ほとんど100パーセントの朝に

 蒼くん、音読して?
沙羅は言いながらベッドに腰掛けた。彼女の爽やかな重みはベッドを上手に沈ませ、彼女の深い吐息が僕の部屋の空気をちょうど良い濃さに仕上げたのを感じた。自分の書いた小説に対して、音読してという誘惑を退けることのできる人間は一体どれほどいるだろう?
 僕はほとんど100パーセントの人間を知っている。その男は僕に、等身大の「僕」を主人公にした小説なんかは書いちゃいけない。だって、そんなのを「君」以外の誰が読んだって恥ずかしいだろ? そんな君の自慰小説なんて、書く意味がないんだ。書くとして、それは引き出しの中にそっとしまっておく程度のものでしかないんだ、とよく言った。そう言って、僕の書いた小説をやれやれという顔で読んだ。それは彼の口癖だった。
 彼の書く小説は、喉が乾いた女が時計を眺めるところから始まる。僕は、でも、彼の書く小説が好きだった。そのほとんど100パーセントの男の中にある何かが僕を魅していた。僕がそのことに気づいたのはもちろん、ずっと後になってからだったけれど。
僕は静かに、自分の書いた自慰小説を1ページ目の1行目から声に出して読み始めた。沙羅はベランダの窓を開け外に出た。彼女が整えた空気が、すうっと音を立てて僕の耳の後ろから窓の外へ抜けていくのを感じた。
 部屋に女の子呼んでおいて、ソファもないの? ベッドしか無いなんていやらしいわ。
 僕はごめんと言った。彼女は、いいけど、とベランダから戻ってきて北向きの大きな窓を閉めた。
「星でも見えた? 」
「東京に星なんてないよ、蒼くんの小説はこうやって聞くべきかな、ってちょっと思っただけ」
 なんだそれ、と僕が言うと、彼女は笑いながら僕の隣に腰掛けて僕にキスをした。僕は欲望を感じていたかもしれない。それから彼女は立ち上がって冷凍庫からウィスキーとロックアイスを出し、僕の部屋に一つしかないグラスに注いだ。


〈大学一年次、初めに書いた小説より一部抜粋。『ほとんど100パーセントの朝に』〉

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