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吉福伸逸とは?

 吉福伸逸(よしふく・しんいち 1943―2013)は間違いなく、日本のカウンターカルチャー、精神世界、ニューエイジ、ニューサイエンス、トランスパーソナルを語る上での最重要人物です。ところが現在、その名前は一般にはほとんど知られていません。

 1970年代から80年代にかけて、「自己とは何か」を探求する人たちにとって吉福さんは「教師」であり、「カリスマ」でした。全米ベストセラー『ビー・ヒア・ナウ』『タオ自然学』の翻訳者であり、『意識のスペクトル』を始めとする膨大なトランスパーソナル心理学の文献をほとんど独力で日本に紹介。80年代半ば以降はセラピストとして自己成長に関わるセラピー、ワークショップをおこない、多くの人々に影響を与えました。90年代半ばまで、大型書店の心理コーナーをトランスパーソナル心理学の本が占領していました。ところがいま吉福に関わる書籍といえば、わずか数冊を数えるのみ。

 吉福伸逸の名前は忘れられてしまいました。忽然と姿を消したといってもいいかもしれません。文化人類学者カルロス・カスタネダの著作に「履歴を消す」という表現が出てきますが、まさにそんなふうに、自ら痕跡を消し去ってしまったかのようです。吉福伸逸はいったいどこにいってしまったのか? なぜ忘れられてしまったのか?

 実のところ、吉福さんには特筆すべき肩書きも学位もありません。早稲田高等学院から早稲田大学文学部西洋史学科に進学するも、ほとんど授業に出ることなく中退。誰かに翻訳を学んだこともないし、セラピストとして正式な教育も受けていない、資格も持っていない。なにかの受賞歴もない。無冠の帝王といえば聞こえはいいが、世間的には「ただの人」なのです。

 にもかかわらず、吉福さんに影響を受けた人、師と仰ぐ人は心理カウンセラーやセラピストはもちろん、思想界、宗教、アカデミズム、文芸やアート、スポーツの分野にも数多くいます。財界人にも信任が厚く、吉福さんに助けられた人、恩義を感じている人、あるいは吉福さんによって変わった、救われたと語る人はあらゆるフィールドにいます。

 一方で吉福さんと関わる者は、自己に「直面する」「向き合う」ことを求められました。その過程で当たり前の日常は非日常となり、常識と非常識、美徳と悪徳は逆転します。そのため吉福に関わった人のなかには、翻弄された、人生を狂わされたと思っている人たちも存在します。

 トリックスターと呼ぶ人もいます。ヒンドゥー教の破壊神、シヴァに例える声もあります。まっとうな人生を送るより「破綻」することを奨励し、その結果誰かが人生を棒に振ったとしても責任をとるつもりはないと公言。それでも、吉福さんは誰よりもやさしく愛にあふれた人間でした。セラピーやワークショップは「自分のためにやっている」と強調する一方で、帰宅した吉福がボロボロになるほどエネルギーを使い果たしていたことも事実なのです。

 盲目的な信仰やグルイズムを全否定した吉福さんですが、その主張はあらゆる宗教、スピリチュアリティのエッセンスそのものでした。逆にいえば、グル=教祖になる条件をそなえていたにもかかわらず、自らそれを拒絶し、世間から隠れることを選んだのです。抜きん出た能力と人を惹きつける魅力をそなえた人物が陥りがちな罠を、逃れることができたのはなぜなのでしょうか。

 吉福さんはあらゆる矛盾、ダブル・バインドを一身につめこんだような人物でした。自信にあふれた態度の裏には、抑えがたい自己否定の衝動がありました。世の中のすべてを知りつくしているように見えた吉福さんですが、実際には常に何かを問い、もがいていたように見えます。ホワット・アム・アイ? 自分は何者なのか? なぜ生まれ、なんのために生きてているのか? 

 現在でも古書を探せばの著作や翻訳書は手に入ります。だがそれらをいくら読んでも、その人物像はなかなか伝わってきません。吉福さんが伝えようとしていたことを言葉にするのは難しい。文字にしたとたんに嘘になってしまうような、繊細で壊れやすい”真実”がそこにはあります。

 吉福伸逸とは一体、何者だったのか? 簡単に答えが出るとは思いません。そもそも答えがあるのかどうかもわかりませんが、少しずつ考えていきたいと思います。


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