マスク越しのあい



数年前の年の暮れ、それはそれはひどい風邪をひいた。
それは彼と会う日も変わらずだった。

本当は、会わなければよかったのだけれど
これを逃すと次はいつ会えるかわからない。

わたしは花柄の新しいワンピースを着て
彼を迎えに最寄りの駅へ向かった。

「重症だね」

と、彼に言われ、ごめん、と謝ることしかできなかった。

「うつさないように気をつけるね」

わたしはそう言って、鼻にかかりすぎたマスクを少し触る。

彼に会う日は少しだけ咳が落ち着いていたけれど、
マスクを手放せないくらいに咳はひどかった。


行く予定だったフレンチレストランは
予約をしておらず、入れずに
ふらふらと街を歩くことになった。


ほどなくして、ワインバーに着き
席に座れると、安心からかどっと疲れた気がした。
会いている店がなかったらどうしよう、と
少なからず緊張していたからだ。

だって、今日はクリスマスだったから。

彼と会うときは時間がいつも
バラバラで直前までわからない。
だから予約は出来ないし、
なんなら軽く軽食を食べた後に
どこかに行こうということもある。

本当は、落ち着いてご飯を食べたいし
予約だってしたいのだ、わたしは。


でもこんなのらりくらりの行き当たりばったりでも構わない。

彼に会えるのなら。


ワインバーには変わった料理が用意されており
どの料理にもわたし達は舌鼓を打った。

わたしは気を使ってよく笑い(恋人って気を使って笑うものだっけ?)
彼の話に耳を傾けた。

会わなさすぎると緊張するいつもの癖だった。


ほどなくしてふとしたことがきっかけで
彼は声を荒げた。

久々に会ってのこの有様だった。

店内に声が少し響き、わたしは萎縮したのと同時に

なんだか今日の努力を全てなかったことにされた気がしてわたしは「帰る」、と言った。

その時、「もう終わりだね」って
だれかがわたしの耳元で囁いた気がした。

ここで帰ってしまっては本当に終わりになってしまう、いいの?

そう、心の中でもう一人のわたしが言う。

「帰るよ、一緒に。」

散々考えた挙句、わたしは彼にそういうと彼は少し驚いた顔をして、
「わかりました」といい会計を済ませた。

わたしの家へ向かう途中、コンビニに寄り、飲み物を買う。

変な空気だよな、自分勝手に物事を言って振り回してる。そんな事は自分が一番よくわかっている。でもでも、でもさっきの発言はなかったと思う。

堂々巡りをずっと続けてしまうわたしを尻目に彼は何にも考えていないかのように真っ直ぐ前を見ている。

家に帰りテレビをつけると、年末の特番がやっていた。

気を取り直して、彼にプレゼントを渡す。

何も用意してない、と彼。

今思うと、これが終わりの合図だったのだろう。

わたしはふと冷静になってしまった。

彼に渡したプレゼントはわたしが散々探し回り見つけた物である。

ネットでリサーチをかけ、ひと月も前から探し店舗を7時間も回った。

なのに、これだ。

今すぐ部屋から出て行って欲しい衝動になられながら(こんな事でそこまで思ってしまうわたしは子供のかも)

何事もなかったかのようにいつものようにしなきゃ。

深呼吸をして、彼にわたしたマフラーを巻いて欲しいと頼んだ。

うん、似合っている。彼が好きなブランドのマフラー。

好きな色合い、丈感、肌触り、自分で言うのも完璧だ。

ひどいくらいに似合っているな、と彼とマフラーを見ながらわたしは少しだけ苦笑した。


次回会うときに一緒に選ぶことを約束して
その日は2人でマスクをして寝ることにした。


おやすみ、とわたしがマスク越しにいう。

すると彼もおやすみ、と言い
マスク越しにキスをしてくれた。

それだけで今日の嫌なことがなくなった気がした。

わたしって単純な人間だな、と
思いながら彼の腕の中でいつの間にか寝ていた。



翌朝、わたしの通勤時間に合わせて一緒の電車に乗る。

彼と会うのはきっと最後だろう、と思いながら暗い地下鉄の窓をぼうっと見ていた。


乗り換えの駅に着くとわたしは席に座った彼に言う。

「じゃあね」


「じゃあね、また」


と彼が返す。


また、があるのか。

言葉の”あや”か。

電車を降り、こちらを振り向いている彼に

片手を上げ、手を振り、わたしは踵を返しエスカレーターをあがって行った。







ちなみに、この日から約一年後、わたしのもとに

彼から返信不可な手紙が届く。


この話はまた別の機会に。



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