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今、鳥取の日本海新聞、大阪日日新聞で毎週土曜日、『たまチャンのウソ&マコト境界線巡り旅』という連載をさせて頂いております。
歴史事件の起こった現場にいって講談のタネになるような物語と出会うという内容です。
この連載が個人的にめちゃくちゃ勉強になっております。

今、連載しているのが、『壬申の乱』についてなんです。

「えっ?壬申の乱?何?」

って方、多いと思います。僕もこれ書くまでは名前だけ知っていたぐらいでした。
でも、実はこれ物凄く面白いので、お伝えしますね。

ことの起こりはみんな知っている『大化の改新』。

中大兄皇子と中臣鎌足が起こしたクーデターで蘇我入鹿を殺した事件です。
最近では『乙巳の変』と呼ばれております。(”いっしのへん”と読みます)

ここは物凄く習うのですが、この後が物語的にはめっちゃくちゃ面白いんです。

中大兄皇子は本来なら、ここで天皇になってもいいのに、ならないんです。
実質的な権力者となり、国を牛耳ります。
どれぐらい牛耳ったかというと、愛し合った2人の中を裂けるぐらいの権力を持ちました。

愛し合った2人とは大海人皇子と額田王。

「うん?額田王?見たことあるぞ」

そうです。皆さん、学校で勉強した万葉集にでてくる額田王です。
実は女性だったんです。
しかも、めちゃくちゃ美しかったんではないかとも言われております。(ちなみに滋賀県竜王町出身との説も!!)

で、大海人皇子はというと、中大兄皇子の弟です。

はい!!!どういうことかというと、お兄ちゃんが弟の奥さんを奪ってしまったんです。
で、弟は何も言えないぐらい兄の中大兄皇子には権力がありました。

そして、色々あって(そこも面白いのですが、またの機会に(笑))中大兄皇子が天智天皇に即位されて、都を大和国から近江国は大津に遷都したんです。

めっちゃ権力あるでしょう。
でも、権力あっても寿命が来ちゃう。
もともとは次の天皇は弟の大海人皇子と思っていたのですが、息子の大友皇子が元気に育って、可愛くて仕方がない。

そこで、天智天皇は大海人皇子がちょっと邪魔になります。
その時代、邪魔になったらどうするのか。

歴史は繰り返す。
天智天皇が中大兄皇子時代にしたのが、クーデターで蘇我入鹿を殺すってことでしたよね。
さっき、書いた『色々あって』の時にも政敵を次々に滅ぼしている天智天皇が大海人皇子をそのまま生かすはずはありません。

このままでは、大海人皇子、危うし!!!!

でも、大海人皇子はお兄ちゃんのことを間近で見続けていたので、そんなことはお見通し。
「頭を剃ります」っていうと、大津からはるか遠い飛鳥へと引っ込んでしまったんです。

で、天智天皇は大海人皇子を逃がしたままお亡くなりになります。

次の天皇は息子の大友皇子が継ぐのが筋なんですが、目の上のたんこぶは飛鳥の大海人皇子。
大海人皇子は天智天皇のもとで実務を仕切っていて物凄く能力が高かったので、結構慕われていたんです。
そんな時にはどうするか!!

「邪魔者は消せ!!」

それが、大友皇子が父から習ったことですから、大海人皇子に軍勢を向ける準備を始めました。

ところが、この事を大海人皇子にいち早く伝えた方がいました。
それが、十市皇女。(読み方は ”とおちのひめみこ” です)
このお方こそ、大友皇子の妻にして、母は額田王、そして父が大海人皇子なんです。

ややこしい!!!!!

いわゆる政略結婚で天智天皇の息子と大海人皇子の娘が結婚していたんでした。

で、嫁いだはずの娘がお父ちゃんに危機を知らせたんです。その方法が鮒の中に手紙を入れたんですって!!!!

鮒ずしの滋賀県らしい(笑)。

で、大海人皇子は「娘よ、ありがとう。こうなったら大友皇子と戦うしかない」
こうして、至急に戦うことになりました。

向かったのが関ケ原。
ここは西と東をちょうど結ぶところですから、ここを押さえれば、東の敵を大津の大友軍に合流することを防ぐことができる。そして、東の味方はすぐに合流して、大津を攻められるという場所でした。

そうなんです。
実は、天下分け目の関ケ原の第1戦はこのときなんです!!!!!
そして、この戦いを壬申の乱といいます。

この戦い、大海人皇子にとっては頼もしい存在がおりました。
それが、長男の高市皇子。

実は高市皇子の幼馴染が、大友皇子に嫁いだ十市皇女なんです。
どうやら、二人は恋仲だったとか…。

もうややこしいでしょ。

愛している者たちは割かれ、そして、その愛憎が戦いを産む。

結局、この戦い大海人皇子が勝利をおさめ、大海人皇子は天武天皇に即位されるのでした。

こんな凄い歴史物語があるんですが教科書では習いません(笑)
こんな歴史を想像するだけで、次の物語が動き出してしまいます。

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