浦100通信 #3 道の駅かまえ駅長 早川光樹さん
全国の浦好きの皆さんこんにちは。大分県佐伯市観光協会です。「浦100」の考え方を全国の皆さんに知ってもらおうと、佐伯市観光協会では法被やのぼりを「浦100」デザインに切り替えて、商談会などの場でPRしています。
「浦」に「100」と書いて「浦100」。この、なぞなぞのようなコピーの理由をいろんな人が聞いてくださるので、おかげさまで話も盛り上がります。食事会では「浦100」をランチョンマットにすると・・・もうこれは会話のネタとして触れないわけにはいきませんね(笑)。
さて、「浦100」立ち上げに関わったメンバーへのインタビューですが、今回は大分県佐伯市蒲江にある、道の駅かまえ Buri Laboratory 駅長の早川光樹さんです。
自己紹介をお願いします。
早川光樹です。神奈川県相模原市で生まれ育ち、いま佐伯市蒲江で生活しています。道の駅の店長兼、代表をしています。あと高平のキャンプ場を運営しています。今年(2023年)で27歳になります。
相模原から蒲江にくるきっかけは?
3つあるんです。
父が佐伯出身であること
魚が好きになったこと
日本食としての魚の可能性を実感したこと
子どもの頃、父の帰省でよく佐伯市にきていました。夏は海や川で遊んだ記憶があります。釣りもしました。蒲江にあったマリンカルチャーセンター(2018年に閉館し解体)にも行きました。
佐伯に帰ると海や田んぼがあり、自然豊かでワクワクしました。これが1の佐伯との接点です。2つめは、大学時代にアルバイトした鮮魚店の体験です。お客さんから注文を受けて板前さんに三枚おろしなどお願いする役割だったのですが、覚えた魚や食べ方も増えて魚が大好きになったんです。3つ目が、中国の大連に語学留学したときの体験。内陸部出身の中国人の友達を寿司店に連れて行ったらとても感動してくれて。この時、日本食としての魚の可能性を感じたんです。「魚を通じてお客さんに喜んでもらう仕事をしたい」と思うようになり、起業しようと考えていたときに佐伯が魚で有名なことを知りました。そして「道の駅かまえ」の運営公募を知り手を挙げて移住しました。大学時代に帰省したときに佐伯の人通りが減って少し寂しくなってきているなと感じ、何とかしたいと思ったことも影響しています。
大学卒業後、いきなり経営者に。どうですか?
道の駅は経営が難しい状態からのスタートでした。生産者の方、地域の人と一緒にどうにかしていこうと頑張ってきました。いま4年目なのですが、そのうち3年がコロナ禍でした。だけどいま、楽しくやれていますよ。ここは漁港が目の前にあり、産地にものすごく近い。遠くから来る価値のある道の駅だと思うし、非常にやりがいがあります。「道の駅かまえ」はブリの研究施設として2019年4月1日に「道の駅かまえ Buri Laboratory」としてリニューアルオープンしました。佐伯市はブリの養殖生産量が全国2位です。蒲江だけでもいろんなブランドブリがあって特徴が違います。料理もいろいろできる。ブリ大根、ブリしゃぶなど、料理に対しても研究したいということでこの名前にしました。ブリに特化した企画がメディアに注目されることで、「ブリの街」で有名になることを肯定的に捉えてくれる人も出てきました。冬になったら、「ブリを食べに佐伯に行こう」と思ってもらいたいですね。
「浦100」に参画した理由を教えてください
「人の営みが豊かな浦を100年後も残すにはどうしたらよいか」はずっと考えていかないといけないテーマだと思うからです。水産業の生産者が減っている、農産物が減っている現実を放っておくわけにはいきません。生産者の後継者問題もある。生産者がいなくなると道の駅もなくていいということになってしまう。孫に「昔は魚が美味しかった」とは言いたくないです。佐伯市観光協会がこういう課題に向き合おうとしていることを知ってよかったです。水産資源は何かやったからといってすぐによくなるわけではないが、やり続けなければいけません。売り上げの一部を自然の保護に使うようなアクションにつなげていきたいです。今は全くできていないけれども、生産者の支援もしたいです。それが浦の営みを100年続けることにつながると思います。人を残す、人を育てることにつながれば。
オリジナルデザインはとても気に入りました。リアス式海岸の佐伯の地形がしっかり描かれている。実はデザインの中にマンボウがいるんです。昔、蒲江のマリンカルチャーセンターにはマンボウが飼われていたんです。これまで積み上げてきた、蒲江の伝統がデザインに入っているのが気に入っています。
100年後、浦がどうなっていればいいと思いますか?
今よりも魚が獲れるのは難しいとおもいますが、ここで美味しい海鮮丼が食べられたらいいなと!