0001_忙しい人の話タイトル

”忙しい” が口癖の人の話。

”忙しい人”皆さんの周りにもいると思います。仕事大好き日本人。誰から見ても明らかに忙しそうなのに表に出さない人もいれば”忙しい”=自分のステータス の様な。誇りとしてる人、「あ~忙しい~忙しい!」と口癖になってしまってる人も意外と多い。

私は”忙しい”が嫌いです。ここでいう嫌いは働きたくないという意味ではなくって”忙しい酔い”が嫌いなのです。

実は私も”忙しい酔い”で中毒になっていた者です。。。中毒者だった時のお話をだらっとしようと思います。完全に失敗談です。成功談よりも失敗談を聞いて学ぶ方が私は身のある話と思ってる人間です( °_° )笑

私の言う”忙しい酔い”とは、”忙しい”という言葉を言うことで周りに敬意を払ってもらおうとする人。
少しの図々しさや落ち度を許してもらおうとする時に”忙しい”を利用する行為のことです。

え?なにそれ性格悪い。ですよね。”忙しい酔い”は故意ではなく無意識のことが多いんです。だから見つけても悪意は無いから許してあげてね。


私が忙しい酔い中毒だったのは10年以上も前の話(年齢ばれそう) デザインの学校を卒業しデザイン事務所に就職。田舎者が大阪という賑わう街に魅かれて飛び出しました。

入社初日、緊張の朝。引越しを手伝ってくれた母が「初仕事を終えたあなたの顔を見てから岡山に帰るね」と言って見送ってくれました。

会社へ向かう道中。どんな挨拶をしようかな~とか学生時代の作品みせて「おー!」と第一印象良くしたいなとかニマニマ。田舎には無い地下鉄に揺られ、その通勤のスタイルや匂いまでが私をお調子者に変えました。

「おはようございますー!今日からお世話になります!」と大きな声で事務所のドアを開く。「あ、今日からだっけ?君の机はあっちね」と、あまりにもあっさりとご挨拶が終了。

直属の上司の元へ行き「お仕事なにしましょうか!」と尋ねると早速、業界用語だらけの言葉で指示され一瞬で固まった。「え?まさか知らない?」「あぁ・・・新卒なの・・・?そっかぁ」と残念そう。そして初めて言い渡された仕事は「出来そうな仕事考えるからそれまでデザインの本でも眺めといて」というものだった。

言われた通り事務所の壁びっしりに置いてあったデザイン本を適当に2~3冊取り出しペラペラと眺めました。終えても声はかからず、3冊が4冊、4冊が10冊…気づけばお昼。初日は有名なパスタ屋さんでランチに誘ってくれた。さすが都会!そう思うも先輩方は噛み締めるように「この時間に暖かいご飯食べるの幸せ」と噛み締めていて少し不思議に思った。早々に会社に戻り定位置で再び本を読み始めた。

いくら経っても声はかからない。「あ、そうか仕事は自分で貰いにいかなきゃなんだよね。きっと。受身はだめだめ」と痺れを切らしたポジティブシンキングは再び上司の元へ。「何かお手伝いさせてください!」『え?本見ててって言ったよね?』『あったら声かけるから読んでて』

そこにきて、やーっと自分の温度が高すぎることや周囲との違いに気づき少し恥ずかしくなりました。定時の17時が過ぎ18時、19時・・・次第に帰りを待つ母の顔が浮かび始めソワソワしていた。ついにビッシリあったデザイン本全部を読み終え2回目突入した頃「さぁ今日は帰ろう。おしまい」と言われ時計を見たら21時。「やー今日は凄い早く帰れてうれしい」の上司の言葉に戸惑った。

「残業多いんですか」聞きたかったが今日のところは母の元へ一目散に行きたかった。これから大阪の街で一人。知らない土地、知らない人。こんなスタート不安すぎる。母の顔を声を聞いて安心したい!一目散に地下鉄に乗り込み新しい住処に駆け込んだ。

静かな部屋机の上に「待っていたかったけど電車の時間があるから帰るね。お疲れ様」と書置きがありました。当然といえば当然。
”間に合わなかった!”一生の別れでもないのにそんな気分。書置きをクシャクシャに握り締めうずくまって盛大に泣いた。泣いて泣いて泣きまくった。

「残業多いんですか」聞かなくてすむくらい毎日毎日遅かった。初日に先輩方がランチをかみ締めて食べる意味が分かった。ランチにはプロテインバーを齧りながら仕事をした。上司の言葉通り21時の退社が早く感じた。しまいにには0時が終電の地下鉄に乗れたらラッキーと思う状況になっていた。地下鉄に乗れる日は帰り道に母に電話をかけた。『今日も遅かったね。忙しいの?大丈夫?ご飯食べてる?』
「今日は早いよ?だから嬉しい!仕事も忙しいけど仕方ないよね!それよりさ!超有名な○○会社のデザインしたんだよ!そっちでもCM流れると思うから見てね!」

帰りが遅いのが誇らしかった。半年、一年経ってもデザイン本をペラペラと読む時間も多い中で「これが都会なんだ」と思い込んだ。思い込もうとしてたのかも。当時、大阪の大学に通っていた彼氏は会えないからと私の部屋に住むようになりご飯を作って待ってるようになった。
私はそれが”忙しい”から当たり前で彼氏の行為に”ありがとう”なんて言わなかった。彼には家賃を全額負担。月1で早く帰れた日に焼肉を奢り、これで誠意を示してるつもりだった。

当時流行ってたmixiで時々忙しい自慢の投稿を書いたりして「すごいね」といわれると優越感だった。「無理しないで」や会社を否定的に言う人もいたのにその時は全く聞く耳持たずむしろ不快感で「親しい友達リスト」からこっそり外した。

「今度の日曜日はスーパーの買出しに行きたいので午前中休めますか?」今となっては何その会話。ですが本来休みの日曜日にそんなお伺いをたてなきゃいけない状態まで仕事をしていた。

アルバイトも未経験、世間知らずな田舎者。恥ずかしながら私は全くそれが普通と思っていたんです。いわゆる”ブラック”とも知らないで。

ある日、高熱が出た。めまいがして頭が割れそうだった。上司に「インフルかも」と言った。『熱は測るとモチベーションが下がるから辞めた方がいいよ』と声をかけられた。「早く病院にいけ」でも「今日は帰って休め」でもなく。。。すでに”何の戦力にもなってない人間”なのに更に厄介者に思われたくない一心で仕事を続けた。ついに食事を受け付けず赤い尿が出た。
上司に許可なく職場を抜け出し大きな病院の前にいた。

即入院。精密検査を行った。
何も無いでほしいと願った。
腎臓病だった。

取り合えず治療して復帰しよう。
身の回りは彼氏に頼もう。

入院中、彼は見舞いに来なかった。
メールで「今日はこれる?」
『授業が忙しい』毎日そのやり取りだった。

”忙しい”って・・・私は病人なのに。
”忙しい”って理由にするなんて最低だ。

手術を行うことになり地元で行うか大阪で行うかと言う話になった。頭の中では大阪に決まってる!と決めていたが保留にして一旦退院した。部屋に戻ると何か殺風景だった。

”彼の荷物が無い” 彼が去った。初出勤の日に母が恋しくて大泣きしたようには泣けなかったけど悔しくて寂しかった。
次の日、上司から話があると連絡があり近くの喫茶店で待ち合わせた。
『岡山帰っちゃうの?』が第一声だった。まだ私の椅子はあるんだと察して
「そんなこと無いです!こっちで治療して大阪でまだまだ働きますよ!」とハッキリと答えた。『そっか。じゃあ、頑張って体直そうね』『僕は事務所を離れて自分で立ち上げることにしたんだ。会社。』混乱した。時間が止まりそうになるのをこらえて答えた「え!すごい!素敵ですね!」『そう言ってもらえて僕も気持ちが軽くなったよ。ありがとう。』

”一緒にやろう”そんな言葉絶対無いのにどこか期待した。

上司と別れ、殺風景な部屋に戻った。彼氏と思い出が詰まった部屋が大嫌いになった。すぐに母が恋しくなって何を話すか決めてないのに電話した。『どうしたの?』母の声。安心する。

「お母さん。岡山に帰りたいよ」言った瞬間、かかってた魔法が解ける呪文だったのか詰まってた栓のようなものが抜けたように一気に涙があふれてこの世の終わりのように大泣きした。

すぐに荷物をまとめ地元に帰った。多く居たはずの友達はずいぶんと減っていた。体が壊れてしまったのも彼が去ったのも友達が減ったのも”忙しい”に酔いしれた結果だと気づいた。

大きすぎる代償を払って経験した社会化見学。そう思うようにした。術後目覚めると母がベットの傍で見守ってくれていた。絵画教室の講師をしている母。私の寝顔をデッサンして時間をつぶしたとプレゼントしてくれた。

一緒に添えられていた文に心をうたれた。

”心を亡くすと書いて「忙しい」”
”心が戻ってきて嬉しい。留まるのも良し。また頑張れるよ”

私の心・・・亡くしてたんだ。
他人の気持ちを理解できず。理解させようとした。
”忙しい酔い”って本当厄介なんだ。


仕事を強制的に辞めた事で”忙しい酔い中毒”から脱することができた。そして今は”忙しい”を使うのをやめた。少しサボり癖がついたかもしれないが他人の畑を見ても羨む人間ではなくなり自分の畑を自分のペースで耕す人間になった。自然と新しい仲間や友人と出会い、今の夫と出会い、今の仕事に出会えた。

人の魅力や力量は”忙しい”の中には全くない。
”忙しい”が口癖の人へ。”忙しい”と口にするほどに人に嫌われること、大切な何かが無くなっていくこと。自分の心が亡くなってしまうことに気づいてもらえると嬉しい。

最後に・・・。
この長文を最後まで読めた人は”忙しい”くは無いと思う(笑

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