若者の老害化が気になる。

若者が歳を食って老害になるのではなく、若者が若者のまま老害になることを指している。

老害と言えば古臭い考えに固執し考え方を変えられないアップデートできない人間を指すわけだが、このフィルターバブルとエコーチェンバーの中で若者の方がむしろある種の考え方に強烈にコミットしやすくなっているように感じる。

私がこれを最初に意識したのはネット上のノリが彼らにとってものすごく細分化されていることを知ったからである。

普通スマホ以前からネットを嗜んでいた人にとってインターネット空間にさまざまなサービスがあると考えているがスマホ以降の世代というのは個々のアプリとして捉えている。
だからinstagramにはinstagramのノリがあり、XにはXのtiktokではまた別の違ったノリがある。
それらを別々の場所で出すことは憚られる。

このようなことは昔のネットでも確かに特有のノリがある空間はあったとしてもそれは、ネット上が無限に広がっているからある場所でノリを設定することで住民を区別しようという試みからであった。
ノリを知らない人は新参とバカにされバカにされることによってそこのノリを覚えて同化していく。
例えば今は滅びたなんJもVIPも特有のノリを持ちつつもそれはその場所だけで止まることを知らずネット上に遍く広がっている。
しかし、このようなことはスマホ以降あまり起こらないように思う。tiktokの流行りがXに広がるか?というとあまりそのようなことは起きない。

話は逸れたが、このノリが各界隈毎分断されていることは若者の老害化の一つの理由ではあると思う。

もう一つは逆張りの消滅である。
つまり、流行に対してシニカルに捉えてあえてマイナーなニッチなジャンルに向かう人が強烈に減少している。
これはシステム的な面と感情的な面の2つがある。
システム面は簡単である。そもそもマイナーやニッチなジャンルは見つかった瞬間マイナーやニッチではいられなくなってしまう。
今の時代即座にバズってしまい、自分だけ流行りから外れてやっていたことが、むしろ流行りの中心に据えられてしまう。
感情面では数字の威力である。フォロワー数の圧倒的な正義力によって長いものに巻かれるのが正しく、むしろ逆張りってダセェという数の暴力で完全に死んでしまう。

しかし、若者の老害化と書いてきたが人は誰しもが凝り固まった考えをするようになるし老害化しない方法なんかない。
アップデートすれば老害にならないと考える人もいるかもしれないが、アップデートが本当にアップデートなのかもわからない。むしろ退化してる可能性だってある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?