小山内 豊「ボブと歩く」感想
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夏だ! 猫だ! 大移動だ!
◇「ボブと歩く」あらすじ
飼い猫のボブを亡くしたタケル。居場所のなさを痛感した彼は仕事を無断欠勤し、放浪の旅に出ることとなった。遺灰の半分を公園に埋め、残り半分と共に移動を開始する。神奈川県の高田駅から早渕川を渡り、第三京浜道路の都築PA付近まで歩いた。
途中、友人の美由が電話をかけて来た。事情を知ると「いっしょに歩きたい」と言う。翌日の夕方、二人は小田急線の相武台前で合流を果たす。連絡をもらった時は消極的だったタケルだが、彼女の姿を見て喜びを感じる。
夜通し歩いたタケルは眠る必要があった。周囲に休めるような場所もなく、二人は仕方なく近くの病院へ向かう。しかし疫病下であり、待合はごった返していた。臨時に増設されたベンチで数時間休み、二人は出発する。
相模線の線路を越え、相模川、中津川を渡った。伊勢原に入った頃、会社の上司、姉と続けざまに連絡があった。タケルは上司に退職したい旨を伝える。スマホは姉との通話中に電源が切れた。
小田原、箱根、三島、沼津へと移動を続け、富士市に入ったとき美由は「いったん帰る」と言った。代官山の店で働いているらしい。彼女はこれからも仕事を続けながらタケルと合流し、旅を続けることになった。再会の約束を交わして二人は別れる。タケルはこういう約束のことを居場所というのかもしれないと思った。
読みながらグーグルマップで道のりを見ていた。
高田駅から出たのが5/8の夜、5/10か5/11に伊勢原に入り、箱根と沼津でそれぞれ一泊している。だから美由が一時離脱したのは13日か14日かな。
6日間で120キロと少し。こうして見ると説得力のある道のりですね。接客業の美由が5/8~14の間タケルについて回っていたというのも、なるほどなあと思いました。GWに働いたぶんの振り替えですね。初読時点では日付とか全然気にしてなくて、フツーに「美由ちゃんこんな仕事休んで大丈夫!?」と思った。ちゃんと読むってだいじだ。
と同時に、日付に意識が向くことによって不思議に感じた箇所もあった。美由が電話してきた時、「寒い? 防寒具を持っていくわね」と言う。同じ場面でタケルの息も白くなっている。5月の神奈川って息が白くなるくらい寒いんだろうか? 岩手はわりと寒いけれども・・・。
構成はこんな感じです。
あらすじには反映できなかったけれど、物語と並行して美由との関係が深まっていって、良かったな~と思う。優しい終わり方で心が平和になった。
全体として主題がハッキリしていて読みやすかった。ちょっと作者の恣意が強い?と思う箇所もあったけれど(たとえば病院から出て歩いている時にタケルが「僕の中でボブの死は父親の死と共鳴している」と話すところと、別れの場面で美由が「あなたはファサードを解体している」と言うところだ。)感想を書く側としてはありがたい限りですね・・・。
あえて言うなら「ファサード」的概念について、もうちょっと前の段階から話に出ていてもいいのかも。読み飛ばしたかと思ったから。
ただこのシーンはタケルも「なんだそれ?」って感じていそうではあって、そのくだりに、自分の殻に閉じこもっていた彼が他者を感じるという意味も込めているなら、必要な工程なのかもしれん。
◇間接/直接
いわゆる脇役といわれるひとたちがイイ味出してるな~と思いました。なんていうか「いそう」な感じがした。スマホで間接的に話すひと、その場で直接話すひとの対比が上手く出ている。
スマホで話す人々は家族や上司など、義務や責任を伴う相手です。だから主人公もしがらみとして鬱陶しく感じる。いっぽう、行く先々で直接的に話す人々にはそういった義務や責任がない。だからタケルも信号で会った熟年の夫婦に対しては素直に応えることができる。
そう考えると、病院で「後日、ウィルスに感染したと言われても、困りますからね」の一言でタケルを仮眠させておいてくれた看護師はいいひとでした。義務も責任もある状態で例外を設けるのは難しいことです。
タケルは、美由とは直接的にも間接的にも話します。美由は彼女固有の目的を持った自由な存在だけど、タケルの身を気遣い、同伴者としての責任を果たそうとしてもいる。他の異性とも関係をもっているとほのめかされているので、もしかしたらちゃんとした恋人ってわけではないのかもしれないが。でもむしろその感じでついて来てくれるなら良い同伴者だと思う。
やっぱり読んでる側としてはタケルの今後が気になる。
世の中にはロバと旅をしている人もいるから、意外となんとかなるのかもしれない。いいよね、そういうの。とは思いつつ、異常気象は激化の一途をたどっているわけで、どこまで放浪生活を続けられるんだろうかと考えてしまう。まあ続けられなくなったときに考えればいいか。
結果的に、タケルは早期リタイアして独立する道を選択したのだ。客観的に見ると(なんかこういう王道みたいなのあるよな。。)とは、ちょっと思った。なんだかんだ色んなしがらみがうまいこと噛み合って、ゆくゆくは海外の田舎でのんびり暮らしたりしてそうである。そこまでいくと、ちょっとドリームすぎるけれど。
でも、そうならないと困るとも思う。タケルが経済的不安を感じていないのが心配になるからだ。いや、絶望しきったタケルがカネどころの騒ぎではないのはわかるんだけど、最後のあたり、見ようによっては鬱から躁に転化して退職キメたみたいにも見えるので・・・。
まあ美由と別れる前に、箱根あたりで放浪生活の準備をしたんだろうな、と春Qは思った。最低限のアウトドア用品を備えるとかそういうのはもちろん、スマホの支払い関係をどうにかしないと再会もできない。春Qは男の貧乏旅が好きなので、そのうちタンポポコーヒーの自作もしてほしいなあと思いました。
◇ボブのかわいさ、及びタイトルについて
良い文章なのでちょっと長めに引用する。
愛がこもっている。特に「モニターから視界を遮るのが上手かった」以降の内容ときたら・・・! 完全に悪さしかしてないんだけど、ボブがいなくなった今、それがどんなに価値のある時間だったかが伝わってくる。
ボブの容姿についてはわりと序盤で説明されており(首回りの毛が長いからボブと名づけたこともそこで明かされる)、ほかにも風呂の残り湯を飲むとかのエピソードもあるんだけど、この文章の中のボブがイチバンかわいい。後半に据えるにふさわしいな!と思いました。
・・・で、美由もボブカットらしい。
だから「ボブと歩く」の「ボブ」は、猫のボブ(の遺灰)だけでなくボブカットの女・美由のことをも指しているのか、と春Qは読んだ。
でも我ながら、なんか・・・それってどうなんだ。
だって作中で美由がボブと呼ばれているわけでもなし、ダブルでボブならタイトルが「ボブたちと歩く」になってしまう。違いますやん!
いや白状すると実はタイトル「ボブと歩く」を見た時点でどうもボブ・サップのイメージが浮かんで(こいつはホットでファニーな話に違いない!)と思った。読んだらシリアスな雰囲気だったのでちょっとビックリした。かわいい猫ちゃんの名前にケチをつけるわけではないが、ある意味タイトルで損をしているのかもしれないな、と思った。だってこの話は全猫好きが読むべきじゃないですか。・・・でも「猫と歩く」だったら、タケルがボブをただの猫としか思ってないみたいになっちゃうしな。やはりボブはボブなのか。
次回の更新は8/2の予定です。
見出し画像デザイン:MEME
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