見出し画像

イワンのバカ🌉

こんばんは。今週は陰山です。

私には小一と年中の子供がおりまして、毎日寝る前に本を読むことにしています。
今年に入ってからは、5分程で読める童話や小説が365日分載っている本を読んでいます。
先日、『イワンのバカ』という話を読みました。
話の内容を、みじかーく書いてみます。

昔、ある国のとある百姓の家に、3人の息子がいました。末っ子のイワンが、一人で百姓をし、両親と一緒に暮らしていました。
2人の兄たちは放蕩三昧の末、財産が尽きたので弟のイワンに泣きつきます。イワンは財産のほとんどを兄たちに渡し、自分は一生懸命百姓を続けます。
それを見ていたのは、人の妬み・恨み・争いが大好きな鬼たち。相続問題で喧嘩が起きなかったことに腹を立て、兄弟に嫌がらせをします。兄たちは鬼の仕業で無一文になりましたが、イワンはその嫌がらせに耐えて、鬼を捕まえました。
鬼は「助けてくれたら、たたくと兵隊が出てくる麦の穂と、もむといくらでもお金が出てくる樫の葉をあげる」と言って、それらを渡すと逃げていきました。
その麦の穂と樫の葉を見た兄達は、今度はそれをよこせと言い、イワンはまたも差し出します。一人は兵隊を使って王様に、もう一人はお金を使って世界一の大商人になりましたが、またまた鬼に見つかります。鬼の嫌がらせで兄たちは再び無一文に。
2人の兄は「これからは百姓として生きていきたい」とイワンに伝え、イワンはその言葉を受け入れます。
その後3人は仲良く暮らし、鬼は「イワンは大バカだ。欲のないバカは手に負えん」と言って、逃げていきました。

トルストイ著、本家の物語はもっと複雑な内容の様ですが、子供たちと読んだものは、こんなところでした。

絵本を読んだ後は、子供たちがどう思ったのかを聞くように心掛けていています。
今回は、
「イワンは正しいことをしたのか」
と聞いてみました。
子供たちは、
「イワンは正しいと思う」
しかし、それを聞いた妻は、
「イワンが正しいとは思わない。ちゃんと守るべきものは守るべきだ」
と。皆さんはどう思いますか?

もちろん、立ち位置や見方で変わってくることですし、イワンのように人の求めに応じてサッと分け与えるようなこと、今の私には出来ません。

そんなこと出来た経験があっただろうかと思い返すと、子供の頃のある光景が思い浮かんできました。
ある日、財布を盗まれた母に、
私「財布なくなって困ってるでしょ?この財布使ってないしあげるわ。」
母「ありがとう。あれ?財布に一万円入ったままよ?」
私「ほんまに?んじゃ、それも一緒にあげるわ。」
何となく恥ずかしいので、一万円を故意に入れていることは隠して。

小学生からしたら一万円は大金です。
その時の私は、困っている母に大切な一万円を差し出すことが出来ました。
時が経ち、中学生。欲しいゲームが買えない私は思いました。
「あの時のお金返してくれへんかな…」
さすがに恥ずかしいので、口には出しませんでしたが。

今振り返ると、イワン的行動の原動力になった、
“母が喜んでくれれば“
という想いから(イワンに人を思う気持ちがあるのかは、ここではおいておきますが)、
“あの時私は喜ばしたんやから、あなたも私を喜ばしてくれ“
という自分中心の考え方に変わっていったように思います。

仏さんの生き方は全く真逆です。
仏さんというのは、人の幸せというものを本当に心から願える方で、自分の命投げ捨ててでも、人の命の為、幸せの為に動ける方です。
たとえ、それが見ず知らずの者であっても。
それを正しいことだと見ていくことは重要なことです。

以前、佐々木さんが
「周りの状況に合わせてフラフラして、自分の都合によって周りを巻き込むことは、自他共に悲しく、寂しいことです。」
とおっしゃられていました。

「私」を中心とすると、フラフラして、自他共に不幸になってしまう。
小学生の時の私と、中学生の時の私と、どちらが自他共に幸せな気持ちだったか考えてみると、もちろん小学生の時の私でしょう。

でも、そんなことしてたら生きていかれへんやないか。と言われそうですが。
私には仏さんのような生き方は出来ません。
でも、それで自己中心に生きることが是認されるわけでもない。
人に見返りを求めず、相手のことだけを考えて行動出来たなら、仏さんのお育てによって出来たと喜べばいいし、出来ない時はお恥ずかしいことで、と反省させて頂く。

その生き方の方が豊かな生き方かなと思います。

なので、やっぱり
「イワンは正しい」
と言いたい。

称名

あとがき

今回、この『イワンのバカ』を読みながら、トルストイがお釈迦さんの生涯を小説にしたなら、『シャカのバカ』になるんだろうなと考えました。
釈迦族の王子として生まれ、地位もお金も思いのままに、何でも思い通りに暮らせる人間が、人々が渇望するそれらを、全て捨てて修行者となった。
普通、バカだと思うでしょ?
じゃあ、イワンとお釈迦さんは一緒かというと、それも違うように思うんです。
そのことはまた次回に。
何かそういう、仏教ではこう考えるみたいなものもおもしろいなあと。
お味わいの中でも、何か固定のテーマやシリーズみたいなもので書いてもいいなあと、ぼやーっと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?