トーラス

夢という名のトーラス

みなさんの夢はなんですか?

...とキーボードを叩いてみて、小っ恥ずかしくなってしまいました。(^_^;)
何の衒いもなく夢を語るには、もはや年を取り過ぎてしまっていると感じざるを得ません。

これはしかし、いいことです。
年を取ってよかったと思えることのひとつ。

ある程度人生経験を積んでしまうと「夢を語る」ことを若者の特権のように捉える向きもありますが、これは残念なことです。
若者の特権は「何の衒いもなく」の部分であって「夢を語る」部分ではない。衒いがない、言い換えれば純粋ですが、それは未熟であるということでもあるわけだから。


いくつになっても夢を語るのはいいことです。
いつまで少年少女ものように、夢を追い続けることもよいこと。

「衒い」が出てくるのは、そこを否定するからではありません。
むしろ逆で、夢がなにものかを否定してしまうことを知るからです。


夢というものは、トーラス構造をしています。

トーラス構造の特徴は、集中と拡散がひとつの構造のなかに同時に存在していることにあります。


夢は、当然のことながら、「実現」とセットになっています。

 絵を描くのが好き。
 文章を書くのが好き。
 音楽を奏でるのが好き。

「好き」はそれだけでは趣味ではあるでしょうけれど夢にまでは至っていません。
「好き」が夢と呼べるようになるには、そのことによって他者から認められたいという欲求も同時になければならない。
「好き」と認知欲求とが合わさって夢なんですね。

 画家になりたい。
 作家になりたい。
 音楽家になりたい。

このようになると「夢」と呼ぶことができるようになります。

「夢を抱く者」は、「夢の実現」を目指します。
画家になるにも作家になるにも音楽家になるにも、他者からの認知が必要です。認知があって、はじめて「夢の実現」になる。

つまり、夢には「抱く」と「実現」の2ステップがあるということです。

夢を持つことがいいことであり、大切なことだと言われるのは、
夢の二段階構造によるところが大きい。


トーラス構造も、二段階構造です。
「夢を抱く」はトーラスでは集中であり、
「夢の実現」はトーラスでは拡散に相当します。

夢を端的にいえば、特異点でしょう。
集中が拡散に切り替わるゼロポイント。



以上は、スタティックな視点から語った夢とトーラスの類似性です。
以下、ここにダイナミックな視点を織り込んでいきます。

noteはGIFアニメーションを表示できないようなので、こちらのサイトをご覧になってください ⇒ クリック!

ここで表示されているのは、ダイナミックなトーラスです。

さて、このトーラスの動きは、どのように捉えたでしょうか。
  拡散 ⇒ 集中
あるいは
  集中 ⇒ 拡散
に見えるか。意識の持ち方で見え方が変わります。  

見え方が変わるいう点で似ているのは、立方体の錯視です。

上の立方体には2通りの見え方があります。
一番上の線が手前にあるのか、奥にあるのか。
手前にあると見れば、立方体は左下奥に広がっているように見えます。奥にあると見れば、左下手前に広がっているように見えます。

この2つの見方を同時に見ることはできません
ここが大切なポイントです。

同じことはダイナミック・トーラスについての言えます。
 「拡散 ⇒ 集中」
 「集中 ⇒ 拡散」
2つの見方を両方同時に見ることは、人間の目には不可能。
そして同じことは、トーラスと同型の夢についても言えます。


立方体、そしてトーラス。ともに2つの視点があります。
実感できると思いますが、視点の切り替えは、ちょっと難しい。
できてしまえば簡単ですけど、なかなか切り替わってくれなかったりします。
そしてその切り替えは、立方体よりもトーラス、トーラスよりも夢の方が難しい。より複雑になるからです。


この切り替えの難しさが夢の否定的なところを生みだしてしまいます。

スタティックに考えれば、夢は「抱く」と「実現」の両方の性質を持っていて、どちらを欠いても夢ではないということが簡単に認識できます。ところが、ダイナミックな視点に立てば、一端「夢は抱くもの」と認識してしまうと、「夢の実現」が見えにくくなってしまうという現象が起きます。

反論はありそうです。
夢を抱けば、実現も当然視野に入る。実現を視野に入れない夢はありえない――。

ええ、その通りです。スタティックに考えれば。
だけど、現実はダイナミックに動いているんです。

夢を抱いて夢の実現を目指している人は、夢という名のトーラスを「拡散⇒集中」の視点で見ています。さまざまな要素を組み合わせて特異点を組み上げる。絵を描くにせよ、小説を書くにせよ、作曲するにせよ、あるいは何かの機械を作るにせよ。いろいろな要素を試行錯誤の上で組み上げ練り上げ、最高の組み合わせを目指す。そして特異点に到達すれば夢は自動的に実現すると考えがちです。

たとえば、自動車メーカーを考えてみます。

自動車を製造する人たちは、自動車という夢を「拡散⇒集中」の視点で見ています。なので、最高の車さえ作れば、消費者は自動的に支持をし、自動的に売れると考えてしまう。

ところが営業担当の人、「集中⇒拡散」でトーラスを見る人は、そのようには考えません。彼らは最高の製品が最も売れる製品ではないという事実を知っています。拡散には集中とは違ったロジックがあることを知っています。

メーカー内部での製造と営業の反目は、良く聞く話です。製造も営業も、ともに特異点(製品)の価値は認めているのに、そこへ至るロジックとその先のロジックが異なることにはなかなか理解が及ばない。

PCの世界でも、一昔前はそういったことがありました。
Windows3.1が発売された頃の話です。
Macのユーザーは、僕も当時そのひとりでしたが、Windowsを多くの人がなぜ支持するのか、理解できませんでした。完成度に歴然の差があるとしか思えないのに、なぜ、出来の悪い方がよく使われるのか。当時、Macユーザーは「エヴァンジェリスト」と呼ばれたりもしました。Macという福音(最高の製品)を広める伝道師。これも、トーラスを「拡散⇒集中」でしか見ないことから起きた現象でしょう。


これらの事実から明らかなことは、夢の実現には、「拡散⇒集中」の人と「集中⇒拡散」の人の、ふた通りのタイプの人が必要ということです。

最高の絵を、小説を、音楽を創造しても、それを理解しプロモーションしてくれる人がいなければ、せっかくの作品も埋もれてしまって終わりです。最高の作品を残せさえすればいいという立場もあるでしょうが、それはやはり趣味か道楽でしょう。最高の趣味、最高の道楽かもしれませんが、夢との間には歴然とした一線があります。



現代は、夢という名のトーラスへの「拡散⇒集中」への視点がより優位になってしまって、「社会の病」にすらなっているのではないかと思えます。ことに、教育の場において。

教育の場においては、視点はどうしても「夢を抱くこと」「拡散⇒集中」の視点に偏ることになってしまいます。理由は簡単で、教師は「夢を抱くこと」には関わり指導することができても、実際の社会で「夢を実現すること」には関わることが難しいからです。なので、教師が自分たちの役割を真剣に果たそうと思うほど、「拡散⇒集中」への偏りが生じてしまいます。

ところが、「拡散⇒集中」の視点を採用するか、「集中⇒拡散」の視点を採用するか、夢という名のトーラスにおいて、この切り替えは容易ではありません。容易でないどころか、この視点は、生まれ持った体質に左右される性質のものなんです。

つまり、生まれもって「夢を抱く」タイプの人間もいれば、生まれもって「夢を実現する」タイプの人間もいる。両者はほぼ半々、どちらかと言えば後者の方がやや多いという意見もあります。


「拡散⇒集中」型のタイプの人間は、別の言い方でいえば男性的です。となると、「集中⇒拡散」型は女性的。

「拡散⇒集中」型は、夢を追いかけることに生きがいを見出すタイプですが、「集中⇒拡散」型は、夢を追いかける人を応援することに生きがいを見つけ出すタイプなんです。「私の夢」よりも「あなたの夢」というタイプ。ちょっとイメージが古いかもしれませんが、「貴女の夢」優先というのは、女性的ですよね?
(男の勝手な妄想という意見には反論しません。)

もちろん、ひとりの人間のなかには男性的な部分も女性的な部分も両方あります。男性だから男性的とは限らないし、その逆も然り。ひとりの人間の中に含まれる男性成分・女性成分の割合は、人それぞれ。それこそ個性です。

しかし、上にも上げたとおり、2つの視点を同時に持つことは不可能です。そうなると、どちらか優勢な方の視点で眺めるということになります。


教育の現場では、教師たちが教師に「できること」に忠実に役目を果たしたときに、どうしても「拡散⇒集中」型に偏ってしまうというのは申し上げた通りです。そのような視点からの教育は、体質的に「集中⇒拡散」型の生徒をスポイルしてしまいます。

その結果、何が起るかというと夢を持てないことに劣等感を抱いてしまう若者の大量生産です。体質に合わないことを強いられているだけのなのに、体質が合わないから結果が出ないだけなのに、自分が劣っている思い込んでしまう。これはとても大きな社会的損失を生むと思いますし、損失を生むメカニズムが働いているなら「病」だと診断されるでしょう。


「夢を持てない病」を克服するのは、実に簡単なことです。人ぞれぞれの個性の問題だと捉えればいいだけですから。

人間には
 拡散 ⇒ 集中
 集中 ⇒ 拡散
のふた通りの体質がある。
これだけのことを知っていれば、夢を持てないと悩む若者に適切な答えを出すことができます。

♪ あなたは人の夢を応援するタイプです ♪

この言葉だけでいい

いえ、「この言葉だけでいい」は違いました。間違えていないけど足りません。それは「拡散⇒集中」型のもの言いです。人間にはふた通りの体質があるという事実(集中)が一般的に認知(拡散)されなければなりません。その条件が整わないと、「あなたは人の夢を応援するタイプです」という言は、間違いでないけれど正しく機能しないことになってしまいます。


というわけで、人間には「拡散 ⇒ 集中」「集中 ⇒ 拡散」のふた通りの体質があるという事実の拡散をお願いします。

科学的に証明できるのか?
いえ、できません。
まだ科学はそこまで進歩していません。

けど、ウソでもいいんです。
「夢をもてない病」が治療できさえすれば。

それに「夢を抱く人」が「夢を応援する人」を必要とすることは、まぎれもない事実ですから。大半の夢は「応援する人」なしには実現しません。


感じるままに。