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ヴィパッサナ瞑想の基本 その2

 1995年に来日されたウ・ジャナカ・セヤドーの法話をシェアさせていただきます。この時点で私は、京都のダンマバーヌでゴエンカさんの教えるヴィパッサナ瞑想を体験していたのですが、同じヴィパッサナ瞑想でもだいぶ異なるところがあるのがわかりました。そのあたりもご参考になればと思います。

身受心法のマインドフルネス

 お釈迦様の教えによりますと、4種類のマインドフルネスがあります。ここでいうマインドフルネスというのは気づいていること=awarenessという意味です。注意力=attentionともいいます。

 最初のマインドフルネスは身体的現象に関するものです。二番目は感覚に関するもの。感覚については3種類があります。まず第一が楽しい愉快な感覚、その反対に不快な感覚、三番目が愉快でも不愉快でもない中間的な感覚です。こういう3つの感覚が浮かんできた場合、それにマインドフルである、気づくことが大切です。これが感覚のマインドフルネスです。

 三番目は意識のマインドフルネスです。意識とは心、パーリ語でチッタと言います。どのような意識が起こっても、それにマインドフルである、気づいていることが必要です。特に、視覚的認識作用(consciousness of seeing)。目に見えるものを見るということは、それは視覚的な認識作用のはたらきです。目があり、目に見えるものがある場合、視覚的認識作用が生じます。ですからなにか目に見えるものを見ている場合、見ているんだということに気づいている必要があります。これが意識のマインドフルネスです。

 同様に、なにか物音を聞いた場合、聴覚的認識作用が生じます。ですからなにかの音を聞いた場合は、聞こえているということにマインドフルである必要があります。これもまた、意識のマインドフルネスです。

 このように、臭覚、味覚、触覚についても、あるがままに観察されねばなりません。これらはすべて意識のマインドフルネスということになります。4番目のマインドフルネスとはなにかというと、ダルマ(法=意識の対象)に関するマインドフルネスです。ダルマには意識の状態、身体的なプロセスも含まれます。

まずは呼吸を観察する

 全知全能のブッダはこのような4種類のマインドフルネスを教えてくれましたが、そのうちどれか特定のものを選んで観察する必要はありません。意識の状態であれ身体的なプロセスであれ、起こってくることの一番大きなものについてマインドフルであらねばなりません。

 初めての方が、起こってくるすべての意識の状態や身体的なプロセスを観察することはできません。慣れていませんから。それゆえ、初心者の方は、ヴィパッサナ瞑想の対象として、ひとつの対象をお教えしましょう。マハシ大僧正が私たちに教えてくださったのは、お腹がふくれたりへこんだりする(rising and falling)のを意識することから始める方法です。お腹がふくれたりへこんだりするのは風の要素です。風の要素とは、動きに関することです。

 息を吸うと、お腹は前に出ます。そのときに、「ふくらんでいるrising」と心に記して、意識してください。呼吸を吐き出すときはお腹がひっこみます。その際「へこんでいる(falling)」と心に記して、意識してください。このようにお腹のふくらみとへこみに意識を集中して、細かく正確に観察してください。これがヴィパッサナ瞑想の第一の対象になります。

 ただし、これだけが瞑想の唯一の対象ではありません。別の意識の状態や身体的なプロセスなどが生じてきたら、生徒はお腹の動きをいったん置いておいて、生じていることに意識を向けてください。

他の感覚が生じたら

 たとえばお腹の上下の動きを意識しているときに、身体のどこかが痛くなる。そういう場合は「痛み、痛み、痛み」というふうに心に記しながら痛みを観察してください。その痛み、あるいは不快な感覚が消えてしまったら、お腹の上下に戻ってもとどおりに観察してください。

 お腹の上下に集中しているときになにかの音が聞こえたら、「聞こえている、聞こえている、聞こえている」というふうに心に記して、またお腹の動きにもどってください。

 あるいは瞑想の途中にしびれがきたり、痛くなったり、かゆくなったりします。そのときはそういった感覚を観察して、それらが消えてしまったらお腹の動きにもどります。

 呼吸に集中しているあいだに、いろんな考えが浮かんでくることがあります。その場合は意識を無理に呼吸に戻してはいけません。いろいろなことを考えている心を観察して、「考えている、考えている」というふうに心のなかで記して、考えが消えるのを待ちます。

 このように感覚や心の状態や身体的プロセスを切り替えていくのは、これらの現象の三つの特徴をはっきりと認識するためです。

 心に浮かぶ考えというものは、永遠に続かないものです(無常)。それは浮かんで、ほとんど同時にすぐに消えていきます。それは無常であるがゆえに苦るしみです(苦)。ですからこれらの思考は永遠に続く存在、我ではないということです(無我)。思考に関するこれら三つの特徴、つまり無常、無我、苦というあり方をはっきりと認識するために、心に浮かぶ考えをありのままに見る必要があります。坐禅によって、あるていどまでこうしたことを会得することができると思います。(続く)


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