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【短編小説】四月の海


寝るには早く、出かけるには遅い21時、今日もパッとしなかったなとぼんやりしていると、突然携帯が鳴った。ロクさんからだ。

「これから海に行くんだけど、お前来る?」

ロクさんの誘いはいつも唐突だ。けれどそのタイミングは見計らったかと思うくらいたいてい暇を持て余している時なので断れない。電話を切ると萎んだ心がむくむくと期待で膨らんでいくのを感じる。今日の夜は楽しくなりそうだ。


15分後にピピッとクラクションが鳴る。ロクさんのハイエースが着いた合図だ。部屋の扉を開けると夜風がすうっと室内に入ってきて背中を押す。まるで、「いってらっしゃい、楽しんでね」と肩を叩いてくれるようだ。車内には数名の男女がいた。
まぁちゃん、まぁちゃんの弟のユーシとミホだ。

「いつものとこでいい?」

「いいですよ」

いつものとこは荷台だ。ロクさんが配送に使う段ボールと毛布を敷き、横になる。「じゃあ、出発進行!」エンジンの振動が伝わってくる。横になるとどこを走っているのかわからない。ただひたすら続く電線と見え隠れする月を眺めながらここはどこだろうと想いを馳せるのは楽しい。


「はい、今日の主役のお家に到着!ユミ、お前佐々木迎えに行ってきて。俺は買い出しに行ってくるから、マルヨシ集合ね」

「はい、わかりました」

歩くたびにミシミシ音がする階段を上り、教えられた部屋番号の扉をノックする。「はい」扉を開けて出てきたのは上下毛玉だらけの灰色のスエットに天然パーマかと見間違うくらい寝ぐせでうねりまくった髪の佐々木先輩だった。どうやら今起きたらしい。

「久しぶりだね」

「そうですね、じゃあ行きますか」マルヨシは佐々木先輩の近所のスーパーだ。マルヨシまで私達は無言で歩き続けた。

私達はバイトをしていたライブハウス「ワイルドホース」の先輩後輩だ。ロクさんは店長。まぁちゃんは同僚だ。店を閉めた後も、たまにロクさんは私達を遊びに誘ってくれる。そのタイミングはだいたい誰かが調子が悪い時だ。今回は先輩が失業し、鬱状態だとロクさんから聞いていた。先輩はミュージシャンで、色んなバンドでギターを弾いているのだが、最近謎の感染症が流行り、ライブハウスは軒並み休業に追いやられ、先輩は仕事を失ったと言う。

「ユミちゃんは仕事、続いてるの?」

「ええ、まぁ・・」

「そう、続けた方がいいよ、仕事。もう、俺怖くて通帳の残高見れないもん。いつまでこんな状態続くのか先が見えないしさ・・」

「そうですね・・」

嘘をついた。仕事は一か月前に辞めていた。先輩の姿があと数か月の自分のように思えて、直視できなかった。


 「久しぶり!いやあ相変わらずマルヨシは攻めてるね!」

ロクさんはテンション高く戦利品を抱えて助手席に乗り込んだ。マルヨシはちょっと怖くなるくらい安いスーパーだ。聞いたことのない名前の魚が売っている。

「この魚のアラでダシとったらうまいんじゃない?」

ロクさんはキャンプ道具を持ってきている。海でラーメンを食べるらしい。「はい、ユミちゃん」ミホが皆にジュースを配っている。ユーシはずっとオンラインゲームに夢中だ。

ミホはDV夫から逃げて実家暮らし、ユーシは中卒で塗装屋の仕事をしていたが最近親方と喧嘩をして仕事を辞めた。まぁちゃんが一家の大黒柱だ。ロクさんはミホとユーシが店によく来ていたので今でも気にかけている。

「じゃあ今から南出海岸に行くぞ」南出海岸は隣の県の海だ。チューハイを呑みだしたロクさんに代わってまぁちゃんが運転している。ロクさんとまぁちゃん、ミホは楽しそうに何かしゃべっている。先輩と私は荷台で丸太のように横になっていた。車内ではSkip James のDevil Got My Womanが流れ始めた。よれよれの掠れたボーカルは心に深く染み込み、気怠さが心地いい。


「うわ、すげー寒い!」

四月の海は予想外に寒かった。

「寒いからこそ、ラーメンがうめぇんだよ!」ロクさんははりきって調理を始める。私と先輩は車内から荷台の扉だけ開け、空を見上げた。プラネタリウム以上に綺麗で大量の星達が視界に広がった。

「きれいですね」「うん」

「でも・・寒いから外に出るのは無理っす」 「俺も」

外ではユーシとミホが寒い寒いと言いながらも楽しそうにはしゃいでいる。
「おーい、ラーメンできたぞ!」まぁちゃんが呼んでいる。私と先輩は重い腰を上げて外に出た。ロクさんの作った謎の魚入りラーメンは、正直寒くて味はさっぱりわからなかったが、温かいというだけで美味しく感じた。震えながらラーメンを食べ終わると急に眠気が襲ってきた。皆もそのようで無言になってきた。車内で仮眠を取り、朝方帰ることになった。車内では映画「デッドマン」のテーマ曲が夜の波音のように激しく、悲しく鳴り響いていた。


 朝6時に目が覚めると先輩が皆の食べ散らかした皿や空き缶を集めていた。「店の時も、最後の片付け俺とユミちゃんがやってること多かったよね」「でしたね、ロクさんはいつも客と一緒に呑んじゃうもん」「そうそう、あの人は昔からそう。変わんねぇよな」先輩が笑っていた。

「先輩、私実は仕事辞めたんですよ」

「あ、そうなんだ。ロクさん、それ知ってんの?」

「ロクさんに紹介されて始めた本屋の仕事だったから辞めたって言えなくて・・」

「たぶん知ってると思うよ。あの人、人の痛みに敏感だから。言動はちょっと荒いけどああいう人が本当の優しい人なんだと思う」

そうかもしれない。私もまぁちゃん一家も先輩も社会のレールからはみ出た人間だ。レールからはみ出てても見捨てないロクさんのような人がどれだけ支えになっているか。こんな夜があるからなんとか生きていられる。空はいつの間にか闇のカーテンの幕が上がり朝日がうっすらと見え始めていた。

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