オキナワンロックドリフターvol.108

大学生活一年次前期は手探りの毎日だった。
必修科目である環境学概論は睡魔と格闘しながら前列でノートをとり、同じく必修科目である宗教学では、聖書を読んでいくうちに、これは人類史最古の昼メロだと判明し、覚えやすいようにオリジナル紫を聖書の登場人物にキャスティングし、聖書のダビデ王やヨブ記のヨブの悲嘆やロトの塩の柱の話を絵にして覚えたら、担当講師である女性の牧師さんにノートの絵がばれて、「絵で覚えてくれたのね。ダビデ王がかわいい」と微笑まれて苦笑いするしかなかった。
e-ラーニングを使った英語リスニングとリーディングの授業では、バイトが見つからず、暇なので空いた時間はe-ラーニングの課題を黙々とやっていたら、人の3倍も進み、担当教授である“軍曹”からは「コサイさん、向学心があるのはいいことだけれどもう少しペースを落としなさい」と言われる始末だ。
特に苦労したのは特進クラスの授業で、ついていきなさに頭痛がし、毎日があっぷあっぷと溺れかけそうになった。
まず、英文レポートで躓いた。段落の分け方がわからず、初めて提出したレポートの評価はCで心折れた。
クラスの子たちにレポートの書き方を教えてもらい、苦心惨憺で書き直し、2度目のレポートでどうにかAマイナスの評価を得た。
次に、グループ発表だ。私と同じように社会人で大学生になった井元さんという男性と、特進クラスで一番最初に声をかけてくれた、小柄でふっくりした体と笑顔が愛らしいルリちゃんと組み、日本と韓国の七夕について調べることにした。
調べるのは得意なのであっという間に資料が集まった。井元さんと私は、パワーポイントの使い方がわからないので紙芝居形式で乗りきることになった。私が下絵を描いて井元さんがペンを入れ、井元さん、ルリちゃん、私の3人で色を塗り、早朝の学内ロビーはさながら締め切り前の漫画家の追い込み状態となり、私たちの作業を見た学生たちの小さな人だかりができた。しかし。苦労の甲斐あり、私たちのグループ評価はSをもらった。パワーポイントでなく、紙芝居形式だったのがかえって新鮮だったようだ。アーリントン教授から「ガンバったネ、貴様タチ」と労いの言葉をかけられた時はほっとした。
特進クラスでは、映画の字幕なしを観てリスニングのスキルを養うメソッドも受けた。アーリントン教授は映画がお好きなようで、『ターミナル』、『ヒッチ』、『ラストサムライ』、『ブレックファストクラブ』等を教材にし、『ラストサムライ』での福本清三氏を教授が「じいちゃんカッコいい」と呟かれたときは、時代劇好きとして自分のことのように嬉しくなった。
リスニングメソッドもまた、レポート同様に手探り状態だったが、いくつか聞き取れる会話や単語があり、それがわかり、にやけ笑いしたりした。
アーリントン教授にそれを気づかれたのは、『ターミナル』を観賞してのリスニングメソッド講習での出来事である。トム・ハンクス演じるビクターが、彼に親切にしてくれる荷物輸送係のエンリケが惚れている入国管理担当のドロレスのキューピットとなるシーンがあり、何度も却下される入国管理申請をしながらドロレスのプロフィールをエンリケのために聞き出すシーンがある。
ビクターが「彼女は“Trekkie”だ」とエンリケに話したシーンを観て、私は盛大に噴き出してしまったのだ。
アーリントン教授にすぐに気づかれ、「意味わかるノ?」と尋ねられた。私は即答した。“A geek of
Star Trek(スタートレックオタク)”と。アーリントン教授からは「よく知ってるネ」と肩をすくめられた。
ジョン・ウェットン似のベルガー教授が担当のフレッシュマンゼミでも似たようなことがあった。
ベルガー教授はフレッシュマンゼミの授業で『シュレック』を使った。教授は作中に出てくる童歌や童話を通して西洋カルチャーを知ってほしいと話した。しかし。フレッシュマンゼミでも一緒の井元さんはベルガー教授のそんな授業方針が幼稚に思えたようで、井元さんがベルガー教授に憤り気味に直談判していたのをよく見掛けた。
しかし、他の授業で疲弊した私にはベルガー教授のゼミはある意味癒しの時間となった。そして、幼い頃の習い事によって、「マザーグース」、イギリスやアメリカの童歌を知っていた私にとって『シュレック』は懐かしくも楽しい映画となった。『シュレック』劇中に、“Do you know the muffin man?“という台詞を聞いて、大笑いし、ベルガー教授から「マザーグースの歌を知ってるの?」と驚かれ、何故か、教授のギター伴奏で“The muffin man”の歌を唄わされるはめになった。
勉強についていけず、いつ海の藻屑となってもおかしくない状況から、なんとか浮き輪を使って勉強の海を漂えるくらいになった頃、ベルガー教授から手招きされた。
「君と話がしたいのだが、空いているかい?」と。
私はベルガー教授の研究室に入った。教授から紅茶と美味しいバタービスケットを頂きながら長い話をした。
ベルガー教授は、見た目は温和だが言動が辛辣なので、フランクなアーリントン教授と比べ、学生たちからは苦手と言われているようでかなり悩まれていた。しかし、ポップカルチャーに精通した教授の授業は私には癒しかつ楽しい時間で、私は前の席で食い付き気味に授業を受けていた。なので私は珍しい存在なのだろう、ベルガー教授は私を気にかけてくださった。
「大半の学生は退屈そうに授業を受けるけれど、君は楽しそうに授業を受けるね。珍しいよ。ねえ、今まで君はどんな社会人生活をしていたの?」
私は有り体に、できるだけ英語で答えた。
「魚屋、スーパーの惣菜屋で働いていました。地獄でした。流行りのドラマとパチンコと噂話ばかりの職場の人ばかりで、話が合わないからよるべのない毎日でした」
私の言葉の端々にどす黒いオーラが出ていたのだろう、ベルガー教授は哀れみの眼差しで「ビスケットまだたくさんあるよ。食べる?」とビスケットを数枚握らせた。私は魚をもらうペンギンか、果物をもらう猿か!
「そんな毎日に比べてこの大学生活はパラダイスも同然。だって、学んだり本を読むことを茶化されたり邪魔されたり笑われないし。今まで奪われてきた学ぶことが楽しめるから」
そうきっぱりと言った私にベルガー教授は目を細め、仰った。
「ここが君にとって楽しい場所なら何よりだ。ようこそ、パラダイスへ」と握手を求められた。私はベルガー教授と握手を交わした。
以来、ベルガー教授とはお気に入りの映画のDVDを卒業まで貸し借りするくらい仲良くなれた。
お茶とビスケットのお礼を言い、ベルガー教授の研究室を去ると、「君は他の学生の励みになるよ。必ず」と仰った。その言葉がありがたかった。
ベルガー教授の言葉は的中し、大学生活でだんだんと友達ができてきたのは前期過程も折り返し地点になった6月はじめの頃だった。

(オキナワンロックドリフターvol.109へ続く……)
(文責・コサイミキ)

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