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報いの時、または総決算

昨日、とあるSNSにて見た動画を見て虚脱感が一気にきた。
4月20日に亡くなられたかっちゃんこと川満勝弘さんの追悼ライブが沖縄市ミュージックタウンにて行われ、NHK沖縄にて放送されたそのニュースのアップロードされたものである。
ミュージックタウンロビー内にて飾られた、『沖縄市おんがく村 』から提供された貴重な写真には心動かされ、「近場なら行きたかったかもな」とつい思ってしまう程だった。しかし。名前は伏せるが傘寿を超えてもなお沖縄音楽界にのさば……もとい、君臨する某沖縄ロック重鎮氏のぴんしゃんとした動作や、かっちゃんを本当に偲んでいるのかと思うくらい弾んだ声でのインタビュー応対には萎えてしまい。もし、氏と出くわしたら一発で挙動不審扱いされるレベルで氏を睨みつけていたろうなと思い、熊本と沖縄という距離の隔たりに感謝した。
そしてリハーサル風景も放送されていた。顔見知りの姿が何人か映り、息災何よりとほっとしたり、中にはきゅっと心掴む音も少しはあったものの、大半はもう形骸化したノスタルジーの切り売りだなと思う音でますます遠い目になった。
そして、これまた名を伏せるが今は没交渉になったものの、20年前は夢中で追いかけていた沖縄ロッカーのインタビューのくだりを見て、恰幅がよく、さながら王様のように街を闊歩していた氏の今の姿に驚いてしまった。一気に老けこみ、老い痩せという言葉が過る程頬や首回りが痩せられていた。
話は明後日の方に飛ぶが、今年で沖縄ロックの足跡を辿って20年になる。当時の私は仕事やプライベート等色々苦難だらけですり減っていてあわや無敵の人すれすれの精神状態の中、ふと手を伸ばして聴いたオリジナル紫のアルバムから「そうだ。紫のメンバーに会いたかったんだ。思い出した。今どうしているのかな?」とネットで調べたのがスタートだった。オリジナル紫メンバーの近況を知るべくネットサーフィンし、一部メンバーの近況に戸惑い、困惑し、何故?と要らぬお節介とわかっていながらも知りたくて気になって、沖縄ロックを追う旅を始めた2003年1月。それから何も知らなかったとはいえ、入り込み過ぎて痛手を負ったり、矢継ぎ早に知らされる沖縄ロックの暗部に心折れたり、失言でせっかくできたサイト常連の大半を失ったり、最愛の推しと大喧嘩したり、やっと心が通じあえたと思ったらその翌年に推しの不治の病を知らされ、うちひしがれ、さらにその次の年に訃報を知り、1年沖縄ロックを拒絶し、訃報から約2年泣いて暮らし、完全に立ち直るのに5年かかった。他にも色々有りすぎた。過ぎてしまえば苦笑いしながらも懐かしい話となったものが大半だけれども、よくもまあ心身死なずに無事に生きられたねとあの頃の無謀な私を叱咤しながらも労いたくなる。
同時に、2004年、New紫(現在のJJとクリス+城間兄弟以外のオリジナルメンバーで構成された再結成紫の前に結成され、00年~06年に活動していたジョージ紫、宮永英一、比嘉レイ(現・レイ紫)、比嘉レオン、佐藤(現・古堅)圭一による紫)のライブのあまりの出来に落胆し、鉈を振るうような酷評レビューをアップし、さらにビッグマウスをぶちまけてしまったことを思い出した。
あの時、私はこう言った。
「私は沖縄ロックの晩年と死を看取るために沖縄ロックと出会ったんだろう」と。
その不遜な発言は、色んな人を敵に回したし、ある沖縄ロックの関係者にはすっかり嫌われてしまったが、あれから19年。そうなりつつあるのを今回見たニュース映像で確信してしまった。
過去に遡るが、2004年2度目の来沖にて嘉間良にあったゲストハウスに滞在した際、そこに定住されていたあるライブハウスのスタッフが、ゲストハウスオーナーと話しているのをうっかり聞いてしまった。
「沖縄ロックは衰退の一途。新人が育たない」
吐き捨てるように呟かれたスタッフ氏の顔と灰皿に積まれた煙草の吸殻の小山は今も網膜に焼き付いている。当時、コザ音楽祭(新人バンド発掘のひとつとして開催されたコンテスト。09年あたりから路線変更し、Musixなる台湾等アジアのバンドを招いた音楽祭になったものの2011年の東日本大震災以降空中分解し、いつの間にか消えた)等で一応新人バンドの育成はしようとしていたようだけれどそれもフェイドアウト。2013年にはXファクターという海外オーディション番組の沖縄版で、本選に勝ち進んだハードロックを歌っていた少女を沖縄ロック勢が一丸となって応援し、SNSで彼女への投票を呼び掛けていた(今だから打ち明けるけれど、個人的には彼女の声質が合わず、知人複数名からハードロック少女への投票を依頼されたものの知らん顔し、唯一歌声が気に入った民謡歌手に投票した)。それから彼女は著名ヘヴィメタルバンドの元メンバーから見出だされ、氏がプロデュースしたバンドのボーカルとしてメジャーデビューしたものの、最近彼女の話を聞かない。これまたどうしたことか。
2022年には平一紘監督による映画『ミラクルシティコザ』にて沖縄ロックが取り上げられたものの、沖縄ロック協会が関与しているせいなのか、ラストシーンの古参バンドステルスマーケティングさにげっそりし、思わず中指を立てそうになった。(それでもエンターテイメントとしてのコザを撮ろうとした平監督には拍手を送りたいけれども)
  まだコザの街を歩けばいくつかは、とはいっても砂漠に埋もれた砂金のように稀ではあるけれど沖縄のロックの音のきらめきのかけらを見つけられるのは、動画サイト等で、懐かしさと今のコザを知りたい好奇心から見た複数のコザ探訪動画から知ることができる。けれど、それもあと数年したら潰えてしまうのだろうなと寂しさだけが過ってしまう。
  実際、阪急うめだにて6月7日から一週間開催されている沖縄物産展はコザを主軸にしたものではあるものの、ステージコーナーにあがるアーティストのジャンルは民謡とポップミュージックであって、(機材などから難しいのを差し引いても)ロックではないことを知り、ああ、もう残念ながら沖縄ロックは風化していく一途なんだなと改めて思った次第だ。そして、今日。かっちゃんこと川満勝弘氏の四十九日に行われたかっちゃん追悼ライブの紹介を見て、いかに沖縄ロックが新人を育てず、古参が動かなかった挙げ句、現在の惨状になったのだと悲しいことだけれど思い知らされた。
そして、つい呟いてしまった。
「報いの時」と。
昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の最終回のタイトルと同じ言葉。けれどその言葉以外ふさわしい言葉がなく、つい呟いてしまった。
かっちゃんの死から一気に衰退と消滅が加速化していく沖縄ロック。もう見届けるしかできないけれど、せめて五感を駆使して焼き付けてこんな時代があったんだよと私が見た00年代~20年代の沖縄ロックの歴史をしたためることだけはしたいなとは思う。そして機会があれば、末席ながら語ることができたらなあとは思う。
かつて無我夢中で追い、愛した音楽にせめてものできることとして。

(文責・コサイミキ)

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