在日韓国人の名前

韓国人の伝統的な名前の付け方

 韓国には同列字(돌림자)という概念がある。この一族の男子の何代目はこの文字を使って命名するというものである。
 たとえば密陽朴家という一族の糾正公派に属する人であれば、73代目には〇烈、〇容、〇熙などと命名し、その次の74代目は重〇、時〇、埈〇などと名付けるのがルールとされている。その代の男子にどの文字を使用するかは族譜(チョッポ)という家系図に記されていて、たとえば74代目の子供には朴泰容(テヨン)、次の子は朴守容(スヨン)といったように続けていく。密陽朴家糾正公派73代目であればほかの男性は朴東容(トンヨン)といった名前で、血縁関係が程遠くても「おたくも密陽朴家糾正公派の73代目ですか」とわかるというわけである。その子供には次の字を使って朴時憲(シホン)などの名前を付ける。

 この密陽朴家というのは本貫というものであり、孤児で親がわからないなどの事情がなければ韓国人はみな自分がどの一族なのかを基本的に把握している。僕は慶州李家だ。ちなみに密陽朴家は韓国でももっとも人数が多い本貫とされていて分派も多い。
 日本人でも兄弟で太郎、次郎とか大輔、孝輔といったように同じ字を使うことがあるが、韓国のそれは一文字が固定されていることが特徴だ。これに従うことが韓国人の伝統である、というわけである。
 男子だけなのは父系社会の影響で、家を継ぐとされるのは基本的に男子なのは日本とおなじだ。

 この同列字だが、韓国ではわりと継承されているのだという。僕の年の近い母方の親戚たちの代は栄〇なのでみな栄哲(ヨンチョル)とか栄孝(ヨンヒョ)といった名前である。
 ところが父方の家庭は少し事情が変わる。まず僕の父親兄弟は名前が一文字しかない。漢字が二文字あるなら同列字とほかの字で区別するが一文字なのでそれができないのである。これでうちの父の代では同列字が崩れた。いや、じつはもっと前から同列字を採用していない。というのも父方の一族はキリスト教徒で、韓国の古いキリスト教徒には儒教的な伝統を意識的に採用しないといった傾向があるのだ。なにせ自分の子供に「朴パウロ」とか「鄭マリア」のように聖書由来の名前を命名することだってある。ここまでくると同列字もくそもない。
 そのほか一族との繋がりにあまり関心がない人であったり、そういったのにとらわれたくないという人もいる。「そんなの古い習慣じゃないか」という人もいる。同列字をもとに名前を命名される人もいれば気にしないよねという人もいるのだ。

在日の名前

 さて日本に移民し数代住んでいる在日韓国人である。僕の代で三世というのも珍しく、一世が早くから日本に来た家であればもう六世などという人もいる。
 いまや韓国籍の在日も減少し、帰化する人も増えているほか、日本人との結婚が当たり前になってきた。いまでも「韓国人とは結婚させられん」という人もいるようだがかつてほどの差別はないし、そもそも在日どうしで出会うというのが困難だ。
 僕のように韓国語の名前で生活している人であればともかく、多くの在日は通称名(通名)で生活しているので言われなければ気が付かない。在日ばかりのコミュニティに属している在日は多くないのである。

①通名と民族名が違う

 それでも僕の世代くらいまでによく見られたのは、ふだん使用する通名とは別に同列字に則った民族名を別に持っている、というパターンの人たちだ。徳山浩介として知られているが、韓国語の名前は朴泰容といった具合だ。ふだんは徳山浩介で生活して学校も会社もこの名前で、自分の「本名」である朴泰容という名前は使わないけど知っている、といった具合だ。

②日本の名前しかない

 その徳山浩介さんが結婚して子供ができたとしよう。その男の子には徳山伸弥という名前がつけられた。伸弥くんの韓国語の名前は密陽朴家糾正公派の74代目として朴時憲を・・・ではなく、朴伸弥(パク・シンミ)である。日本人と同化しつつある在日韓国人の名前には、このように日本語の名前の漢字をそのまま韓国語読みしただけというのがよくある。ふだんは通名で生活しているので日本語の名前しか名付けない。
 ここで同列字に則って朴時憲という名前を命名するような家はかなり在日韓国人として民族意識が強い親だと言っても過言ではない。もしかするとその親が命名している可能性もあるが、いずれにせよ自分の本貫を把握し、さらには同列字に則った命名をする在日韓国人家庭は少数である。

③日韓両方で使える名前

 日韓どちらでも不自然にならないような名前にする人もいる。ちなみに僕の名前もこれである。
 例えば弘樹さんであれば韓国語で「ホンス」、日本語で「こうき/ひろき」と読める。同列字は無視してもこのような命名をされている人は少なくない。朴さんで通名が徳山なら、ふだんは徳山弘樹(とくやまこうき)で生活して韓国語の名前は朴弘樹(パク・ホンス)である。書くだけならば姓を入れ替えるだけでいい。

④そもそも民族名しかない

 先代もしくは当人の民族意識が強く、通名の使用をなにかしらの理由で辞めた人、もしくはなにも考えていない人だ。
 朴泰容さんであれば朴泰容(パク・テヨン)で日常生活を送っている、もしくは朴泰容(ぼく・たいよう)として生活している。まあ「たいよう」であれば最近は「太陽」という人もいるが、この字面は日本語の名前としては不自然だろう。肌感覚だが、上の世代の人は日本語読み(ここでは「ぼく・たいよう」)で近年では韓国語読み(「パク・テヨン」のほう)を使っている人も増えた気がする。
 なかには通名の姓と合わせて徳山泰容(とくやまたいよう)のような名前で生活している人もいる。けっこうレアな例かもしれない。

日本人化する命名方法

 こればかりは仕方がないのだが、在日韓国人の多くは韓国語ができない。韓国社会とも分断されており、韓国人の命名事情など知らないのが当たり前だ。なのでどうしても日本人とおなじ名前をつけて、後付けで韓国語の読み方をする②の方法が増えてしまう。
 民族意識が強い人ほど①や③のように韓国語の名前をつけたり、なかには男子には同列字をと拘ることもあるが、その子供がまた民族意識を強く持つとは限らないし、民族意識が強い人でも韓国語の名前を避ける人もいる。
 僕のように民族学校に通った人が必ずしもごりごりの韓国語の名前がいいのかというとそうでもない。もちろん傾向としてはある程度あるかもしれないが。どのような環境で育った在日でも、これからは②のような人が増えていくのだろうと思う。

自分の民族名を知らない在日

 最後にこれについて触れておかねばならない。
 帰化、つまり日本国籍を取得する在日が増加していることは述べたが、早い段階で日本国籍を取得したり、帰化した日本国籍の両親から生まれた在日の人の場合だが、名前以前に自分の韓国語の姓も知らないという人が珍しくない。どちらかの親が日本人の場合は尚のことである。
 彼らに「韓国での故郷はどちら」などと聞いても知らないという人が多く、韓国籍であっても知らない人は増えている印象だ。本貫になってくるともう親ですら知らなかったりする。

 これを「日本人への同化」だといえばそうなのかもしれないが、名前で民族意識が左右されることはあまりないように感じる。むしろ姓のほうがだいじなのかもしれない。
 在日といってもいろいろな人がいるのは言うまでもないのだが、名前ひとつとってもそれは盤石ではないのであるというのを感じていただければと思う。

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