オキナワンロックドリフターvol.79

コサイミキ

寒気がしたので急いでコザクラ荘に帰り、熱いシャワーを浴びて早く寝たものの、喉のいがらっぽさで目が覚めた。
のろのろと起きてテレビをつけると、AFNではセサミストリートをやっていた。しかし、視界が歪み、テレビの中のエルモやアーニーたちがぐにゃぐにゃに見えた。こりゃやばい。急いでお湯を沸かし、薬を飲む前に何かを腹に納めようと、塩せんべいの封を開けてかじり、白湯で薬を飲んだ。
すると、猛烈に眠気がさし、瞼が重くなった。そんな中、メールの着信があった。さっちゃんからである。さっちゃんと朝ごはんの約束があったのだ。
急いで着替えて指定された中の町のローソンへ。
あまりに冷えるのでホッカイロと温かいさんぴん茶を買い、ホッカイロを腰に貼り、さんぴん茶を飲みながらひたすらさっちゃんを待った。
さっちゃんが来たのは15分後、さっちゃんは意気揚々と当時はまだ米軍基地の中にしかなかったバーガーキングの袋を掲げていた。
私が驚いていると、なんとさっちゃんのバイト先は嘉手納基地のPXだという。それで基地内のバーガーキングでワッパーが買えたとのこと。
「今日は天気がいいから公園で食べよう」
さっちゃんの提案に頷き、さっちゃんの車で沖縄市運動公園まで。
広々とした公園でワッパーにかじりつく私たち。
「まいきーには卒業研究で色々お世話になったからね、お礼」
紙コップ入りのコーラで乾杯しながらさっちゃんは微笑んだ。
「うん、ありがとう」
助けてもらったのはこっちの方だよ。さっちゃんが2年前にメールをくれたお陰でこうしてまた沖縄に通っているのだから。
そう心の中で呟きながらオニオンリングに手を伸ばそうとすると、突如強い風が吹いた。そのせいでオニオンリングの半分をダメにしてしまい、うなだれていたら、さっちゃんから大笑いされた。笑い事じゃないよー。せっかくのオニオンリング……と思いながらも、私もつられて笑ってしまった。
風を感じながら、ワッパーを齧り、コーラをすすっていると、少し肌寒いもののいい天気で、冬の日だまりが心地よかった。
時計を見ると午前11時。さっちゃんの計らいによる運動公園でのブランチは終了。さっちゃんは午後から講義があるという。オスカーの店で夕飯をとるため、夜18時にモスバーガーで待ち合わせの約束をし、中の町のローソンで一旦別れるも、やはり視界が歪む。パルミラ通りの薬局で風邪薬を買い、コザクラ荘へ戻るとまたお湯を沸かし、白湯を啜りながら薬を飲む。
すると、瞼がだんだん重くなり、私はベッドまで匍匐前進し、眠った。
窓から燦々とさす冬の日差しが風邪っぴきに優しかった。
風邪薬の副作用なのかこんこんと眠りにつき、気がついたら午後16時。
急いで着替えて荷造りし、ローソンで荷物の大半を郵送してもらう手続きをした。
パークアベニューに行き、アイスティーをオーダーしつつ、コザ食堂の栄子マーマーに挨拶。
「また来なさいよ」と有難い言葉を頂き、栄子マーマーに深く一礼した。
さて、待ち合わせの18時まで時間がない。急いで中の町のモスバーガーまで足を早めた。
紅茶をオーダーし、さっちゃんを待った。さっちゃんが来たのはちょうど18時。オスカーに電話すると、開店予定時間までまだ早すぎるようなので私たちはさっちゃんの提案でドライブを楽しむことにした。
カーステレオから流れたのは、今は亡き高橋ヒロ氏の『アンバランスなkissをして』だ。さっちゃんは高橋さんの声質が好きで、高橋さんが亡くなられた時はかなりショックで落ち込んだという。
私も、中学生の頃に幽遊白書のアニメ版をよく見ていて、エンディングテーマだったこの曲が好きでシングルCDを持っていたからさっちゃんの気持ちが良くわかり、サビの部分を車内で一緒に唄った。
そして、私たちは高橋ヒロさんの甘い歌声をBGMに論文のことや身近なことを延々と車内で喋ったり、夕闇が広がるトロピカルビーチの微かに磯臭い潮風を浴びながら海岸を散歩したりした。
そして、オスカーの新しい店があるテナントビルに到着したものの、下手をする頭を潰されるか首が挟まるのでないのかというくらいにさっさと閉まるエレベーターに難儀する。
どうにかこうにか、オスカーの新店舗“Luxurious house”にたどり着くとそこは別世界。
スカイラウンジさながらに夜景が見渡せるバーだった。
オスカーはまだきていないので、民族衣装をアレンジした服を着た若いスタッフさんにピザやポテトをオーダーして夕飯代わりにした。
後にオスカーが照れ臭そうに語ってくれたが、開店準備の際、内装やオーディオにかなりお金をかけたとのこと。それでいて支払うチャージは格安なのがオスカーらしい。ありがたいことである。
パノラマ状の窓から見える夜景はまるで海に浮かぶ幾多の光の泡。
それらを見ながらオスカーとナユタさんを待つと携帯が鳴った。
ナユタさんからだった。普天間に同値らしい。一旦会計を済ませていざ外へ出てナユタさんを出迎えた。
スクーターを降り、私に気づいて手を振るナユタさんはさながらヒップホップアーティストのような出で立ちだった。
mixiのプロフィール写真で見るより、ナユタさんは思いのほか小柄だったが、いまどきの若者という風貌の割には、挨拶はきちんとしており、その時は礼儀正しい好青年に見えた。そして、ナユタさん、さっちゃん、私の3人での会食が始まった。
コーラを飲みのみ、煙草をすぱすぱ吸いつつナユタさんはいろんなことを話してくれた。
彼は語った。熱く語った。
今の沖縄の音楽シーンのもどかしさを。
それを打破したいという思いを。
一見シラケた雰囲気が感じられる風貌とは裏腹のトークの熱さにきょとんと顔を見合せながら私たちはポテトを頬張った。
彼の涼しげな切れ長の瞳は沖縄音楽界隈へのもどかしさとそれをどうにかしようと願う思いで一気に熱を帯び、潤んでいた。
いささかスケールが大きすぎるきらいもあったが、彼なりの考えと思いは彼の歯切れよいしゃべりといい心地よく、私とさっちゃんも笑みがこぼれた。
と、同時に山と積み上げられた煙草の吸殻やテーブルに散った紙ナプキンにナユタさんのやりたいことと現状の隔たり、それによる焦燥感、70年代や80年代に活躍したオキナワンロッカーたちの華やかな軌跡に比べてのコンプレックスやそれなりに評価されたオキナワンロッカーだったという彼の父親への憧憬と反発からくるものなのだろうか、自己顕示欲と身の丈不相応なビッグマウスさが端的に現れていて鵜呑みにするのは要注意だなともうっすら思ったが。
それから2時間後、オスカーは社長出勤状態で“Luxurious house”へやってきた。
「オスカー!」
「久しぶりだネー、ナユタ!元気シテター?」
ナユタさんとオスカーは互いの顔を見るなり拳を重ねて笑いあった。
おや?お知り合い?
聞くとオスカーとナユタさんは近しい仲で、ナユタさんはオスカーがやっていたクラブイベントでDJをしたことがあり、それから仲良くなったのだとか。いやはや、世間というのはなんと狭いものなのか。
またひとつ縁の深さを知りつつ、オスカーが来たことだし、オスカー自慢の一品であるジャークチキンを追加オーダー。
手間隙かけてあるオスカーのジャークチキンはじわりとスパイスの味が広がり、ご飯よりもきんと冷やした日本酒が欲しくなる味だった。
酒のつまみになるよう改良したらしく以前よりもさらにグレードが上がっていた。おまけに試作品だというチキンサラダもサービスでいただき、至れり尽くせりである。
ナユタさんはフォークを器用に使ってチキンをさらい、実に気持ちのよい食べっぷりを披露。おお!と私は感嘆した。
同時に、食い意地は人一倍なのに、ぼんやりしていると、物をポロポロこぼしたりする食べ方が下手な自分自身に嫌気がさすのだが。
オスカーも交えて会談する。
その会話で前回では知ることができなかった彼の過去も知ることができた。
しかし、その際にオスカーに出過ぎた質問をしてしまい、彼に嫌な思いをさせてしまったことが悔やまれる。
どうしてこうも私は空気が読めないのやら。自重せねば。
私がしょげているのが顔に出ていたのか、オスカーは微笑みながら、“Never mind”と私の頭を撫でた。しかし、清正さんといい、オスカーといい、私はよく頭を撫でられるなあ。そんなに私は危なっかしいのかなと薄ぼんやりながら思った。
そうこうしているうちに時計の針は0時を回った。お腹も心も満たされ、ナユタさんとオスカーに別れを告げて我々は宜野湾を後にした。
さっちゃんの車に乗り込み、この夜の出来事を車内で思い返しながらふたりで大笑いした。
夜の普天間の夜景が遠ざかり、ひっそりと寝静まったコザの街が近づいていく。
中の町モスバーガー前で私はさっちゃんと別れた。街は月曜日ということもあり、灯りもまばらだ。
静かに眠るコザの街を見回しながら、ナユタさんとの出会いがほんの少しであるが今後を明るくするきっかけになるかもしれないなと私は思った。

しかし、その後にナユタさんの意気込みに反し、沖縄ロック界隈内でのナユタさんの評判の悪さを知り、さらに来沖する度にそれらを裏付けする出来事を見聞きすることになってしまい、頭を抱えることになるが、それはまた別の話。

(オキナワンロックドリフターvol.80へ続く……)
(文責・コサイミキ)

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