オキナワンロックドリフターvol.88
父親から書留で、10年定期にしていた保険の証書が送られたのは、暮れの出来事だった。
日付を確認したら、1月中旬には学費は確保できる。私は証書を手にした途端に崩れ落ちそうになった。
既に積み立て保険の満期の還付金から入学金は支払い済みだ。奪還した遺産から前期の学費を支払えばやっと、奪われた大学進学というルートを取り返せる。
私は、城間兄弟、清正さん、下地さんに大学合格をそれぞれ電話にて告げた。
清正さんにはココナッツムーンスタッフの方々と召し上がれるように、体を温めるお酒としてシードルを送り、スタッフの方がココナッツムーンの公式サイト内のブログにて、私が送ったシードルの写真と一緒に合格おめでとうと記事を書いてくださった時には本当に嬉しかった。
退職は3月12日に決めた。せっかくだから大学に入る前に城間兄弟、清正さん、そして、できることなら下地さんに会いたいと思い、それぞれに話をした。
下地さんは快諾され、城間兄弟とのやりとりの末、沖縄滞在中に、城間兄弟、下地さん、私とで会食をしようということが決まった。
会食が滞りなく行われたら、紫のオリジナルメンバー全員と会えたことになるのだ。
私は手持ちのお金は乏しかったものの、明日の大金とオリジナル紫メンバーに会うのがコンプリートされる喜びで心は温かくなった。
不安はあった。高校時代の躓きがかなり尾を引き、大学でもうまくいかず中退し、時間とお金を溝に捨てたらどうしようという不安だった。
そんな私が中道さんにメールにて不安を吐露すると、中道さんは「わけありだけれど経験に長けた姉御肌キャラ」を演じて大学生活を送ったら?と提案された。
私は姉御肌キャラな自分を想像した。
想像したが、私が思ったことは「そんなのが目の前にいたら殴ってる」だった。
中道さんは今の私のキャラクターなら浮いてしまうと思い、苦肉の提案だったろうが、殴りたくなるような自分を演じる私の未来は、演じたリバウンドで病むというコースしかなく、かなり悩んだ。
さらにそんな矢先に、仕事が終わってからの帰り道で以前お世話にはなったものの、自身が信仰している宗教やボランティアの思想を押し付け、拒むとヒステリックに罵った高校時代の先輩に出くわした。逃げたかった。
彼女の瞳は「可哀想なコサイちゃんを私が正しい道へ導く!」という使命感に満ちており、やはり上から目線の発言が多かった。
余計なお世話である。
彼女からファミレスでお茶でもと誘われたが、丁重に断った。そうしたところ。
「ちょっと!あなたって相変わらず心が狭いのね。そんなんだからあなたの人生がうまくいかないのよ」
やはりこうなったか。どうやったらこの人から逃げられるのか。
先輩はまるで酔いしれたような、勝ち誇ったような表情で続けた。
「あなたがこれからどう生きるかわからない。けれど、我の強いあなたは新しい場所でも浮いて嫌われるでしょう。私にはわかるわ。コミュニケーション能力のないあなたがどう生きるか見ものだわあ」
ネバーエンディングストーリーな罵りからどうやって逃げよう。
私は帰りの電車の時間が間に合わない焦りから荒いやり方を通した。
「帰りの電車に乗り遅れます。邪魔です」
後は野となれ山となれ。わなわな震え、捨てセリフを吐く彼女を無視して先に進んだ。
仕事でのパワハラは、大学の学費が賄える喜びから、微塵も気にならなくなった。病は気からとはよく言ったもので、貧しさや先への不安からよく風邪をひいていた体がだんだん丈夫になっていった。
しかし、私の慢心が引き寄せたのかもしれないが、会いたくない人からの呪いの言葉は、靴底に貼りついたガムのようにしつこくまとわりついた。
私は大学生活をまともに送れるのだろうかと悲観した。
そんな不安を引きずりながら、年は明け、2008年。
1月半ば。証書の手続きが煩雑だったので郵便局員の親族にお願いし、付き添ってもらうことになった。
仕事は休んだ。主任は電話口で「あっそ」と一言だけ返された。
休んで正解だった。書類の不備があり、親族同伴で父の会社に出向き、署名と印鑑をもらい、手続きが終わり、母の遺産を手にしたのは午後14時だった。
半分を就活用に定期預金にし、残り半分は学費やこれからの必要経費に、残り半分と思った以上にあった利子から非番なのに時間を割いてくださった親族への謝礼、3月から無収入になるので、学生支援機構の奨学金の申請がきちんとおりるまでの間、祖父母に手渡す生活費半年分を支払い、当面の支払いものようにと引き落とし口座にいくばくかのお金をと振り分けた。残りのお金はまだあり、保険の還付金も少し残っていた。私は思いきってそのお金で2週間の沖縄旅行を楽しむことに決めた。
前の職場にある旅行会社から安い出張プランを選択し、一泊目の宿は不泊にした。出張プランを使う度に常宿にしていた京都観光ホテルは閉業し、出張プランにはコザのホテルは入っていなかったからだ。
私は楽天で3月14日~24日までの11日間をコザクラ荘で滞在できるよう予約した。割引がきき、ありえない程安く滞在できるのでほっとした。 さらに、清正さんのつてで知り合ったタフさんこと平岡さんが営むゲストハウスにも3月18日~20日まで2泊3日で予約した。
追加料金を支払うと観光オプションとして平岡さんの車で観光案内してくださるということだからだ。
私は着々と準備をし、1月下旬には主任と社長に退職届を提出。主任にはそんな私を最後まで嫌味でマウントした。面白くなさそうな顔で。
やはり、この人は私を敵視してたんだなと悲しくなった。しかし、3月12日には解放される。
私は退職の日を指折り数えた。
そんな矢先、2月のある日。携帯の充電をしながらこたつで本を読んでいると、自宅に電話が入った。ナンバーディスプレイで電話番号を確認すると、098……?え!城間家?え?何があったの。
恐る恐る電話に出ると、正男さんだった。
正男さんは息をきらしながら、「まいきー時間ある?話せる?」と弾んだ声で問われた。
私は戸惑いながらも「はい」と答えた。
正男さんは嬉しそうに、ご親族の結婚式で、俊雄さん、城間兄弟の弟さん、下地さんの4ピースで余興演奏をすることを話された。
「身内の慶事の余興だけどね。久しぶりに歌うよ」
正男さんの声は生き生きとしており、私も笑顔になった。
(オキナワンロックドリフターvol.89へ続く……)
(文責・コサイミキ)