみました。
なんと、発芽!すごい生命力です。

さて、今回は阿弥陀さんからお釈迦さんへ視線を移しまして、
最近感じた日常の中の仏教のお話を。

仏教にはその根本理念を表す「三法印」という言葉があります。
・諸行無常
・諸法無我
・涅槃寂静
の三つです。皆さんもどこかで耳にしたことがあるのではないでしょうか。

昨日、次男の授業参観がありました。
私、何を隠そう子供の授業参観が好きではありませんで。笑
また子供も見に来てほしくない派。そんなことで、
コロナで参加自由風になって以来、随分足が遠のいていました。
行信教校も卒業して、この4月からオンラインで研究生になりました。
在宅で時間も融通できてしまう手前、特に行かない理由も見つかりません。
行ってきました。
何年振りでしょう。
我が子のことは毎日見ておりますので、ふむふむ。
クラスには、幼稚園からずっと一緒の子供たちも、ちらほら居りました。

引っ込み思案だった女の子は、クラスのご意見番なのか、全体のまとめ役に。
やんちゃだった男の子は、立派に司会を務めていました。
うちの息子は、
「さっきと同じ話をしていて、これでは決まりません。どうやって決めるんですか」
イラチな性格は遺伝でしょうか…
「もう一度班で話し合って、一つに絞って発表したらいいと思います」
息子の提案で再び班会議、とうとう授業中に決まらず、次の学活で決めるそうです。
息子はあまり人前で意見するタイプではないと思っていたので、驚きました。
見ていないところで、我が子もお友達も随分成長、変化していました。

諸行無常です。
物事は移り変わり、常なるものはない、ということです。
諸行無常というと、なんとなく物悲しい想像をされる方が多いかもしれません。
夕方の帰り道、(ゴーン)遠くのお寺の鐘は鳴り、(カ〜)カラスは鳴く。「諸行無常だな」
ちょっといかにもですかね。。
しかし、ある先生は言われました。
「諸行無常だから花が咲くんです」
確かに、諸行無常だから花は落ち、人は老いて死んでいきます。
しかし同時に、諸行無常だから花が咲き、唐辛子は芽を出して、
諸行無常だから子は育つのです。
「これが和上の言われてた言葉の意味か」
と味あわせていただいたことでした。


もう一つの諸法無我のお話。
これまた昨日、夕方のお参りを終えてお寺まで歩いていました。
ポカポカと暖かく、空も穏やかです。
畑から帰って腰掛けていた近所のおばあさんに、
「お参りのお帰り?」
と問われたので、
「はい、そうです。ええ天気で、外が気持ちいいですね」
とお答えしました。
「そうやなあ、もうえらいわあ」(えらい=関西弁でしょうか、疲れたの意味です)
なんとなく噛み合って無いように感じませんか?
しかし決しておばあさんの耳が遠くて聞き違えた訳ではありません。
夕方、散歩のように歩く私にとっては気持ち良い、心地良いと思える昨日の気候は、
畑帰りのおばあさんには暑くて疲労を招く、辛い気候だったのです。

諸法無我とは、全ての物事は縁起によって存在し、実態がない、ということです。
縁起とは縁によって起こると書く通り、物事は関係の中で成り立っているということです。
「昨日の気候」は「晴れ、最高気温22℃」
立場によっては心地いいとも、しんどいとも感じます。
外を歩く予定の明日の私にとっては、しんどいかもしれません。
そういう縁起です。
明日は家でゆっくりするおばあさんにとっては、心地よいかもしれません。
そういう縁起です。
立場や状況によって、天気一つでも感じ方が変わります。
縁が変われば事象が変わるということです。
まして人間に対してなど、言うまでもありません。
昨日の敵は今日の友、逆もまた然りです。
私たちの心もまた諸法無我なのですね。


日常生活を仏教を通して過ごすと、どんな感じなのかご紹介でした。
皆さんも、日常の中の仏教を探してみてください。


称名


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