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ヴィパッサナ瞑想体験記その8

長く続いてきたこの連載も、いよいよ最終回。ゴエンカさんの指導はますます深くなっていきます。そんなとき、異変が起きます。グループ瞑想の時間になっても、「おじさん」の姿が見えないのです。一体どうしたのでしょう?

瞑想はさらに深く。

 8日目。ゴエンカさんの指導はますます深くなっていく。今度は、全身を自由な流れとして感じなさい、可能ならば、身体の内部の感覚も探りなさい、とテープの声。

 古い生徒には、「スポットチェック」という方法が示された。意識をからだのどこかに任意に置いて、コップに落とした水滴が広がっていくように、意識が広がっていくのを感じる。ぼくにはちょっと難しそうだったので、からだを部分に分けて感じる方法を続けていく。

 朝のグループ瞑想の時、隣部屋のおじさんに異変が起きた。瞑想の時間になっても、広間に現れないのだ。心配した先生が呼びに行くと、

「今日はかんべんしてください」

 と言うおじさんの声が聞こえた。頭がさえてしまって、昨晩は一睡もできなかったという。大丈夫だろうか? おじさんも、7日目の朝帰っていったおばさんのように、ドロップアウトしてしまうのか。でも、あと一日、がんばってほしい。今まで反発していたのが嘘のように、おじさんを応援する気持ちにが生まれていた。

 昼飯の時、おじさんがやっと起きてきて、もそもそとご飯を食べていた。すると髪の長い男性がすっと立って、湯のみにお茶をそそいで、黙ったままおじさんの隣に置いた。やさしい。ああ、ぼくはどうしてこんな風にできないのだろか。自己嫌悪である。窓の外を見ると、太陽が出ているのに雪が降っていた。

 この日は終日、深いヴィパッサナ瞑想を行う。古い生徒はスポットチェック、新しい生徒はできるだけ広い範囲で感覚を感じるように。広い範囲で一度に感じていると、全体が流れるような自由な感覚を感じることがあるという。だが、その流れるような感じがあったとしても、よろこんだり、そこに長くとどまってはいけない。それも執着になるからだ。

 痛みや不快感があっても平静さを保ち、気持ちのいい自由な感覚があっても平静さを保つ。それがヴィパッサナ瞑想だ。あくまでも現実をあるがままに観察する。観察することだけが重要なのだ。

 ぼくは頭全体、両腕、上半身と足、この三つの部分はそれぞれ一度に感じることができるのだが、からだ全体を感じることはついにできなかった。膝の痛みについても、克服できたわけじゃないけれど、これからは痛みに対する態度は変わってくるかもしれない。

 9日目の朝。ヴィパッサナ瞑想の行は終わり、かわりに「メッタ・バーバナ」の瞑想が伝授された。自分が瞑想で得たものを、すべての生き物のために回向(えこう)するための瞑想、愛の瞑想だ。

「すべての生き物が自由で、しあわせでありますように」

 そう心に描きながら、静かに座る。伝授が終わってゴエンカさんの声がだんだん遠ざかっていく。

「サベカ・マンゲレン〜、サベカ・マンゲレン〜(生きとし生けるものはしあわせであれ)」

 詠唱とともにゴエンカさんの声が消えていくと、みんなは次々とホールから出ていった。ついに「聖なる沈黙」が解かれるのだ。ぼくは、なんだかもったいないような気がして、しばらくその場にとどまっていた。すると例のおじさんが、

「サベカ・マンゲレン〜」

 と調子よく口ずさみながら、階段を下りていくのが聞こえた。おじさん、元気じゃないか! 思わず吹き出してしまった。笑いがこみ上げてきて、押さえられなくなった。自分の部屋にかけ込んで、布団を頭からかぶって、心ゆくまで笑った。

沈黙の終わり。

 外へ出ると、すべてがまぶしかった。食堂へ行くとヴィパッサナ瞑想に関する資料が張り出されている。インドだけではなくアメリカやヨーロッパなど、世界中にこのようなセンターがあるという。

 食堂には3人の男性がそろって話をしていた。若いMさんは今回が4回目の参加。愛知県で農業をやっているという。家業を継いだわけではなく、自分で土地を借り、有機農法を実践している。すごいひとがいるものだ。

 髪の長いOさんは50歳。画家、文筆家。以前は自己開発セミナーの講師もやっていたらしい。インドで初めてこの瞑想法に出会い、何度も参加している。しかし今回は初めて、足が痛くて痛くてたまらなかったという。後ろから見ていて、仏像のように身じろぎもせず座っていると思っていたのに、分からないものである。

 例のおじさんはなんと、Oさんの奥さんのお父さんだという。今回は家族4人での参加だったのだ。63歳、福島県で農業を営んでいる。この種のものには初めての参加なのに、とにかく10日間とどまったというだけでもすごいことである。

 みんなの顔が晴れ晴れとしている。Oさんは、

「小太郎さん、あなたはヴィパッサナ瞑想をやるために生まれたひとだ」

 などとわけのわからないことを言う。一階に戻ってダーナ(布施)をおこなう。瞑想法の伝授に対して料金を払うというものではなく、この次に瞑想にくるひとが快適に過ごせるように、瞑想に集中できるように、この施設を維持するために必要なものを寄付するのだ。

 10日目の朝、短い講話のあとメッタ(慈悲)の瞑想をしてコースは終わった。外には雪が50センチくらい積もっている。センターの入り口から建物までの道を雪かきして、トイレと風呂の掃除をする。

 帰りの電車で先生と一緒になった。先生の名前はアツシ。まだ30代後半なのだが、なんとも言えない落ちつきがある。最近アシスタント・ティーチャーになったばかりで、このあとまだインドへ渡り、長期間のコースを受けてくるのだという。この仕事はまったくのボランティア、生活のほうはアルバイトなどでつないでいるらしい。

 京都駅に着いた。まだ地に足が付かないような、目の焦点があわないような、変な感じである。人がやたらといっぱいいるので、なんだか気恥ずかしい。

 せっかくなので、すこし京都の街を歩いてみる。三十三軒堂では流鏑馬をやっていて、大勢の観光客が集まっている。これまでの10日間との落差に呆然とする。聖なる沈黙の日々と、豪華な伽藍。どっちがほんとうの仏教なのか? どっちも仏教なのだろうけれど…。

 帰りの新幹線は、なぜかずいぶんゆっくり走っているように感じられた。行きとは逆である。誰でもいいから知っている人の顔が見たい。アニッチャーの姿勢がまだ身についていないようだ。

 新幹線のなかを全力で走りたい気分だった。

(終わり)


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