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複雑な年明けに思うことを

こんにちは、那須野です。

年が明けて七日が経ちました。
おめでとうございますと言うには、辛すぎる年明けとなりましたが、
皆さまいかがお過ごしでしょうか。

元日には元旦会を終え、御門徒の皆さまと新年のご挨拶をしたその6時間後、私は法務先の八日市教堂の鍵を閉めて帰宅途中の車の中、激しい揺れに遭遇しました。
まずアラームが鳴り、窓の外の標識の柱が大きく揺れている姿を見て、風でやたら揺れていると思ったのは地震であることに気づきました。

自宅に戻り家族にその時の対応や様子を確認しましたところ、外に居た次男はたまたま玄関にいた別の家族に早く外に逃げるよう促し、また別の家族は奥から逃げ出て、
「まだばあばたちが中に居る!」と戻ろうとした小1の従兄弟に、まずは自分が逃げろと指揮したようです。
逃げ口は玄関だけではありません、中庭に逃げることもできます。
次男のとった行動は災害時にはベストな判断だったと思います。

その時中にいたじいじ、ばあばは、こたつにしがみついて動けなかったそうです。
「誰かが逃げろ!って言うてくれたら、動けたかもしれない」
後にそのように申しておりました。
当地は震度4で、阪神、東日本、高槻の地震の際にも同じ経験をしています。
それでも動けないのですね。

被災地の方の状況を考えますと、大した被害のなかった当地の事をここで一々文章に表す必要もなかったかもしれませんが、その日の記憶としては大事な事だと思い記録しました。


「炬燵にしがみついて動けなかった」あの時、そう遠くない能登の地で、多くの方が同じように過ごして居られたのではないかと思います。
その後もこちらも微弱ながら揺れ、その度に目が覚めることです。
方々の事を思うと正に地獄の中を生きる日々であろうかと思われますが、私の想像をはるかに超える過酷な日常でありましょうから、この辺にしておきます。


と言いながら、そのしがみついた炬燵にはきっとそれぞれの家族の思い出がぎっしり詰まっているのですよね。
我が家は昨年の冬の電気代がたまげる金額になりましたので、今年は炬燵を導入しており、更に暖冬も手伝って、ほとんどエアコンを使わずに炬燵で乗り切っております。

その我が家の炬燵は、ケチな私が「ジモティー」で購入した中古品です。
脚のがたつきで突然崩れたり、天板には前の持ち主の鍋焼けの跡があったり、新品では味わえない色々を楽しませていただいております。

冬休みに入ると、家族が炬燵に集合、大きくなった子供たちの足の上に私の足を重ねる中に、4人姉妹で暖を奪い合った懐かしい故郷の炬燵を思い出すことです。

ふとガタつく脚、天板の鍋焼けに目を向けると、直接にはお出合いすることのなかった、以前の持ち主に出会っているような気になります。
この炬燵の中で、どれだけの方が交わり、その方々はどのような人生を送られたのでしょう。
元の持ち主はすでに亡くなり、お孫さんがジモティーを通して譲ってくださいました。

過去の誰かの人生があって、今の私がいのち頂いているわけであります。
何度も何度もお聞かせに預かって当たり前のようにすら思いがちですが、そのどのいのちにも、阿弥陀さまの願いがかかってくださっています。

阿弥陀さまは、私一人の苦しみを背負ってくださっているとお聞きします。
そして生きとし生けるすべてのいのちに同じように願いをかけてくださっています。
そうすると、どれだけ多くの方の苦しみ、悲しみを背負ってくださっておられるのでしょうか。
お慈悲と言うてしまうと簡単ですが、その言葉の奥に含まれる深い深いおこころを思うと、背負ってくださる苦しみ、悲しみのご負担は、まるで底がありません。

私自身が誰かの苦しみ、悲しみを語るのはおこがましく、まるで同じように感じることは当然できません。
今回被災された方もそうですし、隣に居るつもりの友人のことだってそうです。
我が子のことだって、想像の中でしか分からないのが私です。
それが分別の中でしか生きられない私の現実です。
あなたと私、という風に分けてしか考えられないのです。
そうありたくないといくら思っても、どこまで行ってもそうでしかないのです。
悲しいかな、それが私の有り様です。

しかし、阿弥陀さまはそのすべてを引き受けてくださいます。
南無阿弥陀仏と称えても、災害は無くなりません。
病気も治らないし、長生きもできません。
今辛い状況の時、また悲しみのどん底の時、ハッピーにしてくれる訳でもありません。

ですが、辛い状況、悲しみのどん底を、全部背負ってくださる、一人じゃないよというてくださる如来さまが阿弥陀さまでありました。

年明けの一号で明るい記事に展開できなく申し訳ありませんが、気持ちが沈んでしまうのは皆さまも同じであろうかと思います。

阿弥陀さまの十方衆生を救うと誓われた、その誓願だけが、真実であることを痛感する事であります。
かの方にも阿弥陀さまの願いはかかっております、どうか届きますよう。


称名

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