結婚するなら朝鮮人

 母親方のいとこたちはひとりを除いてみな日本人と結婚した。残るひとりのお相手はベトナム人である。対する父方のいとこたちは同胞と結婚した。
 こう並べると僕の母方の家族よりも父方の家族のほうが民族色が強い。そう判断できそうだが実際のところは逆で、母方は韓国民団の幹部や民族学校卒業生を何人も輩出したが、父方家族は民族団体や学校にかかわらないだけでなく在日であることを隠そうとするほどである。それでも同胞と結婚したのは父方のほうが多かったのは決して狙ったわけでもなく、出会った相手がたまたま在日同胞でしたということらしい。

 親世代の人たちには日本人との通婚も珍しくなく、1995年うまれの僕とおなじくらいの歳の在日韓国人には「ハーフ」や「ダブル」という人が多い。民族団体も日本人の母親をもつまとまった数の新たな世代の在日に対してどのようなアイデンティティの在り方を提示できるのかといった議論がなされていた。

 親のどちらかが日本人という在日韓国人四世・五世たちが増えた一方で韓国出身の母親が多いというのも僕や少し上の世代では目立つ。というのも、この時代の親世代はまだ「同胞と結婚してほしい」という人たちが多かった。日本人と結婚させるくらいなら本国の同胞と、ということでお見合いも多かったらしい。韓国クラブで出会ったという話もよく聞く。
 近年でも少しご年配の方は「息子の嫁には同胞がいい」と考える人がいるようで、僕は在日韓国人向けの婚活サービスの運営に携わっていたのだが、40歳前後で「独身の我が子は同胞と結婚してほしい」と相談に来るのは、たいていその息子さんに会社を譲った後のご両親だった。
 「日本人と結婚したらことあるごとに『朝鮮人やから』って言われるぞ」と言うのはうちの父親である。そんなことないやろと思いながらも親世代は実体験としてそれを持っている。ちなみに父親は民族意識というか愛国心というかイデオロギーが強く「朝総連のアカと結婚するくらいなら日本人にせえ」と言うのは身内が6人、帰国事業で北朝鮮に渡ったからだろう。とにかく口が悪い。

 「結婚するなら何人でもいい!」という言説はあまりにもきれいごと過ぎる気がする。僕は被差別部落の近くで育ち実家はかつての朝鮮部落のなかにあるが、ついこのあいだも結婚差別があったと聞いた。
 イエどうしの結婚という概念にどれほどの価値があるのかわからないが、通過儀礼としての結婚には両家家族の存在は無視できない。もし相手に挨拶できる家族がいるのであれば「娘さんを下さい」みたいな時代遅れなことを言わなくても挨拶くらいはするべきだろうし、こちらの家族にも一度は会ってもらう必要があるだろう。

 カトリック教徒にとっての僕の結婚は、神に祝福された教会での秘跡婚以外には考えられない。役所に書類を提出して「結婚したね」と言っても紙切れ一枚の結婚には価値を置かない。信者である僕にとって結婚は聖なるものである。
 そしてカトリックは神の前にすべての人々は平等である。人々の実態がどうであれ、神は人々のあいだに差を付けない。僕も神に倣うべきなのだが、やはり僕はみじめな人間である。結婚するならできるだけ自分に理解のある人がいい。くっついたり離れたりしながらじつに7年ほど付き合っていた彼女の母親は僕に会うことを拒否した。朝鮮人だからである。他にも理由はあったと思うが、少なくとも彼女からはそう聞かされていた。

 比較的リベラルな信条をもつ僕が「結婚するなら同胞がいい」と言うのは意外だと反応されることがあるし、一方で民族意識が高いのでそうなんだろうと思う人もいるようだ。「できれば」の話であって絶対に同胞がいい、もし日本で出会えなければ本国から連れてくる、というほどではない。僕にとってだいじなのはエスニシティよりも相手がカトリックに改宗できるかどうかで、それだって絶対にカトリックがいやだとか特定の信仰があるから改宗したくないというのであれば求めないし、そうでなければかたちだけでも洗礼を受けてくれれば嬉しいなあというだけの話である。カトリックの秘跡婚は信者どうしでなければ成立しないが、そうならないのならせめて教会で結婚式をするだけでいい(これは譲れない)。

「子供の頃からずっとお父さんに、韓国とか中国の男とつきあっちゃダメだ、って言われてるの」

金城一紀『GO』角川文庫,2007.

 僕がずっと引用している小説の一節だが、この物語のハイライトのひとつだ。もし僕が在日であることを言わずに付き合って、それを明かしたときにこれと同じようなことを言われればどう反応するだろうか。きっと泣いてことばが出ない。いま日本国籍で李という姓に変えたのでラクだ。僕の民族的属性で付き合えないというのであれば最初から離れてくれる。

 歳なのか、母親が「結婚するなら朝鮮人としてほしいなあ」とぼやくようになった。僕が絶対に譲れない条件はダウン症の弟を大切にしてくれるかどうかなので、相手が在日だろうが日本人であろうが関係ない。
 嫁いできた日本人の配偶者の実家との付き合いに戸惑う母親のきょうだいたちの期待に沿う必要もないのも頭ではわかっているが、一方でどこかで結婚するならできれば同胞がいいなと思っている自分がいる。

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