そよ風の町3
母さんの声は、ぼんやりとしか覚えていない。
それでも何故か、絶対にそうだという自信はあった。
「…あぁ、ハル、私の可愛いハルなのね…無事で良かった」
母さんの声だ。
風に乗って、優しく、囁くように僕に話しかけてくれている。
「どうして…?」
「 ハルが、崖から落ちるのを見て、死なせてはいけないと思ったの。私のような目に合わせてはいけないって。私は、十分に幸せな生き方ができた、もちろん、ハルともっと一緒にいたかったわ。でも、悔いはなかった。あなたのような、まだほんの少ししか生きていない、幸せをまだまだ感じなければならない子が、こんなに早く命を落とさなければならない理由がどこにあるの?そうでしょう?だから、私は願ったわ。どうか、命を落とさないで、って
「本当に…本当に、お母さんなの?」
不意に、地面が視界に入ってきた。
母さんの声に気を取られている間に、少しずつ不思議な風で上へと上がっていた僕は、さっき僕が落ちた崖まできていた。そして、僕の周りから風が離れていき、ストンと地面へと降ろされた…。
「ハル、母さんはね、10年前、ここで風の歌を歌っていたの、風と一緒にね。その時、お花も摘んでいたわ。今は咲いていないみたいだけど、綺麗なお花が咲いていたの。そして、崖の下の方に、ハルの好きな花を見つけて。母さん、ハルを喜ばせようと思ったのに足を滑らせちゃって…。でもね、死んだりはしていないのよ。母さんは風になることができた。あの時、風たちが母さんを風にしてくれた…。ハルの目の前に現れたり、抱しめたりは出来ないけれど、母さんはいつも、ハルや父さんと一緒なのよ。いつも、あなたたちを見てる。ハルが幸せであるように、父さんが幸せであるように。」
僕は、助かった…。僕を安心させるように、母さんは、話し続けた。どうして、僕が助かったのか、母さんはどうなったのか丁寧に話してくれた。
「ハル、大きくなったわね…ずっとこうしていたいけど、もう、いかなくちゃ…。時間みたい。」
母さんは、優しく、でも少し悲しそうに微笑んだ。
「…あっ、待って…!!父さんも、父さんもいるはずなんだ…!!だから…」
「…風たちが呼んでいるわ…ハル、父さんと仲良くね。母さんは、いつも一緒よ。忘れないで…」
その言葉を最後に、母さんの声は聞こえなくなった。いつの間にか、僕は涙が溢れて止まらなくなっていた。
涙なんて、久し振りだった。
母さんがいなくなった日、たくさんたくさん泣いた。
わがままもたくさん言った。
でも、何年かして父さんと話して、父さんも泣きたいくらい悲しいのが分かった時、僕も強くならなくちゃいけないと思った。
泣いてばかりの弱虫でいても何も変わらない、だったら、二人で笑って幸せでいようって父さんと約束した。
でも、やっぱり悲しかったんだ、ずっとそれを鍵に掛けてしまいこんで知らないふりをしていたのに…母さんは簡単に鍵を開けてしまったんだ。
何も考えられないまま泣いて、やがて気分が落ち着いてくると急に睡魔に襲われ、気が付くと眠りに落ちていた…。
「ハル、ハル!」
誰かが呼んでいる…きっと父さんの声だ。何時、戻ってきたんだろう。
「おいっ、ハル。こんな所で寝るな。風邪引くぞ!」
「父さん?…あれ?僕、いつの間に?」
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