オキナワンロックドリフターvol.37

ジミーさんが、ギターを弾けなくなった?
嘘だ。ピースフルではステージに上がり、ギターを弾いて、喝采を浴びたらしいのに。どうして?なんで?たった1ヶ月の間にどうして。
うろたえる私に、清正さんは呟いた。
「5月くらいからね、ジミーは体悪くして入退院を繰り返してたからね。ピースフルがあいつのラストステージになったわけ。ジミーが完全にギターを弾けなくなって最初のフレーズじゃなく、最後のフレーズ弾いちゃったのはその翌週の出来事さ」
狼狽する私を宥めながらも淡々と清正さんはジミーさんの状態を語られた。
項垂れる私の頭をポンポンと軽く叩く清正さんの手がやけに熱かった。
「どうする?今日はおいちゃんとゆっくり話す?」
清正さんのご好意に甘えることにして、スタッフルームで清正さんを独り占めさせて頂いた。
清正さんにここぞとばかりあれこれ質問した。殆んどがライナーノーツで知ったプロフィールから不思議に思ったことを、私は『一休さん』に出てくるどちて坊やさながらにあれこれ聞いた。

途中、ココナッツムーンのスタッフだった方が来店され、質問は中断された。
元スタッフの方は、私を見ると清正さんを肘で軽くつつき、「パーパ、また新しい女(ひと)見つけたの?」とからかわれた。い、いや。滅相もない!明らかに今までの人と比べてランクが下がってるでしょ!
首を思い切り横に振り、全力で否定する私をからかうように清正さんは私の肩に手を置かれ、元スタッフの方にウィンクされた。清正さんからは微かにオードトワレの香りがして心が熱くなった。

元スタッフの方との長話が終わり、質問再開。しかし……。身近な話ばかりをあれこれ質問する私にげっそりしたのか、まるできゃんきゃんうるさいポメラニアンを制するように手を「待て」のポーズにされた。
「ストップ!なんでおいちゃんの身近な話ばかり聞きたがるわけ?。君はおいちゃんのことを知りたがるね。昔のことを。君にとっては知りたいことなのかもしれないけれどおいちゃんにはどうでもいいことさ。これからのことを話そうよ、ここからは昔のことに関する質問はストップ。他の事を話そう」

さあ困った。何を話そうか。
悩んだ末にこう質問した。
「清正さん、あなたにとって音楽とは何ですか?」
何か一筋に打ち込む人に一番聞いてはいけない質問だと知ったのはそれから数ヵ月後である。
愚問中の愚問だった。
しかし、おいちゃんは「君は難しい質問をするね」と苦笑いし、顎鬚をなでながら答えた。
「人間そのものだね」と。
今度は清正さんから問われた。
「では聞くよ。君にとって音楽とは何?」
問い返されるとは思わず、絶句しているときつくたしなめられた。
「こら、問い返されて言葉に詰まるものを人に質問してはいけないよ」と。
いや、自分の中では答えは出ているのだ。引かれて蔑まれるのを恐れて答えられないのだ。しどろもどろになりながら、私なりに答えを出した。

私にとって音楽とはライフラインである。
楽器も演奏できないし歌も唄えないが、水や空気と同じように私にとって必要不可欠なものとなったことを話した。

「理由は?」清正さんが続きを促された。

その理由である過去の出来事を3杯のモスコミュールで酔った頭を総動員させて話した。
動乱の時代に生きた清正さんやAサイン時代のミュージシャンたちにとってその理由となった私の過去は取るに足らないものも知れない。
でも私は思いきって話した。清正さんが質問に答えてくださったように。

何故って、音楽がなかったら私は今ここにいなかったからだ。音楽がなかったらきっと。
私の心はとっくの昔にひしゃげてしまい、自分を殺すか他人を殺すかのどちらかを選んで破滅していたからだ。

スタッフルームに長い沈黙が流れた。

清正さんの表情は薄暗く、間接照明だけのスタッフルームでは読み取れない。呆れられたのだろうか、蔑まれただろうか?薄明かりに清正さんの煙草の紫煙がゆらゆら揺れていた。
私は過去を思い切りぶちまけた恥ずかしさで居たたまれなくなって上目遣いで清正さんを見るしかなかった。
清正さんが重い口を開かれた。

「ありがとう、話してくれて。……しかし、君は感情をフルにして話す癖があるね」
「……あ、ごめんなさい」
下を向く私を見て清正さんは苦笑された。

「いや、謝らなくてもいいさ。君は怒りや悲しみ、喜びを僕にむけて話す。言葉にして話すと平坦になるよね」
「え?」
「ほら、言葉に節をつけて話してごらん、持っている感情に節をつけて話してごらん」
「……こうですか?」
私は試しに感情を節に乗せてみた。
「ほら、歌になる。これでボーカリストのできあがりさー」
驚いた。こんな発想をこの人はさらりと話してくれるのだから。
清正さんは続けられた。
「話を戻すよ。人は誰でもそれぞれ違う声を持っている。ギターだってそうだよね。弾く人によって同じギターを弾いても音色が違うんだから。だからおいちゃんは思うわけさ。音楽は人間そのものだってね。そして、人は誰だって何かを表現できる要素があるわけさ。声が出ない人は違う形で表現すればいい」
清正さんは目を細め、静かに笑っておっしゃった。

「人間は誰でも表現者なんだよ」

そのときの清正さんの笑顔を私は忘れない。

それから日付が変わるまで長い話をした。午前1時近くまで清正さんを独り占めする贅沢を堪能したのだ。
帰り際、フランさんから頼まれたサインをお願いした。清正さんは快諾されたものの、「元紫という言葉もつけとく?」と仰い、私はあたふたした。
タクシーがきた。私はお別れにと清正さんに握手を求めた。
握手した手は大きく硬くしっかりしていて、そして優しかった。そして懐かしさを感じる手をしていた。
清正さんの手は私にマイキーという名をくれた人の手とよく似ていた。住む場所も職も人種も違うけれども。

だからなのだろうか、アメリカのドラマで子どもが父親にお休みのキスをするように私は清正さんをハグし、そっと頬にキスをした。ありったけの感謝を込めて。
清正さんは驚かれたものの、そんな私の衝動的な行為をたしなめずにそっと私の頭を撫でてくださった。
私は一礼し、大きく手を振りながらタクシーに乗り込んだ。
清正さんの髭はさながら針山のようにチクチクしていて痛かったけれど、その痛みも嬉しい発見だった。
タクシーは静まり返った道を走り、ゲート通りへ向かっていった。

話は飛ぶが、この夜から数年後、私は高校時代の友人と昼食をとりながら清正さんの話をした。
その友人とは音楽の趣味はまったく違う。
話をしたあと、ふいに友人は言った。

「先輩。こういう話を知ってますか? 太古の昔、言葉を発明する前は人類は歌で意思を伝えてたそうですよ」
「え?知らなかった」
友人の言葉に私は目を丸くした。
「歌と言っても声に節をつけたものだったらしいですけれどね。人間は誰しも表現者になれるか……。その人の言葉、素敵ですね」
「うん、言葉もだけど素敵だよ。その人は」

3度目の沖縄旅行は自分の過失もあり、つらい想い出だらけだったが、清正さんと長い話ができたことはかなりの救いだった。
今もこの記憶は思い出す度に暖かな火を灯してくれる。

(オキナワンロックドリフターvol.38へ続く……)

文責・コサイミキ

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