世界で一番美しい少年

ビョルン・アンドレセンという固有名詞を最初に覚えたのは『パタリロ!』に出てきた、犯罪組織国際ダイヤモンド輸出機構がマリネラ王国に放った双子の刺客の名前である。
柔らかな長髪にルージュをひいた、女性と見違うような美貌の双子の少年は、数多くの美少年を夢中にさせたバンコランですら翻弄し、後にバンコランの伴侶となるマライヒですらも嫉妬に狂わせた。
ビョルン・アンドレセンというのが『ベニスに死す』という映画で不世出の美少年タジオを演じた少年の名だと知ったのは一条ゆかりの作品『ロマンチックあげる』に出てくる霊能力がある故に生き神扱いされて高慢になった美しい妹を心配するこれまた美貌の青年を見て、主人公姉妹の祖母である萩さんが「ビョルン・アンドレセンみたいに綺麗」と褒めそやすシーンだった。
そして、数年後に衛星放送で『ベニスに死す』を見て嘆息した。木原敏江の『摩利と新吾』の鷹塔摩利、竹宮恵子の『風と木の唄』のジルベール、一条ゆかりの『有閑倶楽部』の美童グランマニエを具現化したような美しい男の子が画面の中にいたからである。
「この世にこんな綺麗な男の子がいたなんて」
美に見放された容姿故に追い求めるように美しいものへの憧憬を抱く私にはビョルンの美しさがただ衝撃的だった。
しかし、私はその美しさ故にビョルン・アンドレセンが苦難の50年を歩いていたのを知りもしなかった。知ろうともしなかった。
そのことへの罪悪感と悔やみを抱いて私はこの映画を見た。
冒頭から衝撃的である。『ベニスに死す』のオーディション風景からなのだから。貴族出身であり同性愛者ということを公言している映画界の巨匠、ルキノ・ビスコンティ。
『ベニスに死す』のタジオ役に合う少年を探し、値踏みし、舐めるような視線でブロンドの美少年たちを審査するビスコンティとその視線に応えるように媚びるようにポーズを取る少年たちにおぞましさすら覚えた。と、同時に名は敢えて出さないが、近年鬼籍に入られた、皆さんもご存知某アイドル事務所の創設者姉弟を思い出した。あの創設者姉弟、特に弟さんもまた研ぎ澄まされた審美眼により美しい少年たちを次々にデビューさせていたなとふと思い出した。
閑話休題。
ビョルンが登場した途端にビスコンティの目付きが変わり、戸惑い、どうしていいかわからずにぎこちない笑顔を見せるビョルンに服を脱ぐことを強要するシーンはビョルンの怯えや混乱がひしひし伝わり、時を遡ってビスコンティをぶん殴りたくなると同時に、ビョルンに謝りたい衝動にかられた。
そして、それから50年。ビョルンはスウェーデンの小さな借家でひっそり暮らしていた。部屋は雑多でキッチンは油染みがびっしりこびりつき、ベッドの寝具は煮しめたような色合い。どうやらセルフネグレクト状態のようだ。虫の湧きそうな家の様子と頻繁にガスコンロの火をつけっぱなしにしたことで大家から退去を促される始末。
その窮地を救ったのは年の離れたガールフレンドのイェシカ。 彼女がビョルンの身なりを整え、何もできずおろおろするビョルンに掃除を促した甲斐があり、ビョルンはホームレスになる窮地を脱した。
ビョルンは淡々と『ベニスに死す』のタジオ役に選ばれたことで変わってしまった自分の運命を回想する。
僅か5000ドルのギャランティと引き換えにビョルンの運命は翻弄された。
オーディション当時からビョルンの背の高さに難色を示したビスコンティは、16歳になり、儚げな美少年からだんだん男性の雰囲気を漂わせるビョルンを、彼がフランス語がわからないのをいいことに記者会見で扱き下ろし、記者たちにビョルンへのせせら笑いを引き出させた。
家族は誰も守ってくれなかった。父親の顔も名前も知らず、ボヘミアンの母親は放蕩の末に心を病み、挙げ句失踪した後に自殺。11ヶ月下の父親の違う疑似双子のような妹はまだ幼すぎてビョルンを守る術をまだ持ち合わせておらず、彼らの保護者である祖母は保護するどころか、有名になったビョルンに有頂天になり、ステージママ気取りで彼を搾取する側にまわり、さらにもっと稼げるからと日本で芸能活動するよう焚き付けるのだからもうどうしょうもない。
ビョルンの己の人生をなぞり、辿るような旅が始まり、彼はイェシカと共に日本へ向かう。
回想の中でビョルンは来日した途端に彼は日本限定のスーパーアイドルとなった。黒髪の平たい顔した女の子たちが彼に嬌声をあげ、中には彼の髪をひとふさ手に入れようとハサミを手にする女の子まで。過密スケジュールを彼はどうしていいかわからず怪しい薬を飲まされてこなし、童話の王子様が着るような服を着せられ、70年代当時の少女漫画のように耽美な歌を唄わされた。
ビョルンは当時の仕掛け人である音楽プロデューサーの酒井政利氏、ビョルンのマネージャーだった日系人マネージャー、漫画家の池田理代子女史に会うのだが、慌ただしさからビョルンの心に気を配れなかったと悔やむ元マネージャー以外の諸氏が皆反省することなく当時の彼の美しさを賛美するだけなのが虫酸が走る。酒井氏は当時、幾多の少年少女たちの中から傑出した才能を発掘し研鑽する側だからその後ショービジネスに翻弄された彼らがどうなろうが知ったこっちゃないし、罪悪の感情とかが完全に麻痺しているのだろうなというのが言葉から伝わって舌打ちしたくなった、池田理代子女史は陶酔した表情でビョルンをモデルに『ベルサイユのばら』のオスカルというキャラクターを生み出したことを語り、ビョルンに対して外見しか見ていなかったと少しだけ悔恨の表情を見せるも、「ビョルンに会って確信した。私は内面も知らないうちにすくいとりキャラクターにしたんだ」とどや顔で語る様には頭を抱えた。『ベルサイユのばら』や『おにいさまへ……』を愛読していたからクリエイターとしては池田女史には敬意を表したい。けれど、ファンの方には申し訳ないが「だめだ、この人何もわかっちゃいない。未だにビョルンを搾取している側なんだ」と落胆したくなった。
来日時のビョルンの映像に被せるように、音声のみだがインタビューに応えた写真家の沢渡朔氏の発言も、ビョルンの《当座の花》の美しさしか見ておらず、その美しさを鼻息荒く語っており、失望した。と同時に沢渡氏がサマンサ・ゲイツという金髪碧眼の美少女を起用して倒錯的な写真集『少女アリス』を出版したのを思い出して、納得したのであった。
しかし、新宿ゴールデン街を、黒のコートを羽織り、もはや白髪だらけの長髪をなびかせてラビリンスのように探訪するビョルンは老いてもなお美しさの名残があって見とれてしまい、さらに酒場で自分の《持ち歌》である『永遠にふたり』を淡々と一人カラオケするビョルンに複雑な気持ちが過った。
しかし、来日からしばらくしてビョルンは電話にてイェシカから物凄い罵倒を受ける。
家の大掃除、大家との交渉、携帯の無断使用、しかも来日時の雑費の支払いは全てイェシカ。なのにビョルンはぼんやりとし、それを当たり前のようにしている。もう疲れたという叫びをイェシカは聞くに耐えない罵詈雑言とともにビョルンにぶつけるも、ビョルンはただ淡々と「わかった」と受け入れるだけ。
イェシカの献身は痛々しい程で、腐り果てたようなビョルンの家を綺麗にし、初来日し、薬を飲まされて多忙さを乗りきったと他人事のように語るビョルンに対し、当時の日本のショービジネス界に憤り、彼のために涙するさま等をスクリーンを通して見ているから彼女の怒りは当然だと思うと同時にあまりにあっさりとしたビョルンの態度を見て、素人判断は危険だと知りながらも回避性人格障害に罹患しているのではと不安になってくる程だった。
それでもビョルンの旅は続く。妹のアニケの力を借りながら、母親の最期がどんなものだったかを知り、空白を少しずつながら埋めていく。そして近年の彼の俳優キャリアである『ミッドサマー』で儀式として身投げするものの死にきれず、村人から顔を粉砕されて絶命するダン老人役のオファーを受けたプロセスや、まるで『世界で一番美しい少年』という長年のレッテルを砕いてくれたようなダン老人のデスマスクを嬉々として撮影するビョルンの姿に改めて彼が背負ったものや今も蕁のようにそれらが絡み付いている現状にやりきれなさを覚えてしまう。
さらにビョルンは努力はしたものの結局は破綻した結婚生活を回想する。
写真の中のビョルンは父親というには浮き世離れしており、当時流行ったデュラン・デュランやa-haのメンバーを思わせる風貌で、詩人だったという当時の奥様とのウェディング写真はロック雑誌の中のミュージシャンのプライベートフォトのように現実みがなかった。
それでも見本のない状態でビョルンは善き父であろうと奮闘したが、まだ赤ちゃんだった息子さんが突然死症候群によって急逝されたことから張り詰めた糸が切れたようにビョルンは精神疾患とそれによるアルコール依存症に陥り、夫として、父としての役割を果たすことができず離婚。一度は復縁して再婚するも破局という道筋を辿った。
ただ、娘さんであるロビンがビョルンの近況を心配し、彼の家を訪ねる姿には安堵した。憎み、恨んでいるなら父親の家には来ないだろう。ビョルンの試行錯誤と努力はきちんと娘さんに届いていたのが、ビョルンを労り、軽口を叩きながらも近況を報告し合う口ぶりから伝わった。
そして、『ベニスに死す』オーディション映像を見て、自分の父親がビスコンティたちから目で嬲られ、犯されていくようなさまをカメラに収められていたことにロビンは憤りを露にし、「時を遡れるのならばひいおばあちゃんを止めたい」と家族でありながらビョルンを売った今は亡き曾祖母へ涙声で激怒するくだりを見て、ロビンがビョルンを大事に思っているのがわかり、嬉しくなった。

さらにやはりほっとけないのだろう。イェシカもビョルンと復縁した。暖かな街灯に照らされながらハグしあうビョルンとイェシカに小さな拍手を送りたいものの、少しはイェシカを労おうねビョルンと遠い目になった。
そして、ビョルンの旅は『ベニスの死す』の舞台であるベネチアで終焉を迎える。
2011年に廃業して以来朽果てていくホテル『オテル・オ・バン』を探訪し、50年前タジオとして波と戯れ、砂に寝転がった海に佇む若きビョルンの姿が重なる。
しかし、映画のように燦々とした太陽に照らされた凪の海ではなく、老いたビョルンが訪れたその海はビョルンのこれまでの人生を揶揄するかのような黒に近い灰色の曇天模様に黒々した荒れた海だった。
エンドロールで流れる『永遠にふたり』を聴きながら、ビョルンの人生を知り愕然とすると同時に、今は以前よりは改善されたものの、一時の美しさや愛らしさや聡明さを褒めそやされていつの間に淘汰された子役スターやアイドルたちの顔や名前が次々と過った。
孤児だったが美貌を見いだされスターになるも孤児を売り物にしたマーケティング戦略に傷つき、事務所を移籍した途端に干され、一時期は多方面で成功をおさめるも麻薬に耽溺しどうにか更正したものの後遺症から廃人状態だというアイドル、理想の隣の女の子として売り出され、彼女の名を冠したキャラクターグッズまで売り出されるくらいの人気を博すものの、多忙時に投与された向精神薬でぼろぼろにされ、奇行が目立ち、体型も声質も変貌し、今はファンの支援によりやっと穏やかな余生を送れるようになったアイドル、事務所に搾取され、かつて事務所への告発本を出版した後輩同様に告発本を出すもホームレス同然の姿をメディアに晒し、やがて消息を絶ち、風の噂では野垂れ死にしたというアイドル、古今東西の切り売りされた彼らを思いながら、ビョルンにひたすら土下座して謝りたくなり、そしてビョルンの余生に幸いあれと祈らずにいられない。そんな映画だった。

(文責・コサイミキ)

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