誰が女神を殺したか(杉山吉良写真集“Nude”を読んで)

10代の頃にパルコで60年代、70年代を代表する女性の肖像展があり、見に行きました。
薄い眉に生意気そうな瞳が煌めく加賀まり子さんの20代の頃の写真やハーフのモデルの中でもひときわ輝いていた鰐淵晴子さんの愛らしい写真等が飾られている中で、日本的な切れ長の瞳に長い黒髪、蕾のような硬い乳房と豊かだけれど熟れる前の桃みたいな腰回りとお尻のラインをした女性のヌードが目に焼き付きました。
水辺に裸身を晒したその女性の写真は心に焼き付き、その女性が私には間違ってこの世に降りてきた豊穣の女神の行水に見えたのです。写真の下の解説で、その女性が太田八重子さんというモデルさんで、杉山吉良氏撮影の日本の四季をバックに裸身を晒した写真展「讃歌」のモデルであり、写真展から間もなくして入水自殺という形で逝去されていることを知ったのです。

そして、20年後他の写真が見たくなり、ヤフオクで杉山吉良氏の写真集nudeをなんとか格安で落札。
あの頃に心奪われ、ずっと探していた女神と再会できました。
写真の中の太田さんは、瑞々しさと神々しさに満ち溢れていて、特に徳之島の温かい海で魚みたいに水飛沫をあげながら無邪気に微笑む写真、湖畔に佇む静かな、ギリシャ神話のニンフのような写真はただため息をつくばかりでした。
実際、撮影の長さと契約の厳重さ、そして太田さんのプライベートが影響する、写真家にはすぐ察知できる体型の小さな変化により、杉山さんと太田さんの師弟関係が崩れるまでは杉山さんにとっても太田さんは最高の被写体であり、アダムを知らない無垢なイブが、具現化したような存在だったようです。
太田さんの死後に、杉山さんは讃歌2という複数の女性を自然の中で戯れさせる写真展を開いておりますが、讃歌2から抜粋された写真はモデルさんと杉山さんに失礼ですが、明らかに太田さんのみを被写体にした讃歌に比べて薄っぺらくも見劣りするものでした。
そしてさらに、90年代初頭に刊行された太佐順さんによる太田さんの生涯を記したセミノンフィクション『遠すぎる渚』が相場より比較的安価に手に入り、読んでみましたが、病弱とはいえ太田さんに生活面を依存し過ぎていたお兄さん、過酷な撮影の割には堕落しないようにとはいえ、安いギャランティしか支払わなかった杉山さん、『遠すぎる渚』を読む限りなんでこんな男に……としか言いようがない性で絡めとり搾取し、挙げ句の果てに太田さんを死に追い込んだ太田さんの最後の恋人である男、太田さんの親切心に寄りかかりすぎた、結果的に彼女をぼろぼろにした男たちに歯ぎしりするほどの怒りを禁じ得ないと同時に、もう少し太田さんが強かでずるければ太田さんは今もご存命だったろうと思うのですが、直後にこう思いました。
もし。そうならばあの写真の、太田八重子にしか出せない瑞々しさと神々しさは失われていただろうし、そもそも「讃歌」という写真展すら企画されても頓挫していたかもなと。
太田さんの生真面目さと真っ直ぐさが写真から滲み出ていたからこそ、彼女はあの写真の中で女神となり、今もその残像を追う人がいるのでしょう。
彼女の悲しすぎるバックグラウンドを知ってもなお、20年前に見たあの写真のように、私の中では太田八重子=この世に少しだけ姿を現した豊穣の女神であり、女神は美しいままで微笑んでいるのです。


(文責・コサイミキ)

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