そよ風の町1

今日も町中に、優しい風が吹く。
どこかいつもと違う風のような気もしていた。

「うーん…気持ちいい…今日もいい風が吹いてる。」

僕の町ではほとんど1年中、風が吹いている。

優しい、僅かなそよ風。

町の者も町を訪れる者たちも皆、「そよ風の通り道みたいだ。」と言って、この町を「そよ風の町」と呼んでいる。僕は勿論、両親の親さえも生まれていない頃からその呼び名が好まれ、今では本当の町の名前を知らない人がほとんどだという。


「ハル、またここにいたのか。」


不意に背後から話しかけられ、はっと我に返った。振り向くと、小さな花束と、ポットと紙の包みを抱えた父さんが立っていた。


「父さん。珍しいね、父さんがここへ来るなんて。今日はもう仕事は終わったの?」


父さんは、あまりこの丘へは来ない。


「下を通り掛かったらハルが居るのがみえてな。今日は早めに切り上げてきてみたんだ。」


そう言って、にかっと笑う。

父さんは優しい。

僕は父さんと二人で暮らしている。母さんは十年前に、今僕のいるこの丘の先の崖から落ちて死んだ。崖の下で母さんの姿は見つからなくて、本当かどうかは分からないけど、この高さからでは確実だろうと町の皆は言った。当時、まだ四歳だった僕には、母さんが居なくなるということが与えた精神的ダメージはあまりにも大きくて、今でも引きずったままでいる。その証拠に、僕は自然に笑顔になることが少なくなっていた。でも、年を重ねるごとに父さんの気持ちが分かるようになり、父さんのためにと偽ものの笑顔を作るようになった。今では悲しいくらいに上手く作れる。

母さんが死んだあの日から、毎日少なくとも1時間以上は町の見渡せるこの丘の上に立って景色を眺めてる。それが僕の習慣になっていた。母さんのお墓もここにある。母さんが好きだった場所。ここへ来れば、母さんがまた微笑みかけてくれるような気がするんだ。


「あ…そっか。今日は、もしかして結婚記念日?」


母さんのお墓に綺麗な花束を添え、座り込む父さんを見て、僕は思い出したように呟いた。


「ま、そういう事だ。結婚二十周年だ。」


父さんはまた、にかっと笑ってみせた。その笑顔を見たら、何故か泣きそうになった。父さんが、母さんの眠っているこの丘へ来るのは特別な日だけだった。結婚記念日,母さんの誕生日、父さんの誕生日、僕の誕生日、そして年明けの“風の祭り”。この、年に五回だけ。


「こういう時しか、ここへ来ないなんて母さん怒ってるかもなぁ。まったく無精なんだからってさ。」


「そんなこと無いよ。…母さんは優しいもん。」


そんなこと無い。

僕は知ってる。

父さんは僕のために、前よりも忙しく働いていること、そしてその合間にはいつも、この丘を見上げていることを。父さんの豪快さの半分は、空元気なのも知ってる。僕を不安にさせないように隠してるんだ。そんな家族思いで、母さんを世界一愛してる父さんを、母さんが悪く思うはずなんてないじやないか。


「なんだ、ハル。父さんのフォローはしてくれないのか?」


「…だって、ウソは良くないじゃん。」


お互い顔を見合わせて、ニヤリと笑う。


「ははは!いったな、ハル!」


僕を捕まえると、髪の毛がボサボサになるまで乱暴に頭を撫でる父さん。こうやって、特別な日に丘の上で父さんと過ごしていると、三人で暮らしていた時みたいで凄く幸せな気分になれた。


「ほらハル、スープだ。あったかいぞ。」


花束と一緒に、父さんが持ってきたポットの中身はス-プだった。僕の町の人気店、リュネおばさんのスープショップのホットチリトマトスープだ。潰したトマトがたっぷりと入ってて、挽き肉とじゃがいもと玉葱とキャベツ、粉チ一ズも入ったピリリと辛いトマトスープ。僕のお気に入りの一品だった。


「僕、これ大好きなんだ!ありがとう、父さん。」


僕は思わず顔をほころばせながら、早速スープを一口。


「うん、美味しい!」


「そうか、そりゃよかった。ハルは本当にリュネさんのスープが好きだよなぁ…。」

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