言葉の大切さについて。

 ぐりです。
 「言葉にする」ことと「言葉を知る」こと、皆さんにとってはどちらが大切ですか?「言葉を知って」から「言葉にする」ことができるので、どっちが大切だとか、簡単に言えることではないかもしれないけれど、僕は言葉を知ることの方が大切なのではないかと思います。
 言葉を知って理解していないと、僕の伝えたい感情を表現する手段もないし、本当に言いたい言葉がまっすぐに伝わらないかもしれない。
 「言葉で愛を伝えるのが難しい。」という趣旨のラブソングが世には溢れかえっていますが、それは「言葉にもできていない」し、「言葉も知らない」ということ。なんて凡庸な歌詞なのだろうか、と思っても世の中にはそれが受け入れられたりする。案外言葉にならないほどの愛、というのは身近なものなのかもな、なんて思ったりもするが残念なことに僕はまだ言葉にできないほどの愛に出会ったことがない。それは僕が寂しい人間だからなのかもしれないが、事実その人のことが好きなら「一生好きという言葉を毎日かけたい。」だとか直接的な表現をする方法などいくらでもあるはずなのに。

 ただ、そんな僕にも一つ困ったことがある。「私のどこが好き?」という問いかけを恋人から受けることだ。(今はいない為、妄想として楽しんでください。)
 急に恋人からの、「私のどこが好き?」という問いについて困ったことのある人も多いのではないでしょうか。僕は毎回困ります。「顔が好き」というのはあまりにも在り来たりだろうか、じゃあ「優しい性格」か?いやでもそしたら中身が好きで見た目は好きじゃないみたいになるか。こういう時はなんていえばいいんだ、どれが正解なんだ。と自問自答を繰り返し、大抵ひねり出す言葉は「全部~♪」なのです。なんて情けない話でしょうか、20代後半にもなって、猫なで声で彼女に♪が付きそうな勢いで話をしているのです。ああ、恥ずかしい。亡くなったおじいちゃんに見せる顔がありません。男らしく強くなれよ、と誓ったあの日のことを思い出すとふいに涙が出てきそうです。でも知ってます。おじいちゃん、あなたは夜中おばあちゃんに「疲れたよ~明日猟行くのやめようかなあ~」と弱音を漏らしながら膝枕をしてもらっていましたね。お互いさまということでいいでしょうか?
 話が逸れました。とにかく、僕が彼女を最大限喜ばせる言葉の武器を持っていれば、長考した挙句にドスベりをするというこの世の業のハッピーセットをしなくても済むわけです。なので、「言葉を知って理解すること」が世の中を生きる上でどれだけ大切なことなのかがお分かりいただけたかと思います。
 皆様も、自分で思ったことはなるべく人に的確に伝わるよう、様々な媒体で文字を読み、これから勉強をする機会を持つのもよいのかと思います。これからグローバル化が進む中で、英語を話せるのがスタンダードな世の中になっていくかとは思いますが、僕は英語なんぞ話せる気もしないのでこのまま年を重ね、頭の固い老人になり生きていくことでしょう。そしてたまに恋人などに「疲れちゃったぁ~」と甘えんぼするおじいさんになって人生を満喫していきたいと思います。

 今回もお読みいただきありがとうございました。偉そうに「言葉を知る」とか「言葉を知る媒体を読め」とか言っていますが、僕は今久しぶりにBLEACHを読み直しています。4コマに1回1行ほどのセリフがあり、とっても読むスピードが速くて楽しいです。なんかわかんないけどBLEACHマジおもしろい。言葉にしろって言われるとマジ難しいんだけど。
 と、いうことでぜひスキボタンのタップ、フォロー等々いただけたら嬉しく思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

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