彼の季節


彼と会うのは、数ヶ月ぶりだった。


寒夜を見ながらふうっ、と息を吐く。
彼とはもう、かれこれ三年の付き合いになる。

いつも、数ヶ月に一度会う。
そして、いつも、待ち合わせの時間は遅い。


駅で少し待ってて、というメッセージに返事を打ち終わると、改札から出る。
周辺を見渡すと目の前にコンビニがあった。
数時間前にジムのトレーナーに言われたことを思い出し、食前に野菜ジュースを飲むことにした。

彼がいる街。三年経って初めてちゃんと来た場所。

今日は彼の家に少しだけお邪魔することになっている。

やがて5分ほど遅れて、彼がふらりと現れた。

「お待たせ」

彼の低すぎない声がやわらかく耳に届く。

「いえ、忙しいのにすみません」

わたしは軽く頭を下げ、

あ、これ、お土産です、と彼に
有名店で買ったフルーツゼリーを渡した。
彼とは長い間おつきあいだけれど、食の好みなどほぼ知らないに近い。
甘いものが好きなのか、しょっぱいのが好きなのか。
どんなお酒がいいのか、それとも、、、?と、
散々悩んだ末のお土産だった。

「あれ、なにこれ。タカノ?」と彼はひょいと持ち上げた。

「はい、フルーツゼリーです」

「ありがとう」

彼はふわりと笑顔になる。
わたしはこの笑顔が好きなのだ。

綺麗な顔で笑う笑い皺や仕草や、匂い。
彼といると、今でもあの頃の思い出が蘇る。

懐かしい、少しむかしのころ。


道をちらりと見て、

「どうする?」とこちらに向く彼に

「なんでもいいですよ」といつもの言葉を返す。

「じゃあ、お好み焼きと、ピザ、どっちがいい?」

彼がまた決めれないんだろう、という顔をした後に、わたしは

「お好み焼きがいいです!」

と笑顔で返した。
「粉物が食べたくて、」と付け加える。

少し驚いた顔の彼に、「あなたはどう?」と目配せをする。

彼は「俺も食べたかったんだよね」、と言い
「じゃあこっち」、と歩き始めた。



2階建てのビルの2階。

階段を上りガラガラと音がする戸を引くと、ソースの匂いが店内からただよってきた。

彼は慣れた手つきで座敷のせきに座ると、いつも1杯目頼む飲み物を注文した。
お互いが食べたい物を組み合わせ、いくつかバランス良く頼む。料理が運ばれてくるとお互いの近状報告になった。

話題は、彼が言った旅行先のことや最近の仕事の具合が主だ。

「○○さんはどう?」

そう聞かれてわたしは一呼吸おくと、ふんわりと当たり障りのない事を話す。
なるべく、人に突っ込まれたくないわたしの癖だ。

それはここ数年で学んだ事だ。

予防線を引く事で、自分が傷つかないための方法の一つでもあった。

そのなんでもないトーンで、
「あ、わたし、最近病院に行ったんです」と焼けたお好み焼きをつつく。

ぼうっとしていたせいか、ポロリと口から言葉がでてしまった。

鉄板焼きのテーブルの向こうで
彼がこちらを伺う気配がする。

ふふ、と冗談めかして笑いながら話すわたしの動悸はいつもより苦しかった。

日曜の夜になると、仕事をしなければいけない、という現実に戻るために心の準備をしてしまう。
その構えすぎる意識が無意識に、わたしを引きずりこもうとする。

そしてそれは、気の許せる人と一緒にいると出てくる厄介な症状だ。

少し話してしまうと、
他の言葉もぽろぽろと言葉になってでてきた。

せめて、もう少し、上手く息が吸いたい、と
背筋を伸ばす。

そんなので軽減されるわけではないと
わかっていながらもせざるはえなかった。

じゅうじゅう、という音と香りに意識を戻され取り繕う方法がわからず

取り柄ず笑顔になることにする。

「今でも、息が少ししんどいですもん」

笑いながら言うとわたしは
話をそらそうと別の話題を振った。




「寒いですねー」

吐く息が白い。

すっかり、もう冬だ。

ゆるやかな坂を歩きながら、彼の家へ向かう。

「そうだねえ。」
余計なことは言わず、お互いがお互いの間で分りあえる沈黙と空気感。

これが心地良くてわたしは、彼以外の人と
あまり一緒にいない。

途中のコンビニで、歯ブラシとメイク落としをいれ、
飲みたりなかった彼がカゴにお気に入りのビールを入れる。

メイクと落としのパッケージに
「お泊まりセット」と書いてあり
なんだか生々しいな、と思い目を逸らすと

「お泊まりセットだって。やらしー」と
彼が酔った時のニヤニヤ顔で言う。

一方で
「やらしいですよね」と笑って返すしかできないわたし。

なんでわたしはこんなもの買っているんだろう。
まあ知り合いだし?友達だし、、、?
という疑問が頭にもやっと広がる。

「もう必要なものはないですか」
「大丈夫。◯◯さんは?飲まないの?」
と言うので

「いただきます」と返事と同時に
近くにあったハイボールの缶をカゴに入れた。

そのままレジに向かうと
「いいよ、◯◯さんは。俺が出します」

いつもの調子で財布を出す彼に

「いえ、わたしが出します。
先ほどご馳走していただいたので」

と言うと、ふふ、ありがとう。と彼が言った。

先ほどより急な坂を歩きながら
ここの店行きたいんだよね、と通りすがりの店の話をしたりくだらない話で笑ったりした。


息が白く、コートから出た手と首が
少し冷たくかじかみ始めた頃に
彼の家が見えた。


つづく

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