何にもならないのにゲームをする意味とは

最近だれそれの金もないのにゲームなんかしてみたいな発言がバズっていたが(バズっている事を知っているだけでそれが受け入れられてるのそれとも叩かれているのかは知らないが)
行動に意味を求めることはそれ自体あまり生産的ではない。

なぜかというと、人間はその人が今していることがその人にとって一番重要なことであるからである。

えっ、じゃあたとえばギャンブルしている人はギャンブルをすることが今最もその人のすべき重要なことなのかと思うかもしれないが全くその通りなのである。

人は常に自分にとって重要な行動をしている。
ゲームであれ仕事であれその人がしていることがその人が今一番すべきだと考えていることなのである。

いやしかし仕事なんか本当にはやりたくなく、もっとしたいことがあるが、仕事をしなければ生きていけないからするのだという反論も聞こえてきそうだ。しかし仕事だって本当には今すぐ辞めたって構わないわけだ。
世間体を、生活を守ることがその人にとって最も重要であるからそうしているにすぎない。

人は常に自分にとって重要な事をしている。この気づきが私にもたらした恩恵はとても大きいように思う。
それだからこそ自分を責めずに済むし、もし何かをしたければ私がそれを重要であると思うか否かにかかっているということだ。

きっと、無意味な行為であっても件の人よりも私の方が本当に行為できるに違いない。
きっと、ゲームなんかしての人は何某か自分に利益をもたらすかどうかで行為自体の楽しみが変わってしまうだろうから。

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