ドライブ・マイ・カー(ネタバレと私見あり)

西島秀俊さんは『あすなろ白書』の松岡さん役以来好きな俳優さんです。『あすなろ白書』を見てはじめて西島さんを知ったとき、「この人売れる」と確信し、惚れ込みました。声質の柔らかさに物腰、何よりもルックスのベクトルは違えど『暗闇仕留人』で糸井貢を演じていた頃の石坂浩二さんを思わせる知性が感じられる佇まいと寂しげな横顔が好きになりました。
しばらくして、事務所の売り込み方と西島さんの目指すものの相違からテレビにあまり出なくなって寂しい思いをしましたが、1999年、映画『ニンゲン合格』で西島さんが出演されているのを知り、役所広司さんも出演していることで二度美味しい気分になって観賞し、嬉しさに目を細めました。
それから少しずつ露出が増え、西島さんは売れっ子となって返り咲いたのはご存知の通り。嬉しい反面、売れるに比例して鍛えられつつある西島さんの肉体、特にバキバキな腹筋や盛り上がった上腕二頭筋に失礼ながら違和感を覚えました。
『きのう何食べた?』とか『メゾン・ド・ポリス』を見る際も勝手なファンのエゴながらすらりとした姿勢に筋肉が暑苦しくない程度に覆われた西島さんの中に『あすなろ白書』の松岡さんや『悪魔のKiss』の佐渡さんを演じられた頃の儚げな背中や憂いある横顔の面影を追っていたのです。

そんな中、『ドライブマイカー』が話題となり、私はミーハーながらも西島さん目当てに観賞しました。

……が、序盤からかなりきっつい思いをするはめになりましたよ。原作が村上春樹だから覚悟すべきだったのに。
序盤からいきなりベッドシーンですぜ。しつこいようなんですが、私は西島さんが好きで、西島さんが結婚されたニュースを見た時は「おめでとう!」と拍手した後に虚脱感に襲われ、1日泣いた程(苦笑)。
そんな私に冒頭のベッドシーンはかなりきつく、どうしようとパニック寸前。席を発とうかと思ったものの、『きのう何食べた?』での西島さん演じるシロさん、内野聖陽さん演じるケンジがこのベッドシーンについてあれこれ語り合い、ケンジがシロさんとだぶらせて暴走し、それをシロさんがきつく叱るという妄想を脳内再生してなんとか乗り切りました。
腐れに腐れた私の奇腐人クオリティはもう手の施しようがありません。
映画は3時間の長丁場。
西島さん演じる舞台俳優兼演出家の家福と、元女優で現在は脚本家である妻の音は一見すると仲睦まじい夫婦である。
センスのいい調度品に囲まれたデザイナーズマンションに住み、仕事は順調、さらに睦事の後に音は憑依されたように物語を話し、家福はそれを記憶し、音は家福により記憶された物語をもとに脚本を書くという名実ともによきパートナーのはずだった。
しかし、音は家福の不在時に自分のドラマに関わった俳優やスタッフを引っ張りこみ、彼らに抱かれている。ドラマの撮影が終わると彼らと縁を切り、新しいドラマが始まるとまた別の男たちに抱かれる。家福は音の爛れた不倫を知りながらそれを黙認するしかない。音がそうなったのは 20数年前にまだ幼い娘を肺炎で亡くしてからだ。娘と、娘を失ってから壊れだした音を救えなかった負い目からか家福は音の不倫に目をそらすしかなかった。
そんなある日、家福は音に「今後のことを話し合おう」と言われ、戸惑う。別れよう?それとも不倫を承認してくれ?
家福は話を切り出されるのを恐れ、夜中まで家に帰らず、家に帰ると音が倒れていた。家福は音を抱え、救急車を呼んだが音は帰らぬ人に。死因はくも膜下出血だった。
音の葬儀では、かつて音が脚本を書いたドラマに出演していた若手俳優でありそして明らかに音と寝たことがバレバレな男、高槻が参列し、気まずさを覚えながら家福は高槻に会釈した。
そして2年後、家福は広島で行われる演劇祭の多言語劇『ワーニャ伯父さん』の演出家として招かれる。広島ではプロデューサーである柚原という女性とドラマトゥルク兼韓国語通訳のユンスが家福を歓待。しかし、家福は過去に緑内障からくる視野狭窄から事故を起こしていたので車での移動は専属のドライバーの運転でと柚原とユンスに命じられる。家福の愛車は赤いSAAB。他人に運転されるのを渋る家福だが二人に押しきられ、嫌々ながらも受け入れる。その専属ドライバーはまだ20代の、しかもヘビースモーカーで無愛想な女性、渡利だった。さらに『ワーニャ伯父さん』のオーディションを受ける俳優の中に、かつて音が手掛けたドラマのメインキャストで、音を寝取った男のひとりである高槻がいた……。
というのがあらすじ。
ところどころ悪い意味で村上春樹スメルが充満したり、演劇祭の主力演劇であり家福が担当する多言語演劇『ワーニャ伯父さん』のキャストオーディション場面がいささか単調過ぎて眠気と戦うことになり、しんどかった反面、映像や言葉から伝わる温もりや刺すような冷たさ、最初は渡利に懐疑的だったものの完璧な運転から一目置き始めてから心解きほぐされた家福、お気に入りの場所であるゴミ処理場を案内してから自身のことを家福に打ち明けるようになった渡利、ユンスとその妻で唖の女優であるユナによる家福と渡利へのささやかながらも心のこもったもてなし、こじんまりしているものの小物のごちゃつきと間接照明の暖色で構成された家からわかるユンスとユナの柔らかな絆、自然とメカニカルな建造物が混在した広島の街並みが時に鮮やかに時に淡く表現され、だんだん退屈せずむしろ吸い込まれるかのようにストーリーに入り込んでいきました。


特筆すべきは、悲しみや憎しみや憤りや妬みといった負の感情を白い布をインクが滲み侵食するような演技で魅せていく西島さんや無愛想な渡利の心境の変化を息をするように自然に表現していく三浦透子さんもですが、有望な俳優だったのに女性スキャンダルで事務所を解雇されて干され、『ワーニャ伯父さん』の出演で再起をかけるかつての音の浮気相手である高槻役の岡田将生さん。『伊藤くんAtoE 』や『昭和元禄落語心中』からだんだん演技の幅が広がっているなあと感じる注目株俳優さんですが、刹那的で持て余す感情を共演者食いと、スキャンダルをすっぱ抜かれた恐怖の反動からかスマホカメラを向ける一般人に過剰な暴力を振るう他害で消化している高槻は正直いけすかないし、明らかに音と寝たというのを家福に見せつけるようなへらへらした笑いや勝ち誇ったような表情や言動は正直ムカムカします。けれど、家福と飲みに行くためにSAABに同乗した際に涙を流しながら音を高槻なりに愛していたことを家福への羨望と嫉妬混じりに吐露し、壊れそうな程に澄んだ瞳で家福を見つめて涙を流す姿には、ああ、彼は音への報われない恋に心を焦がし、家福とはまた違った形で音を失った心の置場所が見つからない男なのだとわかります。それをまるであと一滴水を垂らせば溢れていく表面張力状態のグラスの水さながらの演技で表す岡田将生さんのこれからが楽しみになりました。
だんだん演技が向上し、最初は家福に丸投げ(家福ェ……。音を寝取られた腹いせと仕返しか?)されて四苦八苦していたワーニャ伯父さん役が板につく高槻。でも、高槻は案の定やらかします。しかも取り返しのつかない不祥事を。そのため、演劇祭は中止の危機に。中止にしたら大損害。スタッフやキャストが仕事を失う大ピンチ。それを回避するには家福がワーニャ伯父さんを演じるしかないけれど、ワーニャ伯父さんの劇中の台詞が生乾きの傷を抉るからなのかワーニャ伯父さん役を引き継ぐことに家福は躊躇します。
悩む家福の気持ちに寄り添い、柚原とユンスが与えてくれた猶予は3日。悩む家福は考えるために渡利が生まれ育ったという北海道の小さな村へ渡利の運転で向かうことに。
渡利の母はシングルマザー。街に向かい水商売をして渡利を育てたという。商売柄酒を飲まざるを得ないのでまだ幼い渡利に車の運転を強要し駅までの送迎をさせていたのです。車を仮眠の場と見なしていた渡利の母は少しでも車が揺れると渡利に暴力を振るう毒母だったそうです。だんだん渡利の母は心を病み、乖離性人格障害のような症状が出て、幼女のような人格が出たときだけは渡利の母は渡利に優しくしました、演技なのか人格障害なのかわからないがその時の母親は憎めないと運転しながら渡利は家福に語ります。渡利は18の頃に家を出ました。北海道で起きた地震により家が倒壊し、瓦礫の下にいた母を見殺しにして渡利は逃げるように北海道を離れ、父の姓である渡利のルーツである広島に逃げ、唯一持っていた資格である運転免許から採用されたゴミ処理車のドライバー以来運転を職として生きてきたのだと渡利は家福に打ち明けます。
雪に埋もれた小さな村、山奥の、倒壊したままの渡利の生家の前で渡利と家福は自分の弱さや後ろ暗さをさらけ出し、涙します。そう、彼らは唯一の家族を失ったものであり、同時に自分を苦しめた身近な者を見殺しにした[罪人]という共通点があります。
互いの脆さを受け入れながらも互いの罪を剥き出しにしていくふたりに私はドライかつ冷淡かもしれませんがこう声をかけたくなります。

家族なんて幸せな家族持ちなら薬になるけどさ、そうでない人には毒や心身腐食させる阿片同然じゃん。家福さん、渡利さん、いいんだよ。捕らわれなくて。もう切り離しなよ。ふたりとも十分苦しんだのだから。家福さんも嫉妬と音さんの不実からくる複雑な感情から解放されたんだよ。渡利さんも。貴女を痛め付けた毒母に報いがきたんだよ。おめでとう、と。
私には雪原に線香代わりに立てられたタバコが真っ白なバースデーケーキに立てられた蝋燭に見えました。苦しい過去を吸収して新しい自分に生まれ変わった家福と渡利のこれからを祝うバースデーケーキと大きな蝋燭に。

それを後押しするように、刑事事件レベルの不祥事により出演不可能となった高槻の代役としてワーニャ伯父さん役で一度は頑なに固辞した舞台に立った家福を労るような、ユンスの妻である唖の女優 、ユナ演じるワーニャの姪っ子であるソーニャの韓国手話が優しくワーニャに囁きます。

「ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね」「そして、やがてその時が来たら、おとなしく死んで行きましょう」と。

ワーニャ叔父さん作中の台詞でもありますが、家福にかけた労いの言葉であり、家福に捧げられた祝福の花束に思える言葉だなと思いました。

そして、ワーニャ伯父さんを演じ、小さく頷くくだりの家福、いえ、西島さんの姿にかつての松岡さんや佐渡さんのような儚さといじらしさを見たのです。筋肉という鎧を脱ぎ、かつての繊細な青年役をしていた頃の西島さんを。


ラストシーンは色んな解釈や考察がネット上に飛び交ってますが、私個人の推測ですが、こう思ったのです。
食べていくためだけに運転を生業としていた渡利が、ようやくそれから解放され好きなことを見つけ始め、折しも演劇祭成功の影の立役者である彼女へのプレゼントとしてユンスと柚原から助成金つきの韓国留学を提案され、渡利は快諾。そして、緑内障の進行から自身で運転することを断念した家福は大事にしていたSAABを渡利ならば大切に乗るだろうとあっさり譲渡、渡利は留学を満喫し、ユンス夫妻が飼っていた犬のようにふさふさした大きな犬を飼い、やっと人生を楽しむことを見つけましたとさという推測を。


色々思うことやもにょもにょした場面は多々ありますが、足枷からの解放と人生の再構築について考えさせられた素敵な映画だと思いますし、心から家福悠介と渡利みさきがそれぞれ幸せに生きてくれたらと願わずにいられません。


(文責・コサイミキ)

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