オキナワンロックドリフターvol.106

とうとうこの時間がやってきた。よし、腹をくくり、いざパルミラ通りにあるFMコザまで行かん。
悲壮感に満ちた私の脳内では『必殺仕業人』の出陣曲である『いざ、行かん』が流れる始末だ。
ばくばくと緊張した状態の私を出迎えたのは花さんだ。花さんから概要をレクチャーされるものの私の緊張は解けなかった。あまりに私が固まっているものだから見かねた花さんは途中までならという条件でラジオに参加されるという。頼もしさとさらなる心配が混ざった気持ちで私は花さんの提案を受け入れた。
そうこうしているうちにメインパーソナリティーであるわうけいさおさんが来られた。わうけさんは著書『なんだこりゃ~!沖縄』にて描かれたわうけさんそのままの方だった。
私はすっかりガチガチの状態でわうけさんに一礼した。後に、わうけさんとお会いし、話をした際にラジオ出演の想い出話をしたのだが、わうけさんの視点での当時の私は目力が強かったそうだ。今思うと、失礼のないようにという過剰反応と、城間兄弟についていいところを語らねばという気負いからだったのかなと思う。私は強ばった笑顔でわうけさんとやりとりし、そんな私に花さんが呆れていた。
ところが、わうけさんの気遣いと親切のお陰かだんだんと緊張は解れ、わうけさんと沖縄ロック絡みの裏話ができるようになり、そんな私たちを見てスタッフさんが大笑いしていた。
アイスブレーキングは終わった。これからが本番である。
ラジオが始まった。
ラジオでの私の態度と言動を一言で表すとしたら、あの時の私が目の前にいたら殴りたくなる、である。
不遜、ハイテンション、何様のつもりな能書き垂れ、おまけに悪声ときている。
リスナーから苦情がこなかったか心配になった。
それでも、私なりにオリジナル紫のメンバーとの想い出を語った。色々あったものの、宝物のように輝いた想い出を。
サポートしていただいたのはありがたいが、花さんの横やりが時折面倒くさかった。しかし、わうけさんには、ラジオを通して親切にしていただき、私の失言をフォローしてくださったのはありがたかった。さらに、わうけさんを通してアイランド時代の城間兄弟のダークサイドを知り、そのことで何故にコザで彼らが四面楚歌になったかをまたひとつ知れたの収穫であり、そして、わうけさんが熱く語るコンディショングリーンのシンキさんのエピソードは想い出の交換会をした気分になれた。
ラジオが終わり、放心状態になった。
せっかくだからということで、日曜日のゲート通りをそぞろ歩きしながらわうけさんとラジオでも語れない裏話を語り合った。
その際に、生前のジミーさんが荒れていた頃の城間兄弟についてぼやかれ、心配されていたことをわうけさんが話してくださった。
その話により、沖縄ならではの見えないヒエラルキーや血脈ならではのエピソードを知れた。わうけさんさまさまである。
私はわうけさんにお礼を言い、再会を誓い、握手を交わした。
さて、オーシャンにて水越さんが待っている。私はオーシャンへと足を進めた。
ラジオ収録のために水越さんとの約束の時間が遅くなってしまった。

水越さんはオーシャンでタコスを頬張られていた。外資系のOLさんということで勝手に涼風真世さんみたいな風貌をイメージしていたのだが、水越さんは色白の肌にちんまりとしたかわいらしい、博多人形を思わせる方だった。

しかし、初対面の水越さんに大迷惑をかけてしまったのが悔やまれる。ああ、なんたる失態。私は平謝りしつつ、ココナッツムーンに来店することを清正さんに連絡すべく清正さんに電話するのだが、あれ?電話に出られない。

何度も清正さんの携帯に電話しても出ないので、ココナッツが休みなのかもと勘違いし、あたふたし、水越さんを不安がらせてしまった。

店の電話にかけたところ、スタッフのユウジさんが応対してくださったのでココナッツムーンが営業していることが確認できた。私のもたつきのせいで時間はさらに過ぎ、タクシーに乗り込んだのは23時過ぎだった。

しかも、うるまにて乗ったタクシーでぼられた思い出から、タクシーに乗るもメーターが上がるたびに警戒し、醜態を晒す始末。

結局、水越さんを振り回してしまう羽目になった。水越さんには謝っても謝りきれない。

そして、タクシーをルネッサンスリゾートオキナワ前で止めてもらい、水越さんとともにココナッツムーンへ。時間はもうすでに23時半をまわっていた。

初対面にも関わらず、迷惑をこうむった水越さん。それなのに仏のような笑顔を絶やさない。こういう方々に支えられて今の自分がいることを痛感したココナッツムーン再来訪だった。

店内に入ると、清正さんは、珍しく酩酊していた。へべれけである。

「おいちゃん……」
私は清正さんのあり得ないくらいの泥酔ぶりに混乱した。さらに清正さんにべしべしと頭を軽くはたかれ、「え?まいきーなの?布団がきたかと思ったさ!」と言われる始末。

確かに色々あって増量し、さらに基礎代謝が弱いので着込まないと沖縄の冷たい海風に耐えられなかった。しかし、布団とはあまりにもあんまりすぎる。水越さんが清正さんと私のやり取りを見て、笑ってくださったのが幸いだったが、少し悲しかった。

私たちのやり取りを聞いていたのだろう、苦笑いしつつやってきたスタッフのユウジさんによると、この日は清正さんのギター教室のお弟子さんであるシンリィくんと名前は失念したけれど私より1つ上の女性によるユニットのライブがある日だったのだ。愛弟子の初披露のためなのか清正さんは上機嫌だ。お酒がかなり入っていたのはそのためなのかもしれないなと私は思い直した。

清正さんの愛弟子のシンリィくんは一度面識があった。礼儀正しい細身の美少年だ。しかし、彼のギターは聴いたことがない。
清正さんがステージに立たせたということは相当の腕前かもしれない。
あれこれそんなことを考えていると、清正さんは私におっしゃった。

「あんた、この二人の演奏聴いてみてよ」

もちろんですとも! しかしこの後に続く私を指差した際の清正さんの言葉に私は驚き、後退りした。

「彼女の音楽を見る目は厳しいよ。けっこうしっかり聴いてるからさ。おいちゃんですらコテンパンにされるんだからー」

え、え、え、え!そんな。いつこてんぱんにいたしましたか。しかも私の着眼点は独断と偏見まみれなのですが。
酔いの際の戯言なのかもしれない。でも、清正さんのの言葉に少し誇らしくなった。

お腹がすいたのでタコスをオーダーした。水越さんにココナッツムーンのタコスを食べて頂きたかったからだ。注文したタコスを食べつつ、演奏を待つ。ちなみにこの日のタコミートは清正さんが仕込んだものだそうで、ユウジさんが「めったに食べられませんよー」と笑顔で話すのを、清正さんが照れ隠しなのか肘でユウジさんをつついていた。

さて、清正さんの仕込んだタコミートのお味やいかに?

島とうがらしを使ったことで、じんわりとした辛さが広がる、しかし、それにより肉ならではの旨味と甘さによる優しい味がすると率直に褒めたところ、思い切り憎まれ口を叩かれ、水越さんに「こういうことをしれっと言うのがまいきーだから」とおっしゃる始末。
しかも、私の頬をむにむにとつまみ、「たくさん食べて浮腫むがいいさー」という言ってはいけないことまで。私が一体何をした!清正さん。

私は反撃とばかりに清正さんにチョークスリーパーをかまし、清正さんがわざと白目をむかれた。そんなやり取りに水越さんとユウジさんが大笑いしていた。

さて、演奏の準備が整ったということでライブ観賞だ。

清正さんが満を持してお披露目したこのユニット。いかがなものか。

まだ2度目のライブということでやや固さは否めまいが、シンリィくんのギターは唄うようでいいセンスだ。ボーカルのかたも曲によってはバランスが変わるものの、よく通るカジュアルな声をしている。

清正さんが手がけている後進の育成。さて、まだ孵化したばかりのその雛はどう育つのか。次の来沖がいつになるか分からないけれど、楽しみが増えたことはうれしいことだ。

それに、清正さんが生き生きした表情になることが私は嬉しかった。

どうか、清正さんが抱く雛が飛び立ちますように。

そんな願いをこめて私は別れの際に、我ながら図々しいのが清正さんの頬にキスをした。さながら幼児が父親にするように。

さらに、ユウジさんからホットカルーアのサービスを頂いた。

「大学生活頑張ってください。そして、また沖縄に来てください」という言葉と共に。

私はユウジさんと握手を交わした。
また会えると思っていた。

そして、タクシーでコザに戻り、水越さんと固い握手をして別れた。
また会えることを願いながら。

しかし、残念なことにユウジさんは2009年の春にココナッツムーンを退職して本土に戻られ、水越さんは2008年のリーマンショック以降転職、しばらくして帰郷され、生まれ育った町での町おこし等でだんだんと疎遠になり、水越さんとの再会は今のところない。

そして、清正さんとも、本格的に再結成紫が活動していき、清正さんとの多忙、私の再結成紫への拒絶からだんだん距離ができ、今はなかなか電話すらできずにいる。

時は流れ、人も変わる。

それでも、ユウジさんの暖かい言葉、清正さんが私の感性を一瞬かもしれないが認めてくださったこと、そして、水越さんの柔らかな笑顔は今もはっきりと思い出せるし大事な時間としても記憶している。

(オキナワンロックドリフターvol.107へ続く……)
(文責・コサイミキ)

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